2015年5月19日火曜日

私の還暦過去帳(572)

移民とラーメン

ラーメンも数ありますが、どれが美味しいかは、これは一口には言えません。
私がラーメンに出会ったのは、住んでいた福岡県の大牟田市で中学生時代
に大きなノボリを店先に出して、『大牟田ラーメン』と言う名前で呼ばれて
居た店を覚えています。
豚骨の白濁したスープに、チヤーシューとメンマにネギと赤い紅しょうがの
刻みが乗っかっていました。独特の匂いと味です。麺は細く、腰の強い感
じで、慣れないと癖のあるラーメンに感じます。
それにニンニクの摩り下ろし、胡椒などがカウンターに置いてあり、昔のこと
ですから、ラーメン・ライスも注文できました。ライスの上には沢庵が2切れ
付いていました。
こずかいを貯めて良く食べに行ったことがあります。友人達もそのラーメンが
好きで、誘うと必ず4名ぐらいには直ぐになりました。
ランチにライス付を注文して、ラーメン・ライスでお腹が脹れて満足していまし
たが、そんな味に慣れて上京して東京で学生生活を始めると、ラーメンは
醤油味のラーメンだけで、とても満足できる物ではありませんでした。

しかし東京にも慣れて、新宿や渋谷に遊びに行く様になり、探すと結構色々
な店が有る事が分かりました。私の東京時代は東京オリンピック前で、まだ
新宿西口辺りには戦後のバラック飲み屋街が残っている時代で、軍隊酒場
とかもありました。
そんなラーメン体験をして、南米のパラグワイに51年も前に単身移住して
行きましたが、最初の停泊地はロサンゼルスの港でしたが、移住者達の
希望者が市内観光にバスで出かける事ができましたが、通称『リトル東京』
に行くと、懐かしい食堂風のレストランがあり、うどん・ラーメンと店先に出て
いるではありませんか、余り時間がないので、直ぐに出来るか聞いてから
ラーメンを注文いたしました。
関東風の醤油味のラーメンでしたが、海外で最初に食べたラーメンでした。
それからサンパウロに行き、通称、『御茶ノ水橋』近くの日本街のレスト
ランでタン麺風のラーメンを食べた記憶があります。
それとブラジルの国民食、フェジョン豆の煮込みも食べましたが、私が感じ
た事は、日本人が集まる所は必ず、うどん、蕎麦、ラーメンの3種類は必
ずあると感じました。
アルゼンチンに上陸して、パラグワイ行きの国際列車を待つ間、日本人会館
のレストランで食べたラーメンは、肉うどんの感じが致しましたが、それも
ラーメンだという事で、ありがたく食べた記憶があります。
パラグワイに行き、手打ちうどんや、うどん風のラーメンも食べましたが、精
一杯頑張って、スープから麺まで作り、『美味しいパラグワイ風ラーメン』を
食べてと言われた時は、感謝の気持ちで一杯でした。
時は代わり、バンコックのタイの首都に来ていますが、ラーメンの本格的な
ものが食べられ、それも色々と日本の有名店のラーメンがあるのですから、
これまた驚きを感じます。それだけ世界が狭くなったと思います。




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