2017年3月9日木曜日

私の還暦過去帳(589)

私の老後引退戦略過去帳(1)

私は今年で76歳になりますが、これまで私が引退してからの戦略を何
かの参考になればと書いています。
私は今までサラリーマン家業は一度もありません。

若いころは百姓をしていましたが、現在は趣味としての裏庭百姓です。
自営で働きだしたのは南米から日本に帰国して、まずサラリーマン家業
は出来ないので、自営で働く事に決心して人生の我が道を歩き出しまし
た。まず、人間の根本として、見栄、虚勢、学歴、過去の仕事のポジ
ションなどが邪魔をして引退してからも、身を捨てて浮かぶ瀬ありの
格言を忘れていると感じます。
これも農大の学生時代に、百姓は売れないときは自分でリヤカーを引
いても作物を売り歩いて家族と自分の農業の糧を得なければならない
と、農場で収穫した作物をリヤカーで売り歩く実習を致しましたが、
これが世田谷と分校があった茂原と厚木で致しましたが、人生でこれ
が一番大きな勉強になったと感じます。
リヤカー1台、当時の金で500円とか最低価格を決められていましたが、
それだけの価格で作物を売ればよいので少しは気が楽でした。
工事現場の飯場でリヤカー1台全部買ってくれたので、早々と馴染みの
屋台に寄り仲間で焼酎のコップ酒を飲んでいたら、先輩に見つかりど
やされた事もあります。
その様な経験を積んでいたので、南米でも自分の収穫物を引き売りを
して食べていた時があります。引き売りの帰りに食料を買い、燃料を
買い、トラクターの部品を買いました。
この様な経験から恥ずかしいのは自分だけで、他人は何も感じないと
いう事を知りました。まず見栄虚勢を無くすれば、たとえ引き売りで
も十分に儲けがあり、食べる以上にもなることを身をもって学びました。

まず生きるという商売の基本は、
1、日銭が毎日入ること、これで帰りには食料や必要な物が買える。
2、資本が要らない、要っても僅かな金で始めることが出来る資金的
  な余裕。
3、人が食べて、使って、消費して毎日でも必要になる物、

南米から日本に帰国して始めたのが、当時多摩ニユータウンなどが建設
中でしたが、その当時日本は冬の暖房に灯油を使う、ストーブと電気コ
タツが殆どでした。
今では日本でどこでも見られる、小型のタンク車で灯油の販売を東京で
最初にグループで始めました、2000リッタ容量タンクを2トン車に
載して、最初に東京消防局から認可を得たのも最初でした。
コマーシャルソングも1曲、10万程度払い制作してスピーカーで巡回
販売をグループで始めました。これが最高に当たり、第一次石油ショ
ックも入り、一日最高は大型タンクローリー車1台半、1万5千リッタほ
ど売りました。
それとその当時、雨後の竹の子も様に出来ていたマンションの建物
から出るリサイクルの古紙などが平均、1日で多い時は200kgほ
ども出るマンションが有り、管理人と契約してそれを何軒も開拓して
契約して、世田谷の瀬田に倉庫を借りて、そこに集めて厚木の製紙工
場に4トン車で直納していました。
特に週刊誌、漫画本、雑誌などは読まれると直ぐに捨てるので、古物
商の鑑札を警察から許可されて倉庫に集めて、業者の古本市に出すと、
毎週それだけで倉庫の家賃と43年ほど昔に2万円ほどの余禄になりま
した。
その様なビジネスも対抗業者や、真似する業者が出てくると、資金
を貯めて、これまでが勉強と、経験を学び、生きる自信が付いてアメ
リカ移住を計画して家族でアメリカに移住致しましたが、ビジネスを
売り、車を売り、家や家財道具も全部売り払い、何も未練なくそこま
でが人生の勉強とアメリカに移住致しました。

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