2014年2月27日木曜日

私の還暦過去帳(492)


パラグワイ国盗り計画(16)

それは裏を支える、ドイツ人の移民を見逃す事は出来ません、彼等は団結力が強くて、お互いに力を出し合って前に進む事を考えています。

あるパラグワイに移民で来ていた日本人が話てくれた事があります、その事は良く日本人の性格を表していると感じました。 彼は戦時中、満州でロシア軍の捕虜となり、シべリアに送られて、そこの捕虜収容所でドイツ人の捕虜と一緒になり、彼等が団結して権利を主張して仲間を守り、仕事で

もノルマ以上は絶対に手を貸さなかったそうですが、日本人は仲間割れして、仲間 を裏切り、お互いが疑心と猜疑心での付き合いで、まとまりが無くその事がもとで、多くの人が死亡した原因ともなったと話していました。

そのような話を具体的に聞くと、心乱れました。果してこの話を日本人社会で話して、同士を集める事は出来る か、大きな壁に突き当たりました。

それは致命的な計画の壁となりまして、移住地の村社会から、もっと小さな部落社会と細分化された付き合いでは一度話すと、取り返しがつかない事態となると予測されました。

開拓初期にお互いが森林伐採 を競い合い、『俺の土地は20町歩開拓したーー!』『俺は23町歩がーー!』と、後も、先も考えずに資金を注ぎ込み気が付いたら、仲間割れと、いがみ合いと猜疑心が残ったと話してくれた人が居ました。

それで植えつけた永年作物が先の見え ない産物で、販売市場が無くて破綻の道を歩き出した時代と一致して、我々が計画の時期として、一番の不適切な次期に始めたと感じました。それは深く探りを入れるほど分って来ました。自衛隊出身者がパラグワイに用事で行き、確かめて確信して来ました。彼は帰宅して、その夜一番に口を開いた事は『時期早々ーー!』の一言でした。  

次回をお楽しみに!

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