2014年3月3日月曜日

私の還暦過去帳(494)


パラグワイ国盗り計画(18)

パラナ河の流れが両国を二分して、悠長にかなりの水量を湛えて流れて行くのを見て、この雄大な観景に見惚れていました。 渡し場で幾人かの日本人と会い、中には家族でパラグワイを離れて、隣国のアルゼンチンに転住する家族と見られる人達も居ました。

私は複雑な気持ちを抱きながら、乗合小型バスで移住地の奥に友を訪ねて行きました。 ブエノスからのお土産を抱えた私を歓迎して迎えてくれまして、その夜は二人で酒を酌み交わして、持参したノートを見せました。

彼はしばらくはノートを熟読していましたが、最後に一言ーー!『あとはパラグワイ移住地に居る日本人が動けば、必ずや成功すると思うーー!しかしそれはかなりの難題で、誰かここで営農して移住地に住んで、一人ずつ口説いて行かなければ誰もその話しは信じてくれないし、また話しの相手もしてくれない』と彼は話してくれた。

私も同感の心を持って、その夜は床に付い たが中々眠れなかった。その翌朝、彼は朝の仕事が一段落した時点で、話してくれた。その話しはかなり私の心に染みて聞いていたが、彼は『パラグワイの時間と、日本の社会が動いて行く時間との差が余りにも大きいので、こちらの話しがまとまり動い た時は、日本ははるか彼方の方に移動しており、その民族的な国民性を埋めるギャップは難しいーー!』との彼の話しに何かこの計画の一番の誤差が有る感じを受けた。

レベルの違いと、早さが噛み合わないのであれば、計画事態が 実行のチャンスを掴む事はますます困難になると感じた。私はパラグワイまで来て良かったと感じた。私は一番大切な事を覚ったと感じ、具体的な計画を中止する決意が付いた。後は何も後悔は無かった。

全てが済んだと感じた。 彼は私が中止の決定をすると言うと、短く『それが良いーー!』と話すとまた畑に戻って行った。私も他の用事をかたずけて来ると話すと、『夜にまた話しに来まますからーー!』と告げて友達の家を出た。
次回に続く、

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