2017年3月12日日曜日

私の還暦過去帳(590)


私の老後引退戦略過去帳(2)

私が南米から帰国して本当の目的は同級生たちも応募して活躍して
いた平和部隊の奉仕活動でした。
日本政府も海外青年協力隊として活動を開始していました。
それに応募してアフリカのモロッコにお茶の試験栽培に行く予定で、
それが終われば結婚してまた南米で、農場を開いて営農する考えで
いました。
その時期にワイフと出会い、このチャンスを逃がせば生涯二度とこ
のような女性と巡り合う事は無いと考えると、熟考して全てを捨て
て結婚致しましたが、これが百年の豊作となりました。
文無しで、帰国する時に香港で有り金全部を使い果たして、郷里の
福岡に帰郷して玄関を入った時にお袋からお守りとして貰っていた
5円玉1個でした。それからのスタートですが、その当時の私は身体
壮健、気力、体力、根気も、南米のジャングル生活で鍛えた、生き
るというタフさも持っていたと思います。
新婚旅行に行き、めでたくハネムーン・ベビーも授かり、がむしゃ
らに働き出していました。トランク一つ、1週間ばかり居た郷里から
東京に出て来た時は2万円の金が財布にあり、直ぐに新聞広告で見つ
けた
当時、赤坂に会った大型キャバレーの「ミカド」と言う所で、従業
員の送迎大型バス運転手の仕事を見つけ赤坂のリキ・マンション近
くに従業員寮もあり、夜の仕事で昼間は殆ど仕事が無いので仕事探
しには最適でした。
大型バスを運転するだけでしたが、これも華やかなネオンの世界を
学ぶ良い人生体験を致しました。

直ぐに知人の紹介で東京で大きなモヤシ栽培の会社に持ち込みの車
で、店にモヤシ配送の請負を契約してバスの運転手は辞めて、少し
貯めた資金で中古トラックを買いその請負を始めました。
朝は4時半から遅くてもスーパーの開店9時前、入荷は8時半までと決
まっていたので、早朝の混まない時間に全部8時ごろには終わり、そ
れからワイフの作った朝食の弁当を食べていました。
瀬田の倉庫に行き、それから冬は11月から2月の終わりまで灯油販売
に打ち込み大きく儲けて、12月と1月は純利益が100万を超え
ていました。税金も凄い金額でしたが、世田谷のはずれや狛江など
の地域は1千万程度で建売が買えていた時代で、マンションも安い
時代でしたが、祖師谷大蔵にボロイ中古住宅を買い、3年して
それを綺麗に自分で改修工事をして2倍で売りまして、狛江に新築
の建売を買い引っ越しました。
古紙の回収も直ぐに軌道に乗りました。最高は石油ショック時代に
古紙の価格が1Kgが54円程度まで値上がりして、1トンが5万
4千円では最高の利益が出ていました。
その当時の新卒の大学出の初任給が11万程度で、手取りにしたら
10万も手にすることが無い金額でした。

その当時、製紙会社が昔からの古紙梱包のワラ縄使用禁止になり、プ
ラスチック縄だけに使用許可がでました。
それはプラスチック縄は、そのまま古紙の溶解炉に投げ込めて、簡単
に全部回収出来て、古紙の品質に影響がまったく無いという事で、日
本中が一時に切り替わり、プラスチック縄が不足して高騰して、大手
1社が独占していたので、それに目を付けて、KNテープという自社
ブランド製品を厚木のプラスチック工場で委託生産をして貰い、それ
を古紙回収業者、マンションの管理人などに販売して、それだけでも
生活費が出るぐらいにルートを開発して軌道に乗せてしまいました。

その頃には朝はモヤシの配送、それが終わると冬は灯油の配達、そ
の合間に古紙の回収でマンションを1週間1回定期収集に行き、倉庫で
古本の分類をして帰りに古本業者に委託して届けて帰宅しました。
知人と同級生の勧めもあり、春から夏は桃とリンゴを冬の灯油販売
ルートに直売も致しましたが、これもよい副収入で、家族に好きなだ
けの桃やリンゴ、ブドウなどを食べさせることが出来たのも有難い事
でした。
今でも古本を見た瞬間に売れる、売れない、価値があるかの判別の特
技があります。その当時、業者仲間価格では、週刊誌が5円、雑誌の少
年マガジンなどは10円、最高は1冊の古本でその当時、2万円以上も手
にした貴重な本がありました。
モヤシ配達はアメリカに移住するまでその収入は全部貯金して、アメ
リカ行きの資金となりました。
6ヵ年1日も休まず、4時に起きてどんな寒い時も疲れていた時も風邪
も引かずに働き、その当時アメリカに行く41年前に、1千万以上は
残していました。それを元にアメリカに移住しても1週間でサンフラ
ンシスコの郊外に250坪敷地の中古住宅を見つけて購入いたしまし
たが。これが現在の豊かな不動産投資の引退資金の源と考えています。

