2014年1月9日木曜日

私の還暦過去帳(467)


過ぎ去りし時の重みを感ずる・・、

先月に日本訪問をして感じたことは、現代の歯車が予想以上の早さで動
いて居ると感じます。
数年日本を訪問しないと、様変わりがして、時には道に迷う事さえありま
す。
私が用事で青山通りにあるオフイスを訊ねた時に、待ち合わせの時間が
在りましたので、地下鉄駅から出て、歩道に出ると真っ先に感じたのは、
激変した通りの様子でした。

私が最初に東京を訪れた時は、まだ東京オリンピック工事が盛んな時期
で、どこもかしこも掘り返して、建設ラッシュでした。

青山通りも道路の中央には都電の電車が走り、両側には二階建て、瓦
屋根の店等が並んでいました。

その時からしたら54年も昔の事ですが、代わらないのは東宮御所の緑
の青さです、五月の空に大きく伸びた木々の爽やかさが感じられるのは、
まったく同じで、何か見ている私の瞼に過去の遠い昔の風景を思い出し
ていました。
古い自転車で都内探索にサイクリングで走っていましたが、その当時の
赤坂見附辺りから少し横道を入ると、当時でも珍しかった人力車が、ひ
よいと狭い路地から出て来るのに出会った事があります。

綺麗にお化粧した和服姿の女性が微かな良い化粧の香りを残して、す
れ違って行き、何か古い昔の東京の面影を見た思いがしていました。

サイクリングで走って疲れると、どこかの小さな木陰に当時、盛んな焼き
芋屋さんが同じく休憩していました。
東北から出て来て冬の間は焼き芋屋のリヤカーを引いていると話して
いましたが、このリヤカーは親方の家に住み込みして、一日幾らという
借り賃を払っていると話していました。

その東北から来ていたおやじさんは、この辺りは夜が儲けになると言
っていましたが、別れに『学生さん、昨日の残りの焼き芋だけど食べな
さい・・』と言って少し焼け過ぎた芋を、新聞に包んで手渡してくれました。

ほんわかと暖かい焼き芋を食べながら、持参して来た水筒から水を飲
んでいましたが、今ではその様な場所さえ思い出の光景として、見つけ
出す事は不可能と感じました。

そそり立つビルが方角を狂わせ、少なくなった緑の木々が目印となる
全てを消し去っていたからです。今では昼間就労人口が沢山でも、
夜間は殆ど人が居なくなるビル街となり、東京のコンクリートジャングル
が益々背丈を伸ばして、そこの谷間にさ迷う人間など、時勢に流されて、
呆然自忘の感じだと思います。

それにしても10年一昔と言うけれど、50年も経てしまうと、どこか浦
島太郎と言う感じもして来ます。

時は過ぎ、時代は変遷して、過去の面影も写真でしか知らない世代と
の会話も成り立ちません、地下鉄の出口から、ひよいと出て来て驚い
て佇んでいる、おのぼりさん姿の自分を想像しながら今日は書いてい
ました。

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