私の還暦過去帳(495)
パラグワイ国盗り計画(最終回)
パラグワイの国盗り計画を立案して、初めは色々な本や資料を集め、読んでから最後はノート一冊にまとめ、そこに全てが順序良く整理されて、まとめられていました。
当時はパソコンも無く、全てをノートに記載しておく他は有り ませんでした。私はその日にエンカルの町に出て、町で商店を開いている日本人の知り合いを訪ねて、当時のパラグワイの状況と景気の先行きを聞きました。
それは余り芳しくないのもでした。やはり日本人の農業経営が苦しくて、余裕など無い 生活の人が多いと話してくれ、野菜を作ってもエンカルの町が直ぐに溢れてしまう様に野菜が生産されて、このままでは半分の移住者が隣国に移転して行くと話してくれました。
私はその話しを聞いて、心が寂しくなる感じでしたが、生活が 成り立たないのであれば、この話しはすべきでは無いと心に感じそれ以上は話す事は無く、買物を済ませると、またバスで友人の農場に戻って行った。私は昨夜の話しを最後に全てを心とカバンに深く仕舞い込み、パラグワイでは二度と話す事も無かった。
その夜、友人と別れの酒を酌み交わしていた。彼は私にブラジルに転移住すると、ポツリと漏らした。『兄がブラジルに移住していて、サンパウロで養鶏で成功して、家族で来る様にと誘ってくれて、決心がついて今度の収穫が終ると、私もこのパラグワイ には居ないーー!』と話してくれた。
全てがこれで終ったと感じ別れの酒は苦かった。翌朝早くバスに乗り、いつ会えるか分らない友と肩を抱き合って最後の別れとした。彼は最後に『この話しは夢と思うなーー!いつの日かチャンスが来るからーー!』と 送り出してくれた。
この別れが彼との最後であつた。その後二度と彼とは会う事は無かったが、今では最後まで残り、協議した人は全部亡くなるか、消息不明の事になり、ただこの計画が闇の彼方に消えてしまう前に、歴史のほんの僅かなページに書き残し て置きたいと思いました。
そのあとだいぶ時間が経ってから、ペルーでアルベルト.フジモリ氏が大統領に就任した時の感激は同じ南米の国で現実に起きた快挙に、飛び上がって喜んだものでしたが、今ではすっかり世界情勢から、パラグワイの世の中も 様変わりして、今では夢物語にしか過ぎません。
ノートや地図など全ては、私がボリビア国境のサルタ州から帰って、そこの農場に支配人として行く送別会の、アサードの焼肉を作る焚き火の火に投げ込まれて全てが灰となってしまった。 世の中にはヒョンな事から、人が考えない様な事が生まれて来る事が有ります、現代社会ではとてもその様な発想は無理かと感じますが、昔はそんな事を夢見る事が出来たのでした。
終り。
次回より連載いたします物語は、過去に私が南米各地を歩いて出会い、見て、聞いた人達からの聞き語りの物語です。今では誰も生きては居ないと思いますが、少し書き残して置きたいと考えています。
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