2016年4月7日木曜日

私の還暦過去帳(585)

心に感じる豊かさ・・、

毎年イスターシーズンに訪れるメキシコのカボに滞在しています。
ここに滞在中は、電話もなく、来客もなく、携帯電話などは電源を切ってあり、
勿論のことに持ち歩く事もありません。
コンドに滞在していますが、掃除のメイドも来てくれるので、ワイフと時間的に
は有り余る程の時間が出来た感じが致します。
家に居れば、庭の手入れや、家庭菜園の管理と畑仕事などがありますが、ここ
では時が、ゆるゆると動いて居る感じに感覚的に錯覚してしまうことがあります。

バケーションといっても観光目的でもなく、名所旧跡を歩く事もなく、4階のベラ
ンダに座り、目の前の太平洋を眺めるのが仕事のように感じる時もあります。
じっと晴れ渡った空の下で、青い海を見ていると、時おりアラスカに帰るクジラ
の親子が沖合を通過するのが見えます。
バッハ・カリフォルニアの温かい内海で出産して、子育てして子連れでアラスカ
に帰って行く姿が青い海の中に潮吹きする様で見て取れ、のんびりゆっくりの
時間的生活に変化をつけてくれます。

人は若い時は、夢中で働き、生活して自分の時間も返り見る事もなく、すべて
の時間を忘却という過去に消して来たと感じる事があります。
ベランダの日陰で遠い潮騒の音を聞きながら、読書する時間は貴重な人生の
宝の様な時間だと心感じる時があります。
誰にも指図されることなく、眠くなればソファーに寝て、惰眠を楽しみ、目が覚め
ればテーブルの冷たくなったコーヒーを飲んで、目の前に広がる太平洋の海原
に自分の焦点を合わせて、頭の中は座禅を組んだ様に、『無』という静かな広
がりを感じ、全ての神経の接点が新しいスタートを始める様な感じさえ致します。

この歳になり、与えられて心豊かに感じる時間的空間は、何より貴重に感じる
事があり、旅をして異国の何処かの僻地で自分を見詰めて、はっとする様な感
じの時間的空間に類似性も見出す事もあります。
旅をして自分を見詰め、反省して、人生の悟りを感じる空間的余裕も、与えられ
た時間を心豊かに、人生時計を逆算して数えれば、自ずから悟りの境地も味わ
えると思うことがあります。
ふと思い出したことは、マチュピチュの遺跡を訪ねて、インカ帝王が天中の夜空
を見上げて世を占ったという、ワイナピチュウ山頂上の帝王の岩に座り、心を静
め、目を閉じて心静かに瞑想した時の状況が瞬時に脳裏に蘇り、遥か彼方の
遠い時間が一瞬に目の前に現れた様な幻想を感じた事でした。

人はそれぞれに人生を歩き人生を楽しみ、生きて、老いて、生の終着に向かっ
て歩いていますが、人生の黄昏に来て、心豊かさを感じる、緩やかなのんびり
した時間的余裕が、今の私の人生で得た宝だと感じる事があります。