2013年12月26日木曜日

私の還暦過去帳(462)


我が人生で食べたラーメン遍歴の足跡・・、

私も古希を過ぎて、これまでの人生の遍歴の中で出会ったラーメンの
数々や、食べたラーメンの味などを思い出す事があります。

私がかれこれ60年も前ですが、屋台のちゃるめら、通称シナソバ屋が、
ラッパを鳴らして夜に屋台を引いて来ていました。
当時、炭鉱町の福岡県大牟田市でした。その頃は炭鉱も景気が良くて
私の父も三井三池炭鉱に技術者として働いていました。

その頃初めて食べたのが満州帰りの人が引いていた屋台のラーメンで
した。
それからしばらくして、豚骨ラーメンと言う、我々が通称、九州ラーメンと
言う、こってりスープの濃厚豚骨スープに、固めのしこしこ麺のラーメン
で、厚切りのチヤーシュが載っていました。
そして、必ず刻んだ紅生姜が入っていました。

東京に出ると、1960年台の東京は醤油味か塩ラーメンで、我々九州人
にはこれがラーメンかと言うものでしたが、いつも心にはこれがラーメン!
と感じて腹が減っているから食べるのだと、自分に言い聞かせていました。

夏休みなどに大牟田に帰郷して、駅を降りるとそのまま、駅前の行き付
けの九州ラーメン屋に入り、1杯食べてから家に帰るような感じでした。
熊本の親戚宅に行くと、そこでもまず九州ラーメン屋に2軒ほど食べに行
き満足して帰っていました。

そんな時期を経て南米のブエノスに上陸した1964年の春でしたが、上
陸してブエノスの日本人会館内の食堂で食べたラーメンが、南米最初の
ラーメンでした。
おせいじにも美味しいと言えない麺で、これ何だ・・!と言うラーメンでした。

メニユーに一応、ラーメンと書いてありましたので、これがアルゼンチン
式のラーメンだと、これも自分に言い聞かせて食べていました。
そこからしばらくパラグワイに行くとラーメンの、ラの字も無い世界で、そ
れに似た、沖縄うどんと言うものがありましたが、これはまた別世界の食
べ物でした。
とか何とか・・、ラーメンの禁断症状が出るほど、口にも出来ない時代が
あり、何とか我慢していましたが、ブラジル、サンパウロの日本人街、御
茶ノ水と言われる辺りで食べたのが、これは本格的な味噌ラーメンでした。

それは感慨に浸りながら食べていましたが、南米を後にして日本に帰国
する途中の船便で、シンガポール、香港経由の船旅でしたので、途中の
モリーシャス諸島の港では華僑の店で、ラーメンらしき本格的な麺を食
べる事が出来ました。

港に停泊すると、必ず足はその食べられるような店を探していましたが、
当時のシンガポールは屋台の店がぞろぞろと港近くに並んでいた時代
で、満足する麺を食べていました。
香港の裏町にある、小汚い店でも味は一流の味で食べさしてくれ、ダッ
クの切り身などが山ほど乗っかっている麺の鉢に感激したものでした。

祖国に久しぶりに帰国して、実家に帰郷した翌日、ちょっと・・とかお袋
に言って、九州ラーメンを食べに出ていました。

それから幾歳月、アメリカくんだりまで来て、住み着いてもランチには好
きなモヤシ入りの味噌味豚骨スープのラーメンを食べています。

0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム