2014年2月11日火曜日

私の還暦過去帳(485)

パラグワイ国盗り計画(9)

パラグワイを50年前に日本で話しても、どこかと聞かれるのが普通でした。ブラジルを知っている人は沢山いましたが、その隣りの国だと言うと、『それは知りませんでしたーー!』と言う人が大勢いました。
内陸国で海が無いと言うと、魚は食べられる のかと聞く人が多く居ました。日本から見たらそれが普通です、しかし当時、日本から移住していた国は、ブラジル、アルゼンチンパラグワイ、ボリビア、それから中米のドミニカでした。しかし60年の初めにはドミニカ移住も破綻していて、パラグワイ などに再移住して来ていました。

中には日本に帰国した人達もいました。私達が当時の状況を見て、パラグワイを安定した、希望のある移住地にする事と、これからの日本の将来を考えて、日本以外で日本人の民族的発展をさせる事が出来る国は無いか考えた時、 パラグワイでメノニータと言う宗教集団が新天地を作る為に移住して来て、独自の自治と農業集団的な集落を作り、パラグワイ政府から徴兵などを受けない取り決めをして、発展していました。

私達がその方法を土台に、日本人移住地を拡大して政治的な力を 作り、その輪を広げて、いざと言う時の為に、爪を砥ぎその爪を武器と出来る様に考えていました。必ず政治的な運動の推進には反対勢力の抵抗が有るからです、簡単に倒せる事も有ると思っていました。また反対に多くの犠牲も出る可能性も考えていま したが、その様なシナリオは何度も推測して、犠牲を最小限に止める事を考えて、計画を練り上げていました。

メタニーノはドイツ系の集団が多くて、当時のドイツ系2世の大統領が多大に援助して、便宜を図っていた事は広く知られていました。 その様なことで、我々が目指す天下盗りはパラグワイに日系の息が掛った大統領か首相を据える事でした。それからアメとムチでの建設を目指していました。

アメは投資と融資と無償援助で、多くの大学を建設して、日本から留学したら授業料免除で卒業後 三ヵ年仕事をしたら、多額の一時金と日本と同じ卒業資格を与え、パラグワイ永住希望者には土地と資金と5ヵ年先までの生活保障を与えて、安心して開発と事業の推進が出来る様に考えていました。
次回に続く、

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