2013年11月13日水曜日

私の還暦過去帳(445)

国歌と国旗の意味・・、

今日の二ユースを見ていて、大阪府の学校区で、卒業式の国歌斉唱の時
に教職員の先生が起立もしなく、生徒や父兄の目の前で、皆が斉唱する時
に敬意も無く、起立することも無く、イスに座っていたという教育委員会の
規律違反を公然と他の人に見せ付ける行為には驚きました。

昔でしたが、アメリカに日本からの、学生親善訪問で訪れていた先生と学
生達が招待されている少年野球チームの試合会場で、開催式のアメリカ
国歌斉唱の時に、若い先生と引率されていた学生達がアメリカ国旗にも、
国歌斉唱にも起立もしないで、敬意も示す事無く、子供達は皆は何をして
いるのか・・、
と言う感じで見ている者、ベンチで座り込んで何か話をしている者などが
居る事を見て、何と言う教育を受けているのかと悲しくなりましたが、それ
もお隣の韓国から来ていた先生と学生達が、一斉にアメリカ国旗に敬意を
払い、帽子を脱ぎ、胸に手を当ててアメリカ国歌、国旗に敬意を示してい
た行為に何か大きな異差を衝撃の様に感じました。

韓国人の若い男性の先生は率先して生徒達の前で、背筋を伸ばし、野球
帽をとり、生徒達に模範を示す様に胸に手をあて、入場式で行進する少
年達の捧げるアメリカの国旗に敬意を示し、視線は行進してくる国旗に向
けていました。
その様子を見ていて、入隊していた軍隊などで規律ある教育での自国の
国旗、国歌に対しての尊厳とマナーを学んでいると感じる動作でした。

日本の国歌を歌う事や、国旗に敬意を払う事が過去の軍国主義の賛美
に繋がるという個人的な自己解釈で、公の場で、アメリカやカナダ、メキシ
コなどの、その他の大勢の国で先生達や、生徒と共に国歌や国旗に敬意
を払うという正反対の行為をして、生徒や父兄に公の式場で見せ付ける

と言う事は、日本人の国家感や日本人としての自覚と尊厳と敬意を持ち
合わせて居ないと感じ、現在のアメリカの民主主義国家でも、国旗と国歌
に学校の教育現場で、直にその様な行動をしたとすれば、まず大勢の
父兄達から即刻、先生としての素質を問われ、放校されると思います。

国歌、国旗はその時代、時代での流れがどの様であれ、現在の民主主義
の三権分立の日本国の国家としての象徴である事を忘れ、『坊主憎けり
や袈裟までも・・』と言う偏屈な自己主観と思います。

現在の教育は、ほんの一部の自由の根本を履き違えた先生達の操りと、
行動と、それが示す教育が、日本の学校教育を歪め、自由の理念を履き
違え、自己主張に合せて解釈して、それを教育と言う現場で無垢の子供
達を洗脳する様な行為と感じます。

日本は世界を向いて、幅広く広域に、自由主義の理念が世界の基準に
恥ずかしくない様に日本国を将来動かす子供達に、相応しい先生の理念
と信念を持って教育現場で教えて貰いたいと願うものです。

戦前の多くの日本人移住者達が、粗末な開拓初期の小屋でも、国旗と
天皇陛下の写真を神棚の横に祭り、日本国の平安と繁栄を、毎日仕事
に出る前に手を合せて祈る姿に心打たれた事を思い出します。

パラグワイの移住地でよれよれの薄汚れた日本国旗を見せられ、これ
は戦場で家族親戚などが住んでいる祖国日本を守る為に、部隊の先頭
に捧げられ突撃した日章旗だと言われました。

戦死した友の骨壷の下に隠され戦後、戦地から復員する時に持ち帰ら
れたと話していましたが、一つの国旗に込める思いは、軍国主義などと
簡単に切り捨てる人間などには到底理解など出来ない事と思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム