2012年5月30日水曜日

『ゲバラのゲリラ残党を討てー!』

ゲバラ残党ゲリラ追跡の思いで(14)

しばらくして、静けさを破る様に「チーーーーー!」と声高く
鳴き声が聞こえて来た。集合の合図であった。私はトランシーバ
ラジオでベアトリスの父親を呼んだ。直ぐに返事が有り、
「用心して道を降りてくる様にーー」と指示された。
ルーカスが居る現場に行くと、そこにはルイスとマテウスが来て
いた。
襲撃者は右肩を負傷して、犬に左手を噛まれて、額にゴムのパチ
ンコの粘土弾が命中した無残な痕があった。血が流れ、片目の上
に大きな血豆で、完全に垂れてふさがっていた。おそらく目に
命中していたら完全失明となっていたと感じた。襲撃者は戦意も
無くして、ただ座り込んで命乞いしていた。

ルイスが手際良く応急処置をして、水を飲ませた。3匹の犬に囲
まれ、少しでも動くと犬が勢い良く襲う様子を見せ、青ざめて
座っていた。マテウスが側に座り、「お前の仲間は何人か~!」
聞いた。彼は観念したのか、素直に「あと二人居る。」と言った。
「一人は負傷して、あと一人はその負傷者を介護して待っている」

と話すと、「助けてくれーー!」と哀願した。「最初の一連射を
受けた時に肩に、岩に当たった弾が跳弾となり負傷して、ラジオ
も弾の直撃で粉砕されて、身一つで逃げてこの有り様だ」と言う
と、「同じカービン.ライフルの発射音で、仲間は私が撃ったと感
じて、襲撃が成功したと思って待っていると思う-!」と言うと
水場の方角を見ていた。ボリビアからの越境襲撃者は言葉少なく、

「貴方達はゲリラではないのですね!大きな間違いをしてしまった。」

その時、ラジオが呼び出しを掛け、ジョアン大尉の声で、
「先発の斥候が射撃音を聞い報告してきたが、全員大丈夫か」と
聞いてきた。全てを報告して了解してくれ、予定どうりに広場で
落ち合う事が決まった。
ロバを連れて来て、女ゲリラとボリビアからの越境襲撃者を乗せ
ゆっくりとジャングルを歩き出した。ルーカスが歩きながら私に
戦利品のジャングル.カービンと、ブロウニングの自動拳銃を見せ
てくれた。そして私のカービンと同じ弾倉なので、弾倉を3個ば
かり私に袋から出してくれた。水場を避けて広場に出るとそこ

にはラバの隊列を連れて、国境警備隊が集合していた。
ジョアン大尉が直ぐに迎えに出て来て、女ゲリラと越境襲撃者を
受け取った。木陰にシートを広げ、看護兵を呼んで治療をさせ、
尋問を始めたが、それを見ながら我々は荷物を降ろして、水を
ロバに与え、我々も休憩とした。一息つきかけた時、突然銃声
がした。
一斉に兵隊が伏せた。水場の奥のジャングルからでライフルの
発射音であった。ジョアン大尉は直ぐに軍曹を呼ぶと、小型の
迫撃砲を2門、ロバから降ろすと兵に射撃準備をさせた。
それから小型分隊機関銃を同じく2丁組みたてて、射撃準備を
させていたが、大尉はせっかく持ってきた弾薬を持って帰るのも

重荷なのでここで訓練代わりに攻撃すると話すと、二手に分か
れて兵を進め、先ず迫撃砲を2門距離を測って射撃開始した。
小型ながら「ポン~!」と発射音を残すと、直ぐ水場の近くの
潅木の茂みが「どか~ん」と土煙が上がり、ギョッとするほど
の音がこだました。それと同時に小型機関銃が2ヶ所から十字

砲火を浴びせる様に、曵光弾の尾を光らせて連射していた。
私は軍隊の兵役経験も無いので、ドキドキして見ていた。
側で、マテウスが望遠鏡で覗いて、時々、大尉と何か話してい
たが、機関銃と迫撃砲の音が途切れた時、空にヘリコプターの
音がして来た。
 では次回をお楽しみに、

2012年5月29日火曜日

私の還暦過去帳(249)

1976年に私がアマゾン上流から河口のべレムの町まで夜間飛行
でアマゾン河上空を飛んだ事が有ります、夜間のアマゾンのジャン
グルが延々と燃え盛っていたのを覚えています、山焼きをしてジャ
ングルを焼き払っていたからです。チラチラと1万mの上空から鬼
火の様に燃え盛る炎を感じました。

