2014年10月26日日曜日

私の還暦過去帳(559)


馬に蹴られるー!

こなん経験がある方は珍しいとおもいますが、私にはあります。
 昔ですが、かれこれ60年ほど前は日本では農耕は牛馬でした。
特に戦後から10年ぐらいは殆んどがまだ農家には牛馬が飼われ
農耕などに使われ、私が住んでいた田舎でも、あまりトラックも
走っていない時代で、かれこれ60年ほど前でした。

馬車で田舎から原木の丸太を運んでくる馬車が、その当時は残っ
ていましたが、近所のアスファルトのなだらかな坂で、馬の脚轍
にしてある鉄環が滑り、坂を登れない馬車があり、かわいそうで
良く見ていました。大きな杉の丸太を何本も積み込んであり、かな
りの重量だと思いました。
馬は御者に激しく尻を叩かれ、もがいて登っていました。
子供心に可愛そうだと思い、登り切ると少し馬車が休むので、バ
ケツに水と、畑のキャベツの外の食べない葉などを持って待って
いると、『有難うさん、助かるね・・』と言って少し長めに休んで
行きました。
馬がバケツ一杯の水をアッと言う間に飲み干して、バリバリとキ
ャベツの葉を食べているのを見ていました。
ある時、丸太を運んだ帰りの空の馬車に会うと、御者が『乗りな!』
と言って、友達と3人で乗せてくれました。
御者は馬のたずなを引いて歩いていましたが、ポコポコと歩く馬車
が、かなり揺れるのには驚きました。
それから直ぐにオート三輪車が出て来て、馬車などは見なくなりま
したが、その御者も直ぐに運転免許をとり、馬小屋を車庫に改造して
マツダのオート三輪車ロングボデーを買い、今では日に2往復出来
ると原木を運んでいました。
友達の家に遊びに行き、側の昔、馬小屋だった所を見に行きまし
たが、すべてが綺麗にかたずけられ、牧草が置いてあった所は納屋
に改造され、微かな馬小屋の匂いと、馬が齧った柱の傷だけがあり
ました。
それから幾歳月して、アルゼンチンのブエノス郊外で蔬菜栽培をして
居た時に狭い畑を馬で起耕していましたが、自分の首にたずなを掛け、
鋤を両手に持って歩くのはかなりの重労働です。
1ヘクタールぐらいで、へロへロに腰が砕けてしまう感じでしたが、
これも人生で良い経験でした。殆んどの方は馬で畑を起耕したなどの
経験は無いと思いますが、地下足袋が直ぐにボロボロになった事を
覚えています。
仕事が終わると井戸端で馬の汗を洗い、野菜くずなどを与えて労って
ていました。
仕事が終わって馬とパンパの草原が広がる農道を、馬の背に揺られて
散歩するのも良いものでしたが、馬のご機嫌が悪い時は、首を前にし
てストンと私を落として、歩かないと言うそぶりをして、尻を私に
向けて近寄れない様に後ろ足で軽く蹴っていました。
賢い馬で、朝起きると餌をくれと、大きく嘶いて騒いでいました。

サルタ州で農場の支配人をしていた時に、農場にはラバが二頭居まし
たが、トマト畑の畝間の除草作業に使うラバですが、夕方、時間に
なると絶対に尻を叩いても動かず、除草器具を曳いて、さっさと
広いトマト畑から、自分で歩いて馬小屋まで帰って来ていました。
馬小屋の前でジッと除草器具を外されるのを待って、囲いの中に入り、
餌を食べていました。
朝は時間になるとラバは大きな声で騒ぎ、『さっさとしろよな・・!』
と言う感じで、除草器具を付けて自分で先にたって歩いて行きましたが、
ぼこぼこに乾いた農道を、微かな土埃を立てて、朝日が輝く道を農機具
を曳いて歩く姿を今でも思い出します。

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