2015年6月26日金曜日

私の還暦過去帳(579)


『ハワイ症候群のハワイ大好き症』

ハワイに滞在して、日本人シニアと話す機会があり、引退者の本音を聞く
事がありましたが、長期滞在者達の根本的には、ハワイの生活費の物価
高や滞在宿泊費の高騰などにも耐える余裕があることが、まず第一と感じ
ます。それが前提で、余裕ある長期滞在の楽しみを味わっていると感じます。

今ではハワイだけでは無く、もっと近くのグアムやサイパンなどの米領の
島でも長期滞在が楽しめる施設もありますが、やはり魅力的なハワイの
感動が滞在者のDNAに焼き付いた様に、年齢に関係なく、歳を取っても
忘れずに、渡り鳥の様に帰巣本能を刺激するのか、ハワイに来て、ぼんや
りと徘徊している人達を見ますが、それが高じてコンドを購入して6か月
の長期滞在をしている人も見かけます。

私が2年前に来た時に知り合った80歳近い方は、買取のコンドに一人住
んで近くのスーパーで惣菜を買い、昼間の暑いときは長々と昼寝して、
日が暮れてから活動しだす生活の毎日でも、満足という自己本能的なハワイ
陶酔の中で暮らして比較対象物という物も無くして、狭いコンドの部屋に住
んでハワイ自己陶酔の境地に入って入る方も見ました。

ある方は今までハワイに50回以上も訪問して全ての事に成熟の悟りの境地
とも感じる、『ハワイ症候群のハワイ大好き症』とも感じる人も会いました
が、私にとってはその方に羨ましいと感じる、その方への羨望感を感じる事
があります。
人はそれぞれで、全てが自己責任の人生街道を歩く道行と思いますが、
このハワイでシニアの人生縮図を目の当たりに見る感じが致します。

2015年6月13日土曜日

私の還暦過去帳(578)

歩いた道は懐かしい思い出の道なり、

ここまでで百姓の経験と自営業生活をして人生を生きた者として、
自分が歩いて来た道を振り返ると感慨深いものがあります。
アメリカに来ても自営のビジネスで、趣味が裏庭百姓でしたの
ゴルフもマージャンもパチンコも付き合い酒もなく、カラオケも
同窓会の時に1度だけ行き、タバコの煙で死にそうになり、そ
れ以来一度も誘われても行くような事はありません。

アメリカで仕事をしていても携帯電話1個で全て用が済み、何か
の時は、そこを写真で写して、メールで送るだけで、後は電話
で話して説明して、何処の専門業者に連絡しなさいと言うだけで
した。
客と不動産売却などで契約が切れると、私のIRSの納税番号と
住所と家の電話を渡して、携帯電話番号も受信拒否にして
終わりでした。
うるさい何も知らないチヤイニーズなどの客は、トラブルを
良く説明しても納得しない時は、それで契約解除でした。
即解約の期限がない時はその場で終わりで、30日間の
予備期間がある時は他の業者が見つかるまで待ちました。

言われたら言い返して、怒鳴りあいも平気で、カメラで証拠
を保存していますので、それと長年の作業日誌を几帳面に
書いて残しています。
それはアメリカでは裁判証拠となり、それに反論して、写真
などの証拠を持って来られる者は皆無でしたので、3回の
裁判沙汰も全部勝訴でした。
一度など車に入れている5年分の日誌を出して、弁護士の
前で見せるとそれだけで相手の弁護士が『これでは裁判し
ても負ける』と言って帰って行き、訴訟取り下げでした。
管理して居た不動産の持ち主も喜んでくれ、ボーナスを貰っ
たことがあります。
大抵はアパートなどのテナントが言いがかりを付けて、何も
知らないチヤイニーズ達から金を取ろうと考えているテナント
でした。
そんな事があり彼等から絶大な信用を得て、それとユダヤ
人達からも頑固一徹者として、糞まじめに契約を守る日本人
として、大きな信用があり、引退まで平々凡々と家族でアメ
リカ生活を楽しんで来ました。
ブラジルやシンガポール、香港などに居るオーナーも居ました
が、信用という金銭に換えられない物で、任せてくれていた人
達を思い出します。
普通の巡回点検は同じ不動産管理でも、それこそ何でも知
り尽くして、修理など細かな仕事は時間30ドルで請求を月
末にメールで送り、お客から小切手振込みでした。

