2015年6月13日土曜日

私の還暦過去帳(578)

歩いた道は懐かしい思い出の道なり、

ここまでで百姓の経験と自営業生活をして人生を生きた者として、
自分が歩いて来た道を振り返ると感慨深いものがあります。
アメリカに来ても自営のビジネスで、趣味が裏庭百姓でしたの
ゴルフもマージャンもパチンコも付き合い酒もなく、カラオケも
同窓会の時に1度だけ行き、タバコの煙で死にそうになり、そ
れ以来一度も誘われても行くような事はありません。

アメリカで仕事をしていても携帯電話1個で全て用が済み、何か
の時は、そこを写真で写して、メールで送るだけで、後は電話
で話して説明して、何処の専門業者に連絡しなさいと言うだけで
した。
客と不動産売却などで契約が切れると、私のIRSの納税番号と
住所と家の電話を渡して、携帯電話番号も受信拒否にして
終わりでした。
うるさい何も知らないチヤイニーズなどの客は、トラブルを
良く説明しても納得しない時は、それで契約解除でした。
即解約の期限がない時はその場で終わりで、30日間の
予備期間がある時は他の業者が見つかるまで待ちました。

言われたら言い返して、怒鳴りあいも平気で、カメラで証拠
を保存していますので、それと長年の作業日誌を几帳面に
書いて残しています。
それはアメリカでは裁判証拠となり、それに反論して、写真
などの証拠を持って来られる者は皆無でしたので、3回の
裁判沙汰も全部勝訴でした。
一度など車に入れている5年分の日誌を出して、弁護士の
前で見せるとそれだけで相手の弁護士が『これでは裁判し
ても負ける』と言って帰って行き、訴訟取り下げでした。
管理して居た不動産の持ち主も喜んでくれ、ボーナスを貰っ
たことがあります。
大抵はアパートなどのテナントが言いがかりを付けて、何も
知らないチヤイニーズ達から金を取ろうと考えているテナント
でした。
そんな事があり彼等から絶大な信用を得て、それとユダヤ
人達からも頑固一徹者として、糞まじめに契約を守る日本人
として、大きな信用があり、引退まで平々凡々と家族でアメ
リカ生活を楽しんで来ました。
ブラジルやシンガポール、香港などに居るオーナーも居ました
が、信用という金銭に換えられない物で、任せてくれていた人
達を思い出します。
普通の巡回点検は同じ不動産管理でも、それこそ何でも知
り尽くして、修理など細かな仕事は時間30ドルで請求を月
末にメールで送り、お客から小切手振込みでした。

年間10日の休暇は契約書に書いてあり、週末と祝日祭日は
勿論の事に契約で休みでした。雨が降ろうが、晴れ様が毎月
フラット・レートの請求で月末には契約金額が送られて来ていま
した。
殆どの契約物件は毎週1回の巡回点検でしたが、平均30分
から掛かっても大きな所で1時間でした。最盛期には土曜日も
歩いていました。
最高は持ち主のオーナーと3年間も会うこともなく、電話1本で
仕事でした。休暇は2回に分けて土・日曜を入れると1週間休
るので、良くハワイなどは行きました。
平凡で毎週同じコースで、しばらくして殆ど固定客ばかりとなり、
テナントからのトラブルなどは、電話でそこのスイッチを切っ
て、ヒユーズを取り替えてとかで対処していました。
それでダメな時は車を飛ばして行き、直ぐに修理したり、専門家
を呼んでいました。
遅くとも6時には帰宅して、夏時間で明るい時間を裏庭百姓を楽
しんでいましたが、
年間8ヶ月は家族で食べる以上は栽培した野菜類を食べていま
した。そんな生活でしたが、休みの日は部屋の建て増しや、模
様替え、ペイント塗りに大工仕事などもして、造園も設計、施工
なども全部自分で致しました。
仕事で覚えたノウハウで不動産を投資で購入して、修理して転売
して儲けた事もあります。今では値上がりが激しいので簡単には
出来ませんが、私は良い時期にアメリカに住み着いて、これまで
家族と過ごして来たと感じます。
サラリーマンではないので上司も同僚も居ませんが、オーナとは
対等でビジネスを共に管理するという精神でしたので、亡くなっ
たり、引退して不動産売却して他州に引越しとか、台湾に帰っ
たとかで最後まで、友達で仲間でした。
一番古い客は最初に契約した香港から来た女性で最後に貴方
引退するまで、面倒見てくれと言われて、かれこれ40年近
い付き合いでした。
引退して別れた昔のオーナー達の亡くなられた話を聞くと、何
か昔の元気な頃の出会いと、長く共に歩んだビジネスの遍歴を
思い出します。

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