2014年2月23日日曜日

私の還暦過去帳(490)


パラグワイ国盗り計画(14)


日本人移住者が結束して力合わせて、一大勢力とする事は、移住者の年齢からしたら当時 の状況は大変厳しい情勢と判断しました。余りにも地域が密でそれ以外は交渉が無い、日本の村社会をそのまま持ってきた感じがしたからです。

理想とする事が余りにも小さく、金や仲間の近所より、一山多く儲ける事が目標でした。下準備が整った時点で、その事が大きな壁となりました。 最終の計画が済んだ時点で、我々が一番心配したのはやはり、移住地の日本人の集団でした。儲け話しには直ぐに乗って来るのに、先の見えない、先の分らない、金にもならない話しはそっぽを向いて、用心して心開いて話し合う事も出来ませんでした。
日本の田舎から部落総出で移住してきた人達もいましたので、中には日本の村社会より、厳しい環境が有る地域が存在して、狭い移住地を作り、親戚や家族でないと信用してくれない風潮が有り、とても我々の計画を話し、相談する事も無理と感ずる 所も有りました。そこが一番の難点を感じ、打開点を探していましたが、生活に追われ、なおかつ現実に迫られた生活苦が我々が百年の先を見て語る事を、夢物語として拒否していました。

現実の厳しさが夢を見るのも、それを実行するのも、 全てが大きなギャップとなり、改革を夢見てーー!将来を思い、計画した数字が現実との埋まらない差に、先にこの計画を進め様とすればするほど、壁に出会い、パラグワイの日本人社会では、時期早朝と感じる様になりました。 武力で政府転覆をすると、どのくらいの人数で成功するか考えた事は、2500名の精鋭がいたら出来ると、自衛隊出身者が話していました。

200輌の戦闘車両、トラック、ジープなどが有れば、それを支える分散した移住地の支援があれば成功は間違い無いと言っていました。 しかし、その様な事は当時のパラグワイ社会では受け入れてくれる余地も無く、日本政府が援助と支援があればと話す、自衛隊出身者も現実を見て、夢で終るか~!と嘆いていました。計画を詰めた時点で、もう一度改めて見直す事にしました。

ではまた、次回をお楽しみに!

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