2014年2月14日金曜日

私の還暦過去帳(486)


パラグワイ国盗り計画(10)

昔、戦前の台湾政策を見ても、日本政府が予算の半分近くに相当する資金を投資して、成功した事を考えると、それと台湾に国立大学を建設して、教育と学問的な平等で誰でもが教育を受けることが出来る様になり、その土台となった事が解ります。

ペルーのフジモリ前大統領は、学校建設を10年先の国の為の投資として建設して、それが成功していました。基本的な国盗りはそれが目標でした。  パラグワイの国盗りを計画しだして、アメの美味しい餌は書きましたが、ムチの方は計画遂行をする上での障害と反対派の抵抗を考えて、それを叩き潰すか、側面からの工作で根回しして切り崩すか、しかし、人の考えと心理を動かす事は中々出来ません。

その事を考えて、最終的には武力的抵抗があると感じていました。しかし、移住地と言う所は、日本からの移住者の中には色々な方が来ていました。旧日本軍で大戦中は南方戦線で迫撃砲中隊で指揮官をしていた人や、東北の田舎から軍隊に召集されて下士官 として最前線のトチカや陣地の爆破の専門家として、訓練を受けて実際に上陸作戦で部下を指揮して、上陸地点を確保して成功させた人など、満州国境に居た人は、ロシア軍が雪崩を撃って進撃して来た時に、対峙して僅かな兵で狙撃銃を使い、ロシア兵を多 数倒し進撃を止めた人も居ました。

話しを聞くと、ロシア軍の輸送トラックの隊列を襲撃して、燃料と弾薬を多数破壊した様に、小人数での訓練された兵士は、多大の成果を上げることを聞いていました。そこで我々は、まだ旧軍出身で自衛隊にも居た事が有 る実戦経験豊富な方々から、話しを聞き、少人数での戦闘ゲリラ的な行動方法を聞きました。

戦後故郷の東北の田舎で、雪が積もると炭焼きの傍ら狩猟もしていたと言う、まさにパラグワイのジャングルでもインジオが顔負けの活動をしている人も居ました。 その様な人と連絡を取りました。返事は『面白い話しだ!』と答えてくれました。どちらかと言うと、その様な方は行動力があり、地球の裏側のパラグワイまで自分の人生と将来を賭けて移住して来る考えの人でした。

私達が酒の席から始めた話ですが、その様 な方々が賛成してくれた事を考えると、パラグワイは当時国盗りに一番最適で、日本人がその行動を起す最適な場所と、国で有ると感じる人が沢山居たと言う事です、話しを具体化して行くと、昔、サラリーマン的な生活をしていた人はまずダメで、話しの 夢も持っていない、枠に入った人間が多かった感じを受けました。

手応えとして少数、新鋭、事前に準備周到に用意して計画して、表の政治工作と平行しながら裏では爪を磨くと言う両面の活動を維持して、いざと言う時の即応が出来る事を考えていました。  

では次回をお楽しみに!

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