2014年12月1日月曜日

私の還暦過去帳(564)


私の人生で印象に残る方が居ます。

彼は海外飛躍を決めて、その自分が定住する場所を探して歩いてい
ました。
彼の哲学は単純で、明快でした。
彼は昔、集団就職で当時春先に運転されていた臨時の列車で東北から
東京に中学卒業すると同時に就職して来た若者でした。
その当時、彼は手に職を持つ事を考えて、板前修業に料亭の下働きから
始めた様でした。彼は何処かの大使館のガーデンパーテイに下働きで行
き、そこで華やかな外人達の宴会を見て、日本語が話せる係りに、『海外
で言葉が話せなくても、腕に自信があれば何処でも雇ってくれ、永住権
も簡単だ』と言われて、彼は3男で全く自由の身で、親からも『お前の
世話は出来ないので、自分で生きて行け』と言われていた様でした。
 

彼は板前修業を積んで、こつこつと貯めた貯金と親方が暖簾分けという
開業資金で、まとまった金額をボーナスとして彼がそこを辞める時に
貰った様でした。
彼はそこを辞めてまず、彼は南米に行きたいので、南米の貴国大使館

のコックの下働きに入り、そこで洋食やテーブル飾りなどの基礎を習い、
食事のマナーなども覚えたと話していました。

そこで居た2ヵ年近くで、洋食のフランス料理やテーブルマナーや飾り
なども全部覚え、スペイン語の簡単な会話も努力して覚えた様でした。
彼はそこを辞めて旅に出る時には、大使館のコックとしての信用状も、
南米に来たら働ける様に、仕事の紹介状も貰っていた様でした。


彼はそこで貯めた資金も足して、パスポートと包丁一式晒しに巻いて、
金はトラベル小切手に代えてロスから入国して、見たかったデズニー
ランドを見物してから、メキシコから歩き出した様でした。

彼と会った時はアルゼンチンのブエノスで1965年当時、大洋漁業が
開いていた和食レストランの『マグロの家』と言う所で働いていました。
そこに来るまでに何処か南米の日本大使館に働いたり、チリの首都で
レストランで働いたりしていたと言う事でしたが、彼は若い時に一度
ヨーロッパも見て、経験したいという事で、ブエノスからイタリアに
渡ると話していました。

彼が『包丁一本晒しに巻いて』、と言う人生経験も中学卒には、十分
過ぎる人生だと話していた事が印象に残っています。

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