2013年11月29日金曜日

私の還暦過去帳(451)


ニラ、されどニラなり・・いつの世も韮・韮なり・・、

私にはこの作物には大変ご縁があります。

子供頃に、このニラ炒めの卵とじという料理など、ご馳走の部類でした。
終戦直後の食べ物が無い時代に、麦飯にこのオカズだけでも美味しくご飯を
頂きました。

ニラは昔も今も雑草のような強さで育ちます。
我が家もニラは欠かさず植えて育てていますが、これが重宝する食べ物で
タフな野菜です。
我が家ではニラ炒め、おひたし、餃子、スープなども入れて食べています。

学生時代に東京で学生相手の定食屋では、ニラ・レバー炒めと言うとご馳走
でした。
当時、50年も前は新宿駅の西口には、戦後のバラックが残り、酎ハイの梅
割りを飲みながら、焼き鳥でも食べていた思い出があります。

そこのバラックの一膳飯屋で食べた、餃子に、ニラ・レバー炒めと、どんぶり
飯でたらふく食べた記憶があります。そしてしっかりとニンニクが沢山入った
味を思い出します。

肉が食べたい時は大きな鯨のカツを注文して、キャベツの千切りとドバー!
 と掛けたトンカツソースで、これもたらふく食べていました。
バラックの中にはその当時、その様な店が沢山残っていました。

軍隊酒場と言う復員軍人達の慰安所もあり、バラックの酒場が揺れるような
軍歌が響いていました。

南米に移住して、アルゼンチンのサルタ州で、農業の支配人をしていた時
期にオレンジの収穫で2時間ばかり離れた果樹園に行き、そこで自炊して
時々、日本食を食べていました。
オーナーの奥さんが昔植えていたニラが、用水路の側に繁茂していました。
私も直ぐに学生時代を思い出して、夕食にニラ炒めを作りましたが、一口
食べて吐き出してしまいました。

なんと・・、それは、それは・・、硬いニラでとても噛み切る事も出来ない硬
さでした。匂いは強烈で、まさにニラですが、とても食べる気もしなくて全部
捨ててしまいました。
仕方が無いのでイワシの缶詰を開けてご飯を食べていましたが、数日す
ると切った後から、柔らかそうなニラが、びっしり新芽が出ているではあり
ませんか、 そこで再挑戦とニラ炒めを作った所が見事正解でした。

美味しくて、柔らかくて、卵とじなどは、ご飯のお代わりまでして食べていま
した。 ある日、使用人が大きな塊のレバーを肉屋から買って来たので、分
けて貰いニンニクをフライパンで油に泳がせて、レバーさっと炒めてニラと
混ぜて醤油味で皿に盛ると、生唾がごくりと出た思い出があります。

今でも、たかがニラ、されどニラだと思います。

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