2016年2月27日土曜日

私の還暦過去帳(584)

2015年を振り帰って、、

去年の1年間で大きく人生時計の針が動いた感じです。
南米に移住して52年も過ぎ、アメリカに再度家族と移住して来て、40年も
過ぎて考える事は多くあります。
時は矢のごとしに過ぎ去り、人生の淵に残るのは過去の思い出だけと感じます。
忘却とは忘れ去る事なりと言う言葉がありますが、過去を思い出して郷愁に
浸るセンチメンタルの心は、歳を取る程に、心のどこかに表れて来ると感じます。

私の年齢になると周りや、遠くに住む友人、知人達が亡くなり消えて行きます。
この世の摂理として、仕方がない事ですが、やはりなぜ・・と感じる事があります。
節制してタバコや酒をやめれば、もっとストレスの無い人生を選べば、もっと食
生活に注意すればと感じます。
人生は自己責任で、全て自分で選んで生きて来た人生です。
人は人、己の人生は全て自分の人生の選択で、生きるも、死ぬのもその人の
選んだ人生の範囲ですから、人様が口を出す事も出来ません。

同じ人生でも、平凡のうちに人生を歩き、学業を修め、就職して、結婚して家
族を作り、子供を育て、教育して、老いて孫を抱いて平凡の人生を絵に描い
た様な生き方でも、それぞれに人は満足の人生と感じます。

生き方の道行はそれぞれの大きな差がありますが、差があれど人それぞれの間
の呼吸で、その道が歩けると感じます。時間は二度と戻らぬ大河の流れ、今でも
思い出す出来事は、昔の私が農場で働いていた時代に、そこの雇用していた
チャワンコ族のインジオの父親に町に出るついでに、農場の売店で買った食料品
を届けるように頼まれて、ベルメッホ河の岸辺に住んでいた父親を訪ねて食料の
包みを渡すと、農場で吹いていた竹笛を聞かせてくれましたが、そのメロデーを
忘れる事が出来ません。
彼は病を得て、かなり覚悟の様子だったようで、私が彼が農場で働いていた時代
に彼の竹笛をよく聞きに行ったので、私に聞かせてくれたと今でも思っています。

しばらくして彼の息子が1本の竹笛を持ってきたくれたのですが、『父を思い出して
くれと』という事でした。息子が話して居たのですが、安らかな生涯だったと言うと
若い頃から魚採りと、農業で働き、岸辺にトウモロコシとマンジョウカの芋とカボチャ
を栽培して、農場のトマト収穫時期には現金を稼ぎに出ていたと息子が話して
いましたが、父にはそれが十分で平和な生活であったようです。

人にはそれぞれの生き方と自己満足のレベルがありますが、平凡過ぎる人生でも
自然の中で、心豊かに生きて、心安らかに、満ち足りた満足の心で生きていた人
も多くいると感じます。
インジオ達に森に連れて行ってもらい、僅か数日でも一緒にキャンプ生活すれば、
彼等の持つ生活信条が、なんと豊さと心感じる事があります。
そんな人達の生活と人生を昔に見ていたので、今の現代社会の金銭の上で成り
立つ資本主義社会の劣悪な環境に考えさせられる事が時にはあります。

今でも忘れられない事は、良く仕事をしてくれる有能なインジオでしたが、彼が突然
仕事を辞めるという申し出に、困惑したことがありました。
彼の理由は、すでに今年の現金収入の目標は稼いだし、医薬品も買って、狩猟に
使う弾も1カ年分は貯めたので、部落に帰り少し家族とのんびりと過ごすという話に
生活の幸せさがどこに有るかという事を思い知らされた感じでした。

今でも彼等と生活した事が、生活の重要な知恵として今でも生きています。
現在はアメリカに住んでいますが、物質文明の消費生活を考えて、反省すると、何と
人間は傲慢な消費文化で、この世界と社会を衰えさせていると感じます。
この世界は豊かと貧困の両極端に分かれ、消費もゴミとして出される廃棄物に世界
が汚染され、人間社会が自滅していく工程を見て居る感じが致します。

自然に逆らわない生き方もこの世界では少数派となり、地球規模の変革を見てい
ると明日の世界を子供達にどうして残せるものかと考えています。