2014年8月21日木曜日

私の還暦過去帳(553)

 
後に続くを信ず
 
先の大戦で多くの先人が「後に続くを信ず」と言い遺して死んでいってか
ら70年が経とうとしています。英霊の方々は現在の日本を見て、どう思わ
れるのでしょうか。

数年前、90歳の戦争未亡人が歌を詠みました。

「かくまでに 醜き国に なりたれば 捧げし人の ただに惜しまる」。
これは英霊の方々の想いにも通じるものではないでしょうか。このままの
日本では申し訳がありません。
8月15日が今年も過ぎていきます、英霊の存在と向き合うことで、わが国
の在り方、私たち一人一人の日本人としての生き方を見つめ直そうではあ
りませんか?
今の日本では祖国の為に戦場で散り、また負傷して多くの苦しみを味わった
方々を尊敬するのではなく、戦争協力者などと卑下する様な発言をして、
隣国の反日暴言に同調し、日本の史観も捻じ曲げ、歴史観の自虐的な解釈
でのみ日本を見ると言う人達が居ます。
 
国歌、国旗に対しても尊厳も敬意もなく、日本国に対し自虐史観で見た解釈
の見方で物言う方が、日本は・・!と言う決め付けの、限られた思考の範囲
での価値観と感じます。
他国で生活して住むという事は、日本をじっくりと見直す事にもなります。
私も50年前に海の無いパラグワイ国に移住して、そこを振り出しにして、
アルゼンチン、アメリカと住み、価値観の比較対象とした目を持つ事が出来
ましたが、アルゼンチンに住んでいた時代に、アルゼンチンを食い物にした
人達が住んでいたのも知りました。
 
国家感の偏屈な移住者達です、住む土地を与えられ、生活の糧を得て、家
族を養い、豊かな人生を営みながら、心は全く移民してきた国に向いて、そ
の代弁と行動をしている様な人を見ました。
 
アルゼンチンの昔の豊かさは、その様な国家感に無い人達に食い物にされ
たと感じることもありました。英国から戦前の昔に大きな資本を持って移住
して来た者は大牧場を開き、広大な小麦畑を作り、鉄道を敷設して、銀行を
設立し、国家の富をすくい取り、家族とロンドンの高級邸宅に住み、大きな
資金は全てロンドンの金融機関で活用され、アルゼンチンの豊かな国家と
言う土台を食い潰されていったと感じます。
 
50年前のブエノスで、背広を着ていなければ入れないカフェーもありました。
支配人が、『この店は紳士が来る店ですから・・』と断られた事もありました。
今では隣国から流入した難民的な人達が多く目に付く町に変化しています。
大きく様変わりした要因は、アルゼンチン国家と言う精神的骨格にある、
愛国的な要因が余りなかったからだと感じます。移民国家では無い日本で
は、祖国日本を大和民族と言う民族で強くまとまり、国を守り、盛り立てて
行く気概がもっと必要だと感じます。
誰かが日本がアルゼンチン的変革に陥る事がない様に注意しなければな
らないと話していた事が気になります。
 
 

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