年間10日の休暇は契約書に書いてあり、週末と祝日祭日は
勿論の事に契約で休みでした。雨が降ろうが、晴れ様が毎月
フラット・レートの請求で月末には契約金額が送られて来ていま
した。
殆どの契約物件は毎週1回の巡回点検でしたが、平均30分
から掛かっても大きな所で1時間でした。最盛期には土曜日も
歩いていました。
最高は持ち主のオーナーと3年間も会うこともなく、電話1本で
仕事でした。休暇は2回に分けて土・日曜を入れると1週間休
るので、良くハワイなどは行きました。
平凡で毎週同じコースで、しばらくして殆ど固定客ばかりとなり、
テナントからのトラブルなどは、電話でそこのスイッチを切っ
て、ヒユーズを取り替えてとかで対処していました。
それでダメな時は車を飛ばして行き、直ぐに修理したり、専門家
を呼んでいました。
遅くとも6時には帰宅して、夏時間で明るい時間を裏庭百姓を楽
しんでいましたが、
年間8ヶ月は家族で食べる以上は栽培した野菜類を食べていま
した。そんな生活でしたが、休みの日は部屋の建て増しや、模
様替え、ペイント塗りに大工仕事などもして、造園も設計、施工
なども全部自分で致しました。
仕事で覚えたノウハウで不動産を投資で購入して、修理して転売
して儲けた事もあります。今では値上がりが激しいので簡単には
出来ませんが、私は良い時期にアメリカに住み着いて、これまで
家族と過ごして来たと感じます。
サラリーマンではないので上司も同僚も居ませんが、オーナとは
対等でビジネスを共に管理するという精神でしたので、亡くなっ
たり、引退して不動産売却して他州に引越しとか、台湾に帰っ
たとかで最後まで、友達で仲間でした。
一番古い客は最初に契約した香港から来た女性で最後に貴方
引退するまで、面倒見てくれと言われて、かれこれ40年近
い付き合いでした。
引退して別れた昔のオーナー達の亡くなられた話を聞くと、何
か昔の元気な頃の出会いと、長く共に歩んだビジネスの遍歴を
思い出します。

2015年6月7日日曜日

私の還暦過去帳(577)


日本の自転車運転新法律、

アメリカでは殆どの州が16歳で運転できます。
私の長男は16歳と1ヶ月で運転しました。
全て学校で運転教習が必修で、州の教育予算からその当時は全額出
ていました。
私の次男が高校を卒業と同時に自動車無料教習は州の予算の関係
で廃止になりそれからは生徒が費用の一部を負担する方法に代わり
ました。
学校で教習が合格できない生徒は18歳まで運転できない事になって
います。卒業して自分の金で教習所に通い、運転免許を取らなければ
なりません。
日本では高校の校長が、私の目が黒い間は一人として運転免許は生
徒に取らせないと言う、おかしなシステムです。

アメリカは必修科目でかなり激しい路上運転も教えられます。
日本は学校で必修科目として自転車と車の運転をさせて、基本から、
マナーとして身体に覚えさせる事が抜けて居ると感じます。

カリフォルニア州の私が住む学校区ではそんな運転事情ですから、自
転車も同じで、学校に自転車通学を希望する生徒はまず警察のボラン
ティーヤなどの人が来て、講習と試験があり校庭を走らされ、信号など
の実地テストも受けなければなりません。
必ずヘルメットを義務付けられ、学校に自転車で来る時にポリスなどの
補導を受けると自転車通学が禁止されます。
何事も幼い時からの社会責任を負わされるのです。
これはオートバイも同じで、生徒が暑い日に校庭をぐるぐる回って練習
させられて居る光景をよく見ました。
近所の台湾人家庭に夏休みに台湾から中学生が遊びに来て、自転車
で歩道走行で、パトカーに捕まり、自転車は取り上げられ、歩いて帰宅
させられていました。
50ドル程の罰金も課せられ、罰金を支払うチケットと封筒をお土産に持
たされ、べそをかいて泣きそうでした。
台湾は歩道を走れるなど反論しても、それでは裁判所に出頭して自分
で文句を言えと言われた様です。
アメリカは子供の自主性を重んじて、責任を持たせます。自動車運転
保険も殆ど夏休みなど、自分で働いて払います。

