私の還暦過去帳(544)
私が近頃感じること・・・、
日が経つと人の記憶も薄れ、忘れて物事が思い出として過去
を思い浮かべる事も困難となります。
多くの事が過ぎ去り、時代の変遷に伴い、新たに生み出され
そして繁栄する如く栄て、そしていつの間にか人はその様な
新しい出来事を過去に葬り去る様に忘れて行きます。
今の世界は交通が便利になり、飛行機の交通網は世界中に張
り巡らされそして、分単位の時間で動いています。
しかし、時代に逆行する様に、過去の出来事を誇大に、一部の
繊細な事柄を現在に拡大して吹聴する政治的な行動があります。
私が住んでいるサンフランシスコ郊外の住宅地は一部、アジア系
が多く住む地域がありますが、私も引退前は仕事で多くの中国系
でも台湾系、広東系、香港系、シンガポール系の華僑や客家など
とビジネスで知り合い、また紹介されて交友がありましたが、昔
ですが、近所に大きな東洋食品店のスーパーが出来る前は、良く
近くの韓国人の店に置いてある日本食品を買いに行きました。
そこで韓国人の人々と知り合い、話をして、食事も同席してする
様になり、彼等の韓国人世代の狭間を知る事が出来ました。
自宅を訪ねて膝を交えて話も致しましたが、その様な話を出来る
世代は全て戦前の日本語が不自由無く話せる世代だけでした。
先日もサンフランシスコの日本町に買い物に行き、一休みして休
憩がてら、中の小さなカフェテリアでコーヒーでも飲んでいました。
そこでかなりの年配の韓国人でしたが、4名ばかりの韓国人と話を
されていたのでしたが、私が年配の一人に、『日本語を話しますか』
と聞くと、まったく訛りが無い標準語で『少しは話せます』と返事
がありました。
私と年配の韓国人と話し出すと周りに居た韓国人達は、年配者に
声を掛けて、皆が去って行きましたが、私達は日本語で話が弾み、
彼が明かした過去は、昭和一桁生まれの、在日と通称される日本
の早稲田を卒業された方でした。
彼が話す韓国の情勢は公正な判断で慰安婦問題、日韓情勢など
を見ていました。彼が話していた事は、戦後の韓国の政治情勢か
ら来る、教育問題が絡んだ事柄が含まれていましたが、彼が言葉
に力を込めて話した事は、韓国政府の反日教育のあり方でした。
『あんな反日教育を小学生から無辜の子供達に、これでもかと必
修させ、詰め込ませたら、どんな人間に育つか、それは考えるま
でも無い、歪な考えの韓国人が出来上がる』と話していました。
『それからしたら同じ戦前の日本政府が支配した台湾人の方々は
、憎悪や卑下した感情を植え付ける戦後の教育が無かったので、
今でも台湾は親日家が多く、同じ戦後の年代でも、まったく思考的
に違った人間性の者が育ち、この世に出て来た』と話していました。
彼の年齢的な立場からして、公正な判断と、政治の批評をしてい
居ると感じました。
彼が話しの中で付け加えた一言が気になりました。それは・・、
『子供を無から教育する条件に、政治的イデオロギーを優先させて、
洗脳的な政治教育を優先して教育したら、どのような子供に育つ
か恐ろしい事だ』と付け加えていました。
彼が『私の孫達はアメリカ人として教育している』と話していました
が、私もアメリカで戦前の日本語教育を受けた韓国人、戦後の反
日教育を受けた韓国人、そしてその子供達、在日として日本で育
ちアメリカに来た韓国人、まったく反日教育も、韓国で生活した事
も無い、アメリカ人として、学校のクラスで星条旗に誓う言葉を英語
で学び、育った世代と、そろそろ40年という間に出会い、見て来
ました。
アメリカで英語で教育を受け、育った韓国系アメリカ人の子供達が、
彼等先祖の韓国の思想的判断と評価を韓国に住む人々ともに考
える必要があると思います。
子供を社会的に生かすも、精神的に殺すも、全てが教育に掛かっ
て居ると感じます。
過去の歴史には光と影があり、一部だけを切り取っても時代は見
えないと考え、現実を一部塗りつぶそうとするのも間違いだし、時
は休み無く動き、情勢は変化して、未来を予測する事も、日々変化
するとの前提で考えています。
『過去を見て、現在を考え、未来を予測する賢者の思考』と言います。
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