1、私が思うに、老後の資金は若い時に、元気で健康な時に、頑張
  って残してそれを原資として増やすという事が基本だと感じま
  した。
  サラリーマンの知人が退職金を目当てに積み立て年金に加入し
  ていたのですが、それを全てリーマンショック時代の高配当金
  に惑わされて、無くしてしまっているのを見て驚いた事があり
  ます。
  また退職金を株に投資して、最初の投資にかなり儲けてそのあ
  とに失敗して、もっと、もう少し、なんとか取り戻す、塩漬け株
  まで抵当に金を借りてそれが全部裏目に出て全て無くしていたの
  を見て、『それまでが勉強と辞める心と決断がなければ株投資
  は危険と学びました。』
2、何よりも健康が人生の豊かさの基礎となり、老後の健康の基礎
  となる事も現在では感じています。
3、人生の経験と苦労は物事の判断と行動の決心を堅実に決めると
  感じました。
  
これまで全部一人で計画して実行していましたが、冬の11月から2月
までは灯油販売だけは仲間とグループで行動して営業いたしました。
そのアメリカに移住する前までに、年子の様に生まれた子宝に3名
恵まれて、これが何よりの心豊かな希望と将来を託す夢となり、勤
の励みとなりました。ワイフに深い感謝と百姓の心で『人生の大
豊作』と感じています。

2017年3月9日木曜日

私の還暦過去帳(589)

私の老後引退戦略過去帳(1)

私は今年で76歳になりますが、これまで私が引退してからの戦略を何
かの参考になればと書いています。
私は今までサラリーマン家業は一度もありません。

若いころは百姓をしていましたが、現在は趣味としての裏庭百姓です。
自営で働きだしたのは南米から日本に帰国して、まずサラリーマン家業
は出来ないので、自営で働く事に決心して人生の我が道を歩き出しまし
た。まず、人間の根本として、見栄、虚勢、学歴、過去の仕事のポジ
ションなどが邪魔をして引退してからも、身を捨てて浮かぶ瀬ありの
格言を忘れていると感じます。
これも農大の学生時代に、百姓は売れないときは自分でリヤカーを引
いても作物を売り歩いて家族と自分の農業の糧を得なければならない
と、農場で収穫した作物をリヤカーで売り歩く実習を致しましたが、
これが世田谷と分校があった茂原と厚木で致しましたが、人生でこれ
が一番大きな勉強になったと感じます。
リヤカー1台、当時の金で500円とか最低価格を決められていましたが、
それだけの価格で作物を売ればよいので少しは気が楽でした。
工事現場の飯場でリヤカー1台全部買ってくれたので、早々と馴染みの
屋台に寄り仲間で焼酎のコップ酒を飲んでいたら、先輩に見つかりど
やされた事もあります。
その様な経験を積んでいたので、南米でも自分の収穫物を引き売りを
して食べていた時があります。引き売りの帰りに食料を買い、燃料を
買い、トラクターの部品を買いました。
この様な経験から恥ずかしいのは自分だけで、他人は何も感じないと
いう事を知りました。まず見栄虚勢を無くすれば、たとえ引き売りで
も十分に儲けがあり、食べる以上にもなることを身をもって学びました。

まず生きるという商売の基本は、
1、日銭が毎日入ること、これで帰りには食料や必要な物が買える。
2、資本が要らない、要っても僅かな金で始めることが出来る資金的
  な余裕。
3、人が食べて、使って、消費して毎日でも必要になる物、

南米から日本に帰国して始めたのが、当時多摩ニユータウンなどが建設
中でしたが、その当時日本は冬の暖房に灯油を使う、ストーブと電気コ
タツが殆どでした。
今では日本でどこでも見られる、小型のタンク車で灯油の販売を東京で
最初にグループで始めました、2000リッタ容量タンクを2トン車に
載して、最初に東京消防局から認可を得たのも最初でした。
コマーシャルソングも1曲、10万程度払い制作してスピーカーで巡回
販売をグループで始めました。これが最高に当たり、第一次石油ショ
ックも入り、一日最高は大型タンクローリー車1台半、1万5千リッタほ
ど売りました。
それとその当時、雨後の竹の子も様に出来ていたマンションの建物
から出るリサイクルの古紙などが平均、1日で多い時は200kgほ
ども出るマンションが有り、管理人と契約してそれを何軒も開拓して
契約して、世田谷の瀬田に倉庫を借りて、そこに集めて厚木の製紙工
場に4トン車で直納していました。
特に週刊誌、漫画本、雑誌などは読まれると直ぐに捨てるので、古物
商の鑑札を警察から許可されて倉庫に集めて、業者の古本市に出すと、
毎週それだけで倉庫の家賃と43年ほど昔に2万円ほどの余禄になりま
した。
その様なビジネスも対抗業者や、真似する業者が出てくると、資金
を貯めて、これまでが勉強と、経験を学び、生きる自信が付いてアメ
リカ移住を計画して家族でアメリカに移住致しましたが、ビジネスを
売り、車を売り、家や家財道具も全部売り払い、何も未練なくそこま
でが人生の勉強とアメリカに移住致しました。