今日の世界を見ると、かなりの速さで地球温暖化が進んでいます、
現実としての目で見える状態での氷河の消滅、減少、ある地域では
降雨量の増大、また別の地域では乾燥と旱魃に襲われて、悲劇的な
凶作となって土地を捨て、住む家も捨て、生活基盤の全てを失って、
流浪の旅に出るアフリカの住民達、砂漠の拡大と、森林資源の乱伐

での熱帯雨林の破壊と拡大全てがこの地球に住んでいる人間が自分
で手を下して行い、行政も、その中核たる政府の官僚も未来と現在
の子供達の将来には目を向けようとはしない、『産業開発と進歩は
人類の自殺行為となる』と警告した学者の言葉が有る。

限られた地球の秩序と協和を持ち、資源の乱開発を止め、無駄なエ
ネルギー消費を止め、環境にマッチした人間の生き方、それはスロ
ーライフの必要性を世界が必要とする事と思います。
たかが百年の間に、人類は多くの愚考を行い、また拡大と拡散を持
って地球の汚染と破壊をして来た。

それは止む事無く、今も無限と言う経済活動の広まりに賛同する経
済を牛耳る多くのエコノミスト達が我を忘れて、環境なども眼中に
無く利潤を第一とした個人の利己主義と、集団的な民族主義と、国
家感での企業集団との結合により、環境破壊と人類生存の環境を破
壊している、人間は食で命を養い、その食は自然の中で育まれ、

成長して、収穫して食料としての恵みをもたらす、もはやその穀物
もバイオエネルギーとしての利用価値として考えられ貧困と食料不
足で喘ぐ国は無視され、エネルギーが得られない国では道路のアス
ファルトまで燃やして炊飯の燃料としている、山野の植物はことご
とく切り倒され、燃料となる環境破壊は文明社会の恥部を曝け出し
ている。持てる者と、待たざる者との格差が環境のバランスを崩し
て、世界を破壊行為に導いて飽き足らない・・・、

一握りの裕福層と大多数を占める中間層とが都会での文明社会の崩
落する環境破壊を助長して、もはやインドや中国などが文明の利器
としての車社会を成長させ、成熟させ維持するのであれば、もはや
エネルギー不足と、石油資源の枯渇と、大気汚染の急激な増大とが

中国とインドで世界人口の半分を占める割合からすると、またアメ
リカの様に一国のエネルギー消費が世界の消費の半分を占めるので
あればもはや今世紀の終わりには世界の平均温度の上昇で、環境の
破壊とそれに加味した人類の知的貧困が世界の終焉に自ら歩いてい
ると感じる事が有る。

46年前にアルゼンチンのボリビア国境の奥地で会ったインジオが
話していた言葉が忘れられない。
1890年代に生まれた人間が見た世界からすると・・・、

『人間は神に感謝を忘れ、己の自我の欲を張れば、この土地も空も
 水も人間の命も、この青空も全て無くしてしまう。』

2012年5月28日月曜日

『ゲバラのゲリラ残党を討てー!』

ゲバラ残党ゲリラ追跡の思いで(13)

どのくらい時間が過ぎたかは覚えてはいないが、ベアトリスと
銃を構えて、茂みに隠れていた。すると静まり返ったジャングル
に鳥の鳴声がしていた。チチーー、チチーーと規則正しく鳴いて
いたが、その時「ハット~!」感じて私の腰に差している拳銃の
ホルスターの横の小物と弾を入れたサックから、昔、狩猟で使った
水笛を出して、ふたを開けて中の水を確認して、インジオから

教えてもらい、練習して覚えた様に「チ--チーーチチ、」と
返した。直ぐに返事が帰って来た。やはりルーカスからの信号で、
昔、彼に連れられて行って良く覚えていたので、直ぐに彼と感じた
。「チチーー、チチーー、」とダブルで鳴く声は、移動するとか
移動するから撃つなと言う意味で、その時の現場の状況で判断して
いたが、今回はその両方と感じた。

私が返した鳴声は「チーー、チ-ー」は了解と言うOKのサイン
であった。正確には「移動は了解した安心しろ」と言う意味に
なっていた。しばらくして、横の藪の方に犬がしきりに耳を立て、
尻尾を振り始めたので、誰か来ると直ぐに感じた。先ずルーカス
の犬が口を皮紐で軽く縛られて、吼えない様にして嬉しそうに
しながら出てきた。犬同士がやれやれと言う様に、口紐で縛られた

口で、お互いにクンクンとやって