2013年11月10日日曜日

私の還暦過去帳(444)

命の水の有難さと感謝の気持ち・・、

今日も良く雨が降ってくれました。

私が47年前に南米のアルゼンチンのボリビア国境のサルタ州で農業を
していた 時代です。乾期なるとまったく雨が降らなく、飲み水まで困って
いました。

リオ・ベルメッホというラプラタ河の上流の支河でしたが。1700kmほど
上流でも河幅が200mほどあり、ボリビアの上流で大雨が降ると、河幅
一杯 で流れていました。

雨季になると大きな貯水タンクに雨水を飲料水として貯めていました。
河の水は塩分と上流のボリビア国内の銅山や銀山での坑内からの有害
な排水を 捨てることがありますので飲料水としては危険でした。

井戸を掘っても塩水が出て来て飲み水としては使えませんでしたので、
雨水が貴重な飲料水でした。
雨トヨからタンクに雨水を引いて貯めていましたが、屋根は椰子の木を
交互に重ねて竹の屋根のようにしていましたので、屋根に降る雨水は全
てタンクに入れて いました。
それを毎朝大きな薬缶とバケツに汲んで飲料水としていました。
味も良くその水で入れたお茶は美味しいお茶でした。
灯油の冷蔵庫だけしかない侘しいジャングル生活です、水は素焼きの壷
に入れて涼しい所にぶら下げていると、気化熱でひんやりとした水を飲め
ました。

ガリガリに乾燥して、ぼこぼこに乾いた道を歩いて来て、タンクから汲ん
だ冷たい 水を飲むことは本当に感謝の気持ちでした。
それが段々と減ってきて残り少なくなると寂しい気持ちになっていました。

町のパン屋の主人が狩猟で道に迷い、飲み水も全て無くして気が狂うほ
どの狂気の沙汰になり、自分の尿も飲み、自分の血液が沸騰する様な気
分で狂い死にする一歩手前で、インジオに助けられたと話していましたが、
水の貴重さをしみじみと語ってくれましたが、その後一切狩猟は止めてい
ました。

水を大事にする森の住人、マタッコ・インジオ達の生活は本当に水の貴重
さを身に染みて教えてくれました。
狩猟に行くと食器は焚き火の灰で汚れを落とし、1枚の皿で全てを賄う事
をいたします。食事の後は軽く拭いて僅かに鍋に入れた水で蒸すようにし
て煮沸してかごの中に並べるだけです。

乾き切った川床の砂を深く掘り竹筒を軽くヒビを入れて差し込んでいると
翌日には綺麗な水が竹筒の中に溜まっていました。その水をバケツに数
本入れると1回の使用量の水がありました。
喉が渇くとツタの茎元を切り、そこから滴り落ちる水滴を口で受けて飲ん
でいましたが、手の平に受けて犬達にも飲ませていました。

食事の時にマテ茶を飲む時も必ずボンベに入れたマテ茶に水を注いで、
濾す様にして飲んでいました。そして神々に捧げるように祈って地面に水
滴を垂らして神に感謝の気持ちを捧げていました。

我々の現代生活では、蛇口をひねれば出てくる水を何も感謝の気持ちも
無く使う生活に慣れた人間達は水の有難さを忘れていると思います。

私が良く行くメキシコのカボは60年前は水も余り無く寒村として僅かな漁
村でしたが、当時は1ヘクタールが1ドルしか土地の価値が無く、忘れられ
た地でしたが、現在では海水淡水化装置が稼動して水の問題が解決し、
大きなリゾート地として10年で人口が10倍に膨れ上がる様な開発が行
われています。

現在では土地も1ヘクタールが海岸線では、ミリオンの値段となっています。
歴史にも水が無くなり、うち捨てられた都市もあります。
マチュピチュ遺跡を訪問した時に、インカの技術で山間の岩に水道が延々
と引かれ、現在でも流れ、使えるのには驚嘆しました。

今夜も良く降ってくれます、有難い雨音です・・、

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