2014年2月9日日曜日

私の還暦過去帳(484)


パラグワイ国盗り計画(8)


彼等は語学としてはスペイン語を話して、日本語も日本語 学校に通い、かなりある程度の基礎は出来ていました。その様な若者を移住地で訓練して、日本に現地パラグワイ人と組んで研修に送れば成果が倍増すると思っていました。

実行してその運動に賛成してくれる人間が居なければ何事も動きません。 パラグワイ移住者の子弟と、パラグワイ人の若者を組み合せて日本に研修に送り、教育と実習をもとに、これからのパラグワイの未来を研究させ、自分達で将来の国をいかに動かすかの自覚を付けさせるのが一番重要と感じました。

 これは当時発展して成長している日本を見れば、まだかなり遅れたパラグワイの発展を、もし自分達が参加して新しい国作りをして日本の様に、ダイナミックに変革させる事が出来ると思えば必ず成功すると感じていました。当時アメリカなどが中南米など で裏工作して政権を動かしていた事は、かなりの政治腐敗と貧困が付いていました。

その様な事が無い、下から組上げて行く変革です。まだ当時のパラグワイの文盲率はかなり有り、徴兵制度で新兵として来た若者を軍隊で読み書きを指導していた時代です。 お隣りのアルゼンチンでも読み書きに支障がある新兵は22%ぐが居て、その中の17%ぐらいは完全に再教育が必要と、当時の新聞に出ていました。

その様な時代です、無から染め上げて行く事はもっと効果が有り、その熱烈な支持者とすることが出来る と感じていました。中国の社会主義の誕生を見ても若い成年男女が、農村や辺地での思想改造運動を起して成功させています。我々は日本に手紙を送りその事を打診しました。答えは我々が期待する良い返事でした。

農民塾と言う感じの、これからの若者 を訓練する施設でした。そこでは機械の整備から修理まで農業に関する基礎と、これからの機械耕作を教え、新しい国造りを目指すクラスでした。 
ではまた、次回をお楽しみに!

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