私の還暦過去帳(496)
今日から連載いたします物語は、過去に私が南米各地を歩いて出会い、
見て、聞いた人達からの聞き語りの物語です。
かれこれ50年と言う時代の変化と、忘却の彼方に消えた人々の出会
いの場で聞いた話も私の歳と共に記憶も薄れ、私の若き頃に出会った
人たちは、その当時でも70歳とかの高齢でいた人も多く、今からしたら
貴重な話であったと思います。
そして話してくれた人達は、すでに遠く過去の人になっていると思いま
す。この話は私の薄れた記憶から思い出して書いていますので、事実
に反する事もあるかも知れませんが、ご了承下さい。
南米移民過去帳物語、(1)
琉球泡盛女の物語、
彼女に出会ったのは、私がサルタ州で農場の支配人をしていた時代で
した。トラックでトマトなどをブエノスのアバスト市場に持って来て、飲み
に酒場に行き、知り合った女性でした。
当時彼女は小さな酒場を港近くの船員達が飲みに来る様な場所に開
いていました。
4年ほど前にその通りを歩いたのですが、すっかり様変わりして昔の
面影は何も在りませんでした。彼女の出身は沖縄でしたが、綺麗な標
準語を話し、英語も多少上手に話す事が出来ました。
彼女が曰く、戦後に米軍基地で清掃の仕事をしていたので、そこで覚
えたと話していましたが、かなりの女傑であったようでした。
戦争中は家族と戦場を逃げ惑い、米軍に最後は投降して命を永らえた
と言う事でしたが、沖縄の戦場でかろうじて生き残ったのは、彼女が若
いながら親戚がハワイ移住をして、いつかハワイに行こうと英語を勉強
していたから,かなりの英語を話す事が出来たのだと言っていました。
その事が彼女の家族と親戚達の命を守ったようでした。
彼女の名前は金城勝子と言っていましたが、同郷のハワイ移住者の
子供が里帰りして嫁探しに来ていた時に遠い親戚であったので紹介さ
れ、当時町では珍しく英語を勉強して幾らかは話せたので、直ぐに意気
投合して仲良くなり、親の了解も得て将来はハワイに結婚して移住する
と言う事も決まっていた様でした。
ハワイから来た若者が日米の緊迫した状態に急遽ハワイに戻ってし
まったのでしたが、6ヶ月近く滞在していた間に、婚約者として18歳ぐ
らいながら同棲状態でいたようでした。
戦争が勃発して文通も出来なくなり、音信不通となり、沖縄が戦場とな
り、家族や親戚と逃げ惑う様な状態になり、壕に隠れて岩水を飲み、
生芋をかじって銃爆撃や砲弾から逃げて隠れていた時に、米軍の捜索
隊に囲まれ、壕を爆破され、いよいよ自分達が隠れている壕にも米兵
が来た時に、まず投降勧告の呼び掛けがあり、酷い日本語で話してい
るので意味も半分は分からなかった様でした。
そこで英語が片言でも話せる彼女が皆からアメリカ兵にレイプされ、
酷い事をされて殺されると脅かされたが、どうせ隠れて何もしなければ
爆破されて死ぬだけだからと、覚悟を決め英語で『撃たないで・・!』と
叫んで、洞窟の入り口に出て行くと、若い彼女を見て米兵が目を丸くし
て銃を構えて見ていたそうです。
彼女が僅かでも英語が話せるので、隠れているのは家族だけで兵隊
は居ないからと言うと、米兵が食料と水筒を渡して出て来るように家族
に言う様に命令されたという話でしたが、黒砂糖の塊を舐めて、数日間、
何も食べていないので、家族の皆が携帯口糧を開けるとそれを食べて
から壕から出て来ると、少し歩かされてトラックに家族と親戚数名が乗
せられて、収容所に送られた様でした。
それからが彼女の度胸と忍耐と女傑の分際を発揮したようでした。
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