2023年2月25日土曜日

私の還暦過去帳(775)

  私の家族には次男のワイフはユダヤ人です。家族の中にユダヤ民族の血統を引く人間がいる家族は少ないと思います。

次男の結婚指輪は、ワイフから結婚で贈られた指輪ですが、ワイフの家族に大戦中にユダヤ人を強制収容所に送られる時に、庭に埋めて、貴金属や宝石類など隠して行ったと言う事で、アウシュビッツ強制収容所から戦後僅かな人間が生き残り、その内にワイフの家族も居たと言う事で、戦後、埋めた貴金属類を所持して次男の結婚の時に記念する指輪を贈られたと言う事で、それと次男が結婚して10年以上になり、家族として思考、物事の判断、政治的な所見などをユダヤ民族的な考えを学びました。此のことは批判する価値判断の対象物を得た事になります。それと、60年近く前にパラグワイに移住した事により、南米に第二次大戦から逃げて来たユダヤ民族と沢山友として、仲間として生活して、膝を交えて話した事が、ユダヤ民族を知るきっかけになりました。パラグワイから出て来て、アルゼンチンで最初に身元保証人になってくれた人物もユダヤ人弁護士で、アルゼンチンの首都ブエノスで、日本人会館の宿泊場にパラグワイから来て泊まっていた時に、近くのイタリア人レストランで魚を食べられるので、格安で美味しく、毎日通っていました。ユダヤ人も肉を食べない日があり、そこで知り合ったユダヤ人が、私は台湾生まれの、戦後背中にリックと肩に水筒を下げて郷里の福岡に引き揚げて来て、空腹な時があったと言うと、心打ちとけて、アウシュビッツ強制収容所で入れた、腕の死の入れ墨番号を見せてくれました。私は実際の死の入れ墨番号を見たのはショックでした。彼が生き残ったのは精密研磨のプロで、軍需産業の地下トンネルで働いて居たと言う事で、戦後兄弟を頼ってブエノスに来たと話していましたが、その当時、ナチ残党が南米に逃亡して来て、アイヒマンや死の天使、ジョセフ・メンゲルなどが居ましたが、死の天使メンゲルがパラグワイの黄金の三角地帯、アルゼンチンパラグワイ、ブラジルのパラナ河を挟む日本人移住地近くに潜んでいる時期で、近寄れるのは日本人で、日本語を話し、百姓の風情で射撃が上手な若者でなければメンゲルの暗殺を実行できないと言われ、イスラエルが独立して、初めてユダヤ人民族の抹殺を計った人物を捕らえ、暗殺で抹殺することが出来ると彼は話して、「民族は国家なり。ユダヤ民族が世界を幾千年流浪しても、ユダヤ民族が居る限り、民族は国家なりと・・・。」彼がきっぱりと言いました。メンゲルの抹殺は他のユダヤ人からの依頼でしたが、彼も「ユダヤの民族が独立国家で、イスラエルを建設したから追訴出来るのだ・・」と言いました。このことは彼の依頼がなければパラグワイまでメンゲルを探しに行く事も無かったと思います。結論としてメンゲルはパラグワイに居るナチ残党のヘルプで土壇場で、ブラジルに逃亡しました。アメリカに来ても、不動産管理業で引退までビジネスを開いていましたが、客の半分はユダヤ人で、半分はチャイニーズ達で、中にはロシア革命で上海からアメリカに移住して来たユダヤ人、戦争中日本に居た日本語ぺらぺらのユダヤ人、イスラエルから徴兵忌避でアメリカに来たユダヤ人若者、1937年頃アメリカに逃げてきたが、入国できなくプエルトルコに住んでいたスペイン語ぺらぺらのユダヤ人、祖国のイスラエルのアラブとの戦争に参加して戦死した者、大学教授のユダヤ人宅を長く管理した事もあり、彼等が世界のどこに住んでいても、どこに行く事になっても、身体と頭脳があればユダヤ民族を繁栄させる事が出来ると言いました。次男のワイフもバークレー大学の教授で、平均以上に頭脳の優秀な人、ビジネスがうまい人が多く居ると感じます。