2014年10月6日月曜日

私の還暦過去帳(557)


昔の写真から・・、

先日から書斎の整理をしていました。
すでにビジネス関係は、あらかた税金関係も書類の保存義務も
過ぎて、殆んど破棄してしまいました。

貴重な、すでに亡くなった友人などの手紙も 読み返して記憶に
納めて、それも破棄致しました。
中から出て来た写真は手元に留めていましたが、かたずけの手を
休めて秋の昼下がりのお茶の時間に、ぼんやりと眺めていると、
過去に消えた遠い昔の思い出が、ふと・・、思い出され、懐かし
い顔も浮かんで来ました。
過去に流れ、二度と戻らない時の模様が灰色に染まり、そこの
僅かな隙間から、漏れ来る光のように、懐かしい顔がまぶしく
感じていました。
忘却からの長い時間を経て、昔の写真を見て思い出した事は、時
が止った50年も昔の光景でした。
時は流れても、記憶から蘇った光景は何か輝いて居る感じでした。

昔の記憶から取り出した一枚の写真でしたが、私がパラグワイから
アルゼンチンに出て来て、将来を模索して人生の道を探していた
短い間の事でした。
知人の紹介で働いていた所の園芸屋が、ブラジルに最初に笠戸丸
という移民船でブラジルに移民して、それから数年も経ずに、
当時の第一次大戦の影響で好景気のアルゼンチンにブラジルから
転住して来た家族達でしたが、その当時、母親だけは生きていて、
ご主人と長女の婿はすでに亡くなっていましたが、男の子供達が
5名も居て、それに次女の婿も働いていましたので、かなりの大家
族で店を支えていました。
その母親の苦労した話を聞かせて貰いましたが、ある日、私が潅水
をプラントにしながら、水加減を見ていたら、母親が自分で育てて
居るトマトの苗に水を与えに来て、『見てご覧なさい、ゴマ粒ぐらい
のトマトの種が、私の背丈以上も伸びて、枝が折れるぐらいにトマト
が成るのは、苗を地面に植えて、肥料をやり、水を与え、手入れを
するからこのトマトを手にして食べられるのだから・・』と言って

『貴方もこのアルゼンチンに根を下ろしたら、このトマトのように
自分を育てる様に頑張りなさい・・』と励ましてくれました。
側の小屋を指差して、『この小屋は家族で建てたものだ・・』と教
えてくれ、アメリカから輸入されるフォード車の枠木だったと話して
、この小屋に家族が寝起きして、今の基礎を築いたと話していま
した。

昼はそこにある昔からの粗末なテーブルでランチを食べていました
が、食後に母親が木の下の、涼しい木陰で子供達と家族がマテ茶
のボンベを飲みまわして、寛いでいる姿をジッと見詰める姿を思い
出します。

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