2013年11月20日水曜日

私の還暦過去帳(448)

時は去り行く・・、

ここ最近は忙しくしていました。

休暇から帰宅して、私の菜園の手入れと庭の手入れと重なり、それに春
の植え付け時期とも丁度時期が合いますので、せっせと頑張っていました。

それにどん底まで落ちた不動産価格に、最低の住宅ローンも加わり私も
不動産購入で動いていました。
今年もメキシコのカボに家族で休暇に行き、2週間ほど魚尽くしで楽しん
でいました。今年はハマチが良く釣れていましたが、鰹も50cmぐらいの
サイズが良く釣れていました。
釣れたてを刺身で頂くのは鰹も美味しいもので、ハマチは寿司や刺身で
良く食べていました。

今年で13年目となる慣例のカボ行きですが、最初の年も今年も魚が目
当てでした。しかし、最初訪れた時からしたら、2社あった日系の旅行代
理店なども全て無くなり、日本人が居なくなり、12年の間に増えた友達
や知り合いから聞いても、過去に日本人と結婚した日本語を話すメキシ
コ人の女性と、メキシコ人と結婚した60過ぎの女性だけが居ると聞きま
した。カボのJALパック旅行の消滅と同時に全てが消え去った様です。

1970年代の初頭から、バッハ・カリフォルニア半島の中間にあるラパス
を基地にしていた日系漁船も今ではすでに無く、百年前の日本人漁師達
が活躍したバッハ・カリフォルニアも、その子孫の名前だけを名乗るメキ
シコ人を見ます。

すでに三世や四世の時代だという事で、日本人の名前でなければ、まず
日系と感じる事は無理だと思います。それも第二次大戦で全てが激変し
た日本人の歴史と、その流れがあると感じます。

近所の一世が亡くなった時に、メキシコから親戚が弔問に来ていたのに
は驚きましたが、戦前のアメリカ排日移民時代にメキシコからカリフォル
ニア州やアリゾナ州に入って来た日本人移住者が居たからだと思います。

今では日本からの移住者というと殆どが婚姻関係か、商社関係で永住
権を獲得した人か、学生でそのままアメリカに就職して居付いた人ばか
りです。時代が大きく変化して来たと感じます。

私達が1960年代の初頭に渡米したのは殆どが船の時代で、12日間ほ
ど太平洋を横断するのに要していましたが、今では時間で済みます。
朝食を食べて飛行場に行き、朝10時頃に出発する飛行機だと、東京で
夕食を食べる事が出来ます。

時間という、時の大きな変化だと思いますが、これも時代の流れで私の回
りに居た一世達が殆ど亡くなり、私が参加していた県人会もすでに解散し
てしまいました。
それと同時に第二次大戦後、アメリカ兵と結婚してアメリカに移住してき
た日本人の花嫁達の多くの女性が80歳を過ぎ、戦後65年を過ぎた時間
の流れに消えようとしています。

つい最近もアメリカ人のご主人を亡くして、日本の兄弟に呼ばれて郷里
で骨を埋める覚悟で帰国した女性がいます。子供が居なかったらアメリカ
の老後の生活は寂しいと感じます。
歳をとると日本食が恋しくなり、アメリカは車社会で、運転ができないと一人
で自宅に住む事が困難となりますので、兄弟達が訪ねて来て、日本に連
れ帰るのだと思います。

これまで多くの日本人達がアメリカに渡って来て、サンフランシスコ郊外
のコルマ日本人墓地にひっそりと眠っている墓標の数々を墓参りに行き
眺めると、ほんの一部の墓標だと思いますが、その一つ一つが人生の全
てを時の流れに逆らうことなく、人生の物語を秘めて、流れ、忘却の彼方
に去り行く事の様だと感じます。

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