2014年4月21日月曜日

私の還暦過去帳(510)

 第4話、南米移民過去帳物語、(15) ‏

南米の「フーテンの寅」さん(3)

この話は過去に『私の還暦過去帳』に書いたものですが、この物語は彼
の話でした。是非とも彼の生き様を知る上で、もう一度ここに書いておき
ます。その当時・・、

彼は私より5~6歳は年上でした。現在生きていたら78歳は過ぎてい
ると思います、1965年当時、彼はアルゼンチンのボリビア国境近く
の町に住んでいました。

小さな地域社会です、彼がその町に流れて来たのはボリビアから降りて
来て、無銭乗車していたトラックが町で停車して、そこの町に僅かな
日本人が農業で住んでいたからでした。

国道沿いに農場を開いていた日本人の家を、ふらりと訪ねた事がその町
に居付く事になったのでした。彼は誰にでも好かれる人柄で、当時小さ
な土地を借りてトマトを作り、現金を握ろうとしていました。

私は町に出るとよく訪ねて行きました。話しが合い、年齢的にも考えが
合っていたと思います。当時近所の農家が日本種のサツマイモを作りま
して、少しずつ配ってくれました。

私達が栗イモと言う、ホクホクの甘いサツマイモでしたので、有り難く
食べていました。彼にも食べさせたくて、イモを蒸かすと熱々の美味し
そうなイモを持って訪ねて行きました。

夕方の涼しくなった時間だったと思います、彼も農作業が終りまして
井戸ばたで夕食の支度の準備を始めていました。
私が持参したイモを見ると、急に戸惑った感じで、私が差し出すイモ
を見て、私が『美味しいから~!熱い内に食べたらーー!』と勧める
と、急に涙声で

『俺は食べられないーー!食べてはいけないーー!
 仏のバチが当るーー』と言って、涙をポロポロと落として唇を噛ん
でいました。
私は彼の態度に驚いて、彼が少し落ちついた頃に聞きました。

彼はその理由をゆっくりと話してくれましたので、全てを理解する事
が出来ました。彼はカンニヤーの焼酎を素焼きの水瓶から冷えた水で
割ると、飲みながら話してくれ、彼が南太平洋のサイパン島で育った
事を初めて知りました。

戦争が始まりサイパン島にも米軍が上陸して来て、疎開をしていなかっ
た彼の家族は戦火に巻き込まれ、逃げ惑う事になった様です。
なぜ日本本土に疎開しなかったかは知りませんが、当時父親は出征して
おり南方戦線に居た様でした。母親と子供三人が島を逃げ惑い、隠れて

居た様です、砲撃と艦載機の襲撃で最後は、海岸の絶壁に近い洞窟に
家族と隠れて居たと話していました。家族が持っていたのは大きな水入
れのヤカンと飯盒、各自が水筒を提げ、僅かな医薬品と包帯代わりの
真っ白なエプロンを持っていたと言っていました。

砲撃が激しくて外には一歩も出られなくて、僅かな食料も残りの固パン
を食べ尽くすと、しばらくは水だけで飢えをしのいでいた様でした。
彼は一番下のまだ小さな頃で、母親に『おイモでも食べたいね~!』
と母親にねだって、シクシクと『お腹が空いたーー!』と泣いていた
様です。

母親は上の兄に下の妹と弟を面倒を見る様に言って、もし帰ってこな
い時は、包帯代わりに取ってある木綿の真っ白のエプロンを持って、
米軍に投降する様に言い含めて、一人一人、子供達を抱きしめると、
暗くなった暗夜にまぎれて食料のイモを探しに出かけて行ったと話し
ていました。

地下足袋を履いて、モンペ姿で消えた母親が忘れられないと言って、
目頭を押さえ涙をこらえていました。

翌朝になって、日が昇り、太陽が真上に来ても母親は帰っては来ませ
んでした。一番上の兄が洞窟の入り口から出て探しに行ったけれど、
どこにも居なく、ついに兄は母親が言い残した様に、真っ白な母親の
エプロンを広げ、木にかざして、妹に持たせ、自分は片手に水の入っ
たヤカンを持ち、弟の手を引いてスピーカーで投降を呼びかける場所
に出て行った様です。

直ぐに米軍に発見され、通訳の日系2世の案内で収容所まで送られて、
手厚い保護を受けて、先に占領されていたフィリピンに送られて終戦
後に日本に兄弟妹三名で帰国したと話してくれました。収容所では、
いくら母親の事を聞いても、誰もその消息を知る人は居なかったと言
っていました。

田舎では先に復員して帰っていた父親が迎えてくれ、母親の遺骨代わ
りにエプロンの四分の一が壷に入れられて埋葬され、あとはの3つは
三人の子供達に母親の形見として、分けられたと言っていました。

彼はそこまで話すと、暗くなった畑に出ると、星空に向かって吼える様に、

『おかあさん~! おか~あさんーーーー!』
『お母さん、ごめんなさいーー!僕がイモを食べたいといったばか
りにーー!』
『ゆるして下さいーー!僕をゆるしてーーー!』

薄ぐらい夕闇の中で、彼の手に握りしめられている白いハンカチ状の
物を固く夜空に突き上げて、怒泣するがごとく両膝を土に付けて泣き
崩れている姿を見て、涙が止まらなかった思いが有ります。

戦争は人間同士の殺し合いだけではなく、多くの人々の心まで殺し、
傷付いて、いつまでもそれを引きずって、歩かなければならないのです。

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