2013年11月18日月曜日

私の還暦過去帳(447)

雨の日の思いで・・、

今日は珍しくカリフォルニアで、もう3日も長雨が降っています。
春雨のようにシトシトと切れ目無く降っている様子は、しばらく2・・3日は
降るという事で雨が少ないカリフォルニアでは恵みの雨です。

私が47年前に農業をしていたアルゼンチンのサルタ州では、完全な南
米の内陸性気候で海が近くにないので、乾燥してジャングルでも潅木と
余り背が高くない木々が生えていました。

サルタ州辺りのもっと北に行くとフフイ州やフォルモッサ州などがあり、
どちらも乾燥して雨期のみ雨が降る所でした。
私がぺルーを旅行していた時にプーノと言う近くの町でバスが休憩で停
まっていた時に、近所の住人と会話して、去年は種の作付け時期に雨が
降らないので今年は殆ど収穫が無かったと話していました。

近くのその人の家を見せてもらったのですが、納屋に貯蔵してある穀物
がありました。2年分は十分にあると話していましたが、トウモロコシと
小麦が主でしたが、食べるだけは心配ないので、現金収入で近くの工事
現場で仕事をしていると話していました。
今の現代社会からしたらペルーでは、まだ田舎の生活は悠長だと思い
ました。
雨が降らないと生活に困窮する歴史を、彼等はインカ時代からの習慣と
して持っていたと感じます。山から流れて来ている小川の岸で僅かな野
菜類を栽培していましたが、その水を畑に引けるのは、僅かの畑だと言
って指差して見せてくれました。

私が居た農場でも水揚げポンプが故障すると大変でした。ジーゼルエン
ジンでしたが、乾期の水が減った河から汲み上げる農業用水は大変で
した。故障した時の用心に直径25mばかりの農業用貯水池を作り、そこ
に1日分の水を貯めていました。
そこに汲み上げた水を流して、もう一度ポンプを使い高台の畑に汲み上
げて流していましたが、ジーゼルエンジンの音が深夜の静かなジャング
ルに、低く響いているのが時々聞こえていました。

リズムカルで単調な音です。じっと焚き火の明るい火に、夜冷える大陸
性の気候で身体を暖めながらその音を聞いていました。
トントンと響く音は眠気を誘い、よく昼間の疲れからまるで子守唄のよう
に聞こえて来ましたが、寝静まったジャングルの中の農場では文明社会
の音として響いているようでした。

農場が暇な時に魚釣りと狩猟も兼ねてフォルモッサ方面にトラックで走
っていた時に、川岸に牛の群れを集めてキャンプ宿泊していたガウチョー
達が居ましたが、鉄道駅まで後1日の予定だと話していました。
昔ながらの皮のツバ広帽子に皮のズボンカバーをして、長いムチを丸
めて鞍の横に吊るしてありました。

腰のベルトには銀飾りの付いた短刀が差し込まれ、タバコの刻みが入
った皮袋がベルトの横に見えていました。ずーっと一週間近く牛を追って
田舎から出て来たと話していましたが、家畜輸送トラックも入れない場所
から来たと思いました。

水場を伝って来たので時間が掛かったと話していましたが、川岸でゆっ
くりと牛達を休めてから、鉄道駅の出荷現場まで行くと話していました。

鞍の横には旧式なウインチエスター・レバーアクションのライフルが差し
込まれ弾帯のベルトも見えていました。テントの横ではアサードの焼肉
が香ばしい肉の香りを放ち、塊の肉が焼けていました。
勧められるままに座り、アサードを食べさして貰いましたが、我々も果物
のオレンジやレモン、バナナなどと,持ってきたレチューガのレタスを分
けてあげ、促成のサラダを作りました。

暗くなりかけて我々が持参してきたガソリン・エンジンの小型自家発電機
を始動して、2ヶ所ぐらい電灯の光がテントを明るくすると、ガウチョー達
がしげしげと見て、ランプではこうは行かないと話してマテ茶を入れて飲
んでいました。
今ではアルゼンチン北部も奥地まで輸送トラックの道路が出来上がり、
そんな光景など、もう絶対に見ることが出来ないと思いますが、乾期に
牛を追っていた時代も、すでに47年以上も前になります。

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