2014年2月20日木曜日

私の還暦過去帳(489)


パラグワイ国盗り計画(13)

パラグワイは多くのヨーロッパ人達が昔から、宗教で、信条で、桃源郷として、自分達の楽園を夢見て来た人が多い場所です、しかし、日本人移住地ではその当時、一部の移住者が隣国に再移住を始めた時期でした。

一番の理由は、農作物を作っても 売れない、販売価格が低い、輸送経費が掛かり過ぎる、その為生活が成り立たず、ジリ貧の希望が見えない生活に陥っていた時期でした。僅かにアスンション近郊で野菜栽培でいくらか儲けて居る人が居たぐらいでした。

 その様な時期で、当時のアスンション日本大使館を訪ねても、『パラグワイは、まだ開拓が始まったばかりだからーー!』と言う感じで、近所の日本人レストランで食事をしているる大使館員の話しを、近くのテーブルで偶然聞いた事は、『早く本省に帰 国したいと言う話ばかりで、どのくらいドルが貯まった』と言う話しでした。

それが一般的な公務員の考え方と感じました。我々が計画する事は、世間常識からしたらキチガイか、少し頭がおかしい妄想主義者の話しか、危険分子のたくらみと思われて 話しをする人にも用心して、相談や参考になる話を聞きに行っていました。日本人移住者は田舎の保守的な、村社会の中で育った人が多い感じでしたので、特に言葉は注意して、心許した人以外は、余り話す事は有りませんでした。

計画は段取りの設計から抜け出て、具体的な数字と詰めの計算を緻密にして、前の見本が無い手探りの計画立案を描いて行きました。その途中で歴史の本を見ていたら、スペイン人で一番多く奴隷としたインジオの女性に子供を産ませた男は、260人近い 数字だったと書いてありました。

嘘か真かは、その真偽は知りませんが驚く数字です。仮に260人を産ませたら、20年先はどえらい人数となります、結婚年齢が低い時代です、それで一族固まれば、恐ろしいパワーとなったと感じます、昔ですー! 余り人口がいない時代、その様な家族が固まって、分家して力合わせて、領土を拡張して行ったら、直ぐに大きな領地を持ち、大きな政治の勢力となったと感じます。

次回に続く、

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