2014年4月7日月曜日

私の還暦過去帳(505)

南米移民過去帳物語、(10)


葉隠れ移民の物語、

私が本田さんと言う方のお城見物を思いついたのは、偶然でした。
私の農場で働いていたインジオのゴウメという若者がスルビーと言う魚の
産卵期で、その魚釣りとビスカッチャというウサギと狸を併せた感じの動物
を狩猟する事に誘われて、付いて行く事にしました。

インジオ部落からさほど遠くないと言う事で、その若者と2泊することで狩
猟と魚釣りに行く事になりましたが、アルゼンチンの祭日で収穫時期も間
があり、本田氏と話もしたので、是非と考えて実行に移しました。

エンバルカションの駅から支線を薪で走る蒸気機関車が引く古い列車です。
僅かな荷物を持ち、夕方近く発車しましたが、客車はぼんやりと電灯が車
内に点る旧式な古い列車で、座る椅子は全部板張りの座席でした。
若い夫婦者が毛布を被ってベンチに寝ています、横揺れの酷い列車はゆ
っくりと潅木の中を
走って行きました。
その支線は昔、鉄道建設用の枕木に使う、硬木を切り出しと家畜運搬用と
して敷設された様です。

時々停まる駅と言っても、プラットホームも何も無い小さな駅舎があるだけ
の駅です。駅前に僅かな家があり、明かりが漏れて、ほのかな料理の香
りもしていました。

籠にサンドイッチや、トウモロコシの皮で包んだトウモロコシ・パンも入れて
売りに来ました。熱々のトウモロコシ・パンを買い食べていました。

機関車から出発の汽笛が鳴ると、ぱらぱらと乗客が乗り降りして、機関車
から蛍の様に火の粉を吐いて、ゆっくりと走り出しました。
悠長にジャングルの潅木の中を走る列車には、町で仕入れた果物や小麦
粉などの袋を座席の下に押し込んで、その上でマテ茶をのんびりと飲んで
いる様子の年寄りの老婆が二名、何か袋から取り出して、我々に食べるか
と聞いて来ました。
チーズをパンに入れて焼いたチーパーと言うパンでした。私がお返しに熱
糧食として持って来たチョコレートやクッキーなど少しあげると喜んでくれ、
どこに行くか聞いて来ました。
魚釣りと狩猟だと言うと、どこが釣れるかゴウメに教えていました。
私が『セニョール・本田を知っているか・・』と聞くと、詳しく教えてくれ、現地
では中々の有名人だと言う事を知りました。

現地ではまじめで、勤勉な日本人だと言う事が知れており、現地人の若い
女性を妻にして、その家族との繋がりで確固たる地盤を築き、その老婆も
本田氏の住居を『日本人の城』と言っていました。話の最後に、本田氏が
サルタの州都に出かけて居ないという事を教えてくれました。

私は少しお土産も持って来ていたので、がっかりしていましたが、ワイフは
子供が居るので留守番していると話していましたので、お土産だけでも届
ける様に考えていました。
のろのろと2時間ばかり走ると、機関車が停止するとゴウメがここだと言う
ので、その駅に降りました。
ガスランプの明るい光に照らされた駅舎の外に、迎えの馬が三頭繋がれ
て待っていました。
中の一頭はゴウメの妹で16歳ぐらいだと聞いていたのですが、上手に馬
を操り、我々を迎えに来ていました。それに犬が二頭横に座って居ました。

ゴウメを見ると喜んで尻尾を振り、大歓迎をしていました。
駅から200mも歩くと潅木の茂るジャングルで、その中の小道を犬を先頭
に馬が進みます。妹は16歳だという事ですが、現地ではそろそろ結婚適齢
期だという事をゴウメから聞きましたが、いまだに婚約者も居ないと話して
いました。
誰もすれ違うことも無い夜の田舎道です、薄い月明かりの光の下、砂地の
ぼくぼくと乾いた道をしばらく歩いて行くと、少しジャングルが開いた場所に
出て、数軒の家があるのが分かりました。

直ぐ近くにはベルメッホ河が微かに水面が光っているのが分かりました。
妹のマリアが馬から下りて、『貴方達は家に入りなさい、私が馬を連れて
行くから・・』と言うと、二頭の馬を引くと囲いに犬達を連れて移動して行った。

ゴウメの家はアドベの日干し煉瓦を積み上げた家でした。
明日の早朝に釣りをするという事で、焚き火の横でコニャック入りのマテコ
シードの茶を飲むと明日の釣りの話など聞いて話し込んでいました。

両親はチヤワンコ族と言うインジオで、川岸に住み漁業と農耕をする日本
人に似た種族でした。彼等にはアジア人のモンゴロイド特徴の蒙古斑点が
赤子にはある家族が居ると聞いていました。

混血していない種族は遠くアジアからのベーリング海が陸で繋がっていた
時代に南米大陸に流れて来た人種だと思います。性質は穏やかで、女性
の黒髪が綺麗でゴウメの妹のマリアも黒髪とアルゼンチンでは珍しい皮膚
の色で、どこと無く私が子供の頃に近所に居た、女の子に似ていました。
家族で話す言葉はチヤワンコ族の言葉でした。

ゴウメの両親はスペイン語は余り得意ではないようで、私と話す事は問題
なく、本田氏がここの土地に住み着いた事を詳しく話してくれました。

やはり本田氏がこの土地に住み着いたのは、彼が見初めた可愛い彼女
が16歳で直ぐに妊娠して、彼女の家族が住む側の土地が遺産相続で売
りに出されて、売り急いでいた事もあり、家屋に家具、農機具や家畜、植え
付けられていた綿の収穫まで付いていたので、購入すれば直ぐに生活に
困る事も無く、地主として自分の城を持つ事が出来て、かなりの収入も見
込める事があったようです。

しかし遺産相続で売り出された農場は、亡くなった両親が築いた農場も、
子供達は田舎の辺鄙な土地に住む事を嫌い、その土地の価値も、良さも
すべて見捨てて、競売に近い価格で売り出して
しまった様でした。
本田氏は当時の状況から農場のオーナーの子供が、親が亡くなったら売
り出す為に、正式な農地の測量を頼まれ、そこの土地に滞在して測量して
いたと思います。

彼は滞在先で妻となる女性にめぐり合い、愛して、彼女が直ぐに妊娠し、
本田氏はそこの土地が気に入り、その農場が競売される前に、遺産相続
の弁護士と交渉して即金で買い取り、彼女と結婚式を挙げて住み始めた
という事でした。

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