2013年12月6日金曜日

私の還暦過去帳(453)


ピンガと聞いて焼酎と解く・・、

南米に行くと普通飲まれる酒はワイン、ビールにピンガやカンニヤという
焼酎系の強い酒です。これにラム酒やコニャック系、ウイスキー類のアル
コール度の高い酒が入ります。

私が農業をしていたアルゼンチンのサルタ州は、サトウキビからの精糖
工場がありましたが、そこの副産物でカンニヤと言う焼酎が良く飲まれて
いました。

私も素焼きの水瓶の冷えた水で割って飲んでいましたが、レモンかライム
を少しばかり絞って、砂糖を加えて飲むとかなり口当たりの良い酒になり
ます。
インジオ達が飲んでいたカチューリンと言う酒は、ケマードとか言って、
本当に燃える酒でした。度数がきつくて、75度はありました。
そんな酒を彼等は水で割ってレモンを絞って、時には砂糖を入れて飲ん
でいた様です。
冬にトマト畑に霜が降りそうになると、暖かい河の水を汲み上げて、畑に
流し込んでいましたが、24時間連続で流すので、夜中に作業するインジ
オ達にはその酒を1本持たせる事が習慣でした。
彼等はちびちびと飲みながら、毛布を背中に背負い、コートの役目で着
ていましたが、彼等には防寒コートなど無くて、一枚の毛布がその代わ
りをしていたようでした。
トコトコと動力水揚げポンプが動いている横で、焚き火がチロチロと燃え
ていて、其処に薬缶に入ったマテ・コシードの茶が沸いていました。

トマトの畝の間に流し込まれる灌漑水が予定量まで達する短い時間に、
熱い茶のコップを両手で抱え込んで、フーフーと舌を焼くような熱さの
マテ・コシードを飲んでいる姿がありました。

夜食にはパンに生ハムを挟んだものが出されていましたが、彼等は茶
に酒を垂らして飲んでいました。私も時々飲んでいましたが、酒は絶対
に入れることはありませんでした。

私には強すぎる酒でしたが、インジオ達は平気で飲んで、コカの葉を噛
み、その酒を飲んで酔いつぶれていました。
町に出て友人宅で泊まり、釣り仲間と集まり飲んで騒いで夜遅くなり、
彼が住んでいた農場の小屋に帰ると、若いインジオの女性が二人でか
なり酔って家の近くで待っていました。

一人は友人の彼女で半分は同棲しているような仲でしたが、もう一人は
最近まで私の農場で夫婦者で働いていた女性でしたが、まだ二十歳に
なるか、ならないほどの年齢でした。

私も彼女を覚えていたのですが、夫と喧嘩別れをして、彼女が町に飛
び出して行き、夫は直ぐに若い彼女を田舎から連れて来ていたようでした。

結婚する年齢が若いのでよく喧嘩別れや、他に恋人を作り、どちらか
が逃げた様な夫婦も多くいました。
友人の彼女がもう一人の女性を私の前に連れて来ると、『彼女はどうし
ても貴方が好きだと言えないのでこうして酔ってここまで来た』と説明し
ていましたが、すると・・・、彼女は酔った勢いで猛然と『そんな事を言う
のはやめて・・!』と言って掴みかかっていました。

私も知っているのですが、私が農場を見回りに出て、彼女が住んでい
た小屋の前を通ると、恥ずかしそうに下を向いて、すれ違いに私をチラ
リと見ていたのを知っていました。

その夜は飲み直しで、友人は彼女と盛大にカンニヤ開けて飲んでいま
したが、したたかに飲んで二人で支え合うようにして、『もう遅いので寝
るから、お前らもたいがいにして寝たらどうか・・』というとバターンと寝
室のドアを閉めてしまいました。

私はカンニヤに水を沢山入れて薄くして、レモンを絞り飲んでいました
ので、深酔いはしていませんでしたが、すでに彼女は酔い潰れた様に
して、私に寄りかかっていました。
シーンとした他に誰もいない農場の裏庭で、薄明るい月夜の光にグラ
スを手にぼんやりと彼女を見ると、すでに寝息を立てて安らかに寝てい
ました。
冷えて来た大陸性の気候で風邪ども引かないように、彼女を抱き上げ
て私が泊まっているベッドに寝かせて、毛布を掛けようとすると、猛然と
彼女が抱きしめて来たので、しばらく背中をやさしく触ると、また寝息が
聞こえていました。

それを確認すると表に駐車していたトラックに、両手にカンニヤの瓶を
持ち戻ると、エンジンを掛けて夜道を走り農場に戻りましたが、徹夜で
水掛をするインジオ達が焚き火の周りで温まっていましたので、彼等が
滅多に飲めない上等のカンニヤの瓶を開けてグラスに注ぐと皆が喜ん
でくれ、焚き火で干し肉をあぶり、それを肴に皆と飲んでいました。

冷えた夜空の星が瞬き、シーンとして静まり返ったジャングルの黒々と
した影が重なり、リオ・べルメッホの対岸でも微かにトマト畑に灯りと煙
が流れているのが見えていました。

水揚げポンプの単調な音だけが響く農場で、少し汗臭いシャツ姿で酔
いつぶれて寝ていた彼女を思い出していました。それからしばらくして、
友人宅に訪ねた時に聞いたのですが、彼女は友人が起きた時は小屋
に書置きを残して、早朝の一番列車で故郷に戻って行った様
でした。

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