2022年3月2日水曜日

私の還暦過去帳(770)

 平和憲法9条を考える。

戦いでも自衛の銃器を持って戦闘をした方は少ないと思い
ます。

私の南米時代はゲバラの活動している時代で、キユーバ革命
が成立して社会主義革命に世界が揺れていた時代でした。
私が営農していた農場も国境警備兵が馬で1個小隊巡回に来て
いました。
彼等の銃器は実弾が装填され、朝露にびっしょり濡れて『何
か暖かい物を下さい』と来ていたので、よく食べさせていま
したが、ドアを開け放して、入り口にライフルを組んで立て、
テーブルで食べていました。

私の農場も多種の銃器を備えていましたが、夜間に番犬が吠
える方角に15度ぐらいの角度でカービン銃で30発のバナナ弾
倉の全弾を打ち込んでいました。
するとピッタリ番犬が吠えなくなり、元の静かさになりまし
たが、銃器を持っのは殺傷だけではありません、戦いを防ぐ
手段にもなるのです。
ゲリラも土蔵造りの家で、番犬も3匹居る、銃器も十分に持
って居る農場は襲いませんでしたが、ベルメッホ河の対岸の
農場は襲われて労務者に支給する食糧や医薬品などを奪われ、
支配人が撃たれて瀕死の重傷を受けました。
私の農場には森に住むマタッコ族のインジオを雇い、周りの
偵察と警備をライフルを持たせて備えていました。

『備えあれば憂いなし』という諺の様に、襲われれば反撃し
ていましたが、私もライフルで2回、拳銃で1回ほど反撃して
無事に何事もなく生活することが出来ましたが、襲撃され、
撃たれた方角のジャングルに対して、その周りに点射して応
射していましたが、弾丸の飛来音の不気味な音を今でも覚え
ていますが、戦いに身を置いて考えると・・・、

日本の様な平和教育で洗脳され平和9条の条項を護身符とす
るのも良いかもしれませんが、戦争や紛争、動乱、革命など
の戦いには自分と家族、周りの社会と祖国を守るには、戦い
もしなければなりません、其の為には相手を殺傷する事も厭
わない事を頭に置いて下さい。
ゲリラに射殺された腐乱死体をジャングルで見た事もありま
すが、平和は戦いに身を投じた者が現実に語れると思います。