運転する責任感を持たせる為です。
私の子供3人とも自分で働いて払いました。勿論の事にガソリン代も自
己責任で払います。それで責任感を養い、社会で一人の人間として生
きて行く基礎を習う事にもなると思います。
それに高校卒業前には社会科の勉強で、納税の仕組みと税金申告用
紙の記入方法や、税金の還付なども習い、国民の義務として納税の根
本を理解させ、義務としての精神を学ばせます。

私の子供3人は卒業しても直ぐに翌年からの国税と州税の支払い
申告をを自分でしていました。
その様な社会の基礎訓練をするアメリカ社会では、18歳で高校を卒業
と同時に結婚するような者もいます。アメリカに日本からサマースクール
などの短期滞在でホームステイする日本人の若者達が、何かひ弱に感
じるのは私の独断と偏見かもしれませんが、私の間違いでしょうか?

2015年6月6日土曜日

私の還暦過去帳(576)

ハワイ良いとこ一度はおいで・・?

カリフォルニア州に住んで40年、今までハワイには良く
通いました。
アメリカに居ると飛行機会社とタイアップして、ホテル業者
が格安で空いた部屋を売るためにパック旅行を期間限定で
致します。
おかげで何度も、え~!と驚く値段で4泊5日などでオ
アフ島などに行きました。
それもレンタカーも含めてですから、ウハウハでした。
昔は農協の団体さん達が、それこそゾロゾロに感じで、歩
いていましたが、その方たちの通訳をお土産屋でするのも
楽しい事でした。私はどちらかと言うとハワイ現地人の感じ
で、ペタペタと草履と半ズボンにアロハシャツで、日に焼け
て、これは元々、カリフォルニア焼けですが、今でもこの歳
になっても同じ姿です。

殆ど安宿の自炊ですから、ステーキなどの肉類はお店に座
ってぼられる値段で食べる事など皆無です。レンタカーで島
の裏側に行き、ローカルの店で家族が食べに来るような店で
食べていましたが、ワイキキの半値以下の値段でもっと美味
しい料理でした。
タロイモの料理などもあり、ポイなどという物も出てきました。
今でもワイキキ近くの店で日本人観光客が有名店に並んで
食べている姿を見ると、これでハワイの税収が増えると感じ
て見ていました。
近年に嬉しかった事は丸亀うどんが出店したことです。
丸亀うどんでも全体でピカ一の売り上げとか、さもあらんと感
じる行列ですが、すぐにどの時間帯が比較的空いているか分
かりますので、待たずにすぐに座れて、天ぷらも売り切れが
無いのを見て上手く注文して食べています。


今はカリフォルニアの乾燥した、晴れた爽やかな気候に慣れ
切った身体は、ハワイの気候は蒸し暑く雨が多く、最近の中
国人の団体観光客達のすさまじさを見て、まさかという店に、
どこでどう知ったか中国人たちが、ぞろりと並んでいるのを見
ると、へきへきとして完全に食欲まで無くす事があります。

早朝の散歩も、公園の芝生で太極拳をする中国人の集団な
どを目にすると、ここはどこかと感じる事もあり、ワイキキビー
チの海岸で、これも集団で証拠写真を残すかに見える、中
国人たちの集団撮影会を見ると、これまたここはどこかと感じ
ます。
それが長々と周りの人達など目に入らない感じで、大声で
話しながら右を向けとか、左を向けとか話しているような感じ
の風景を見て、道路隔てたマクドナルド前の歩道一杯に広が
って歩く騒がしい中国人の広東語を聞くと、ワイキキなど新宿
駅のプラットホームの雑踏を思い出します。


私もハワイに通って40年、また17日から2週間ハワイに
滞在しますが、そろそろ今年で卒業の時期かと感じるこの頃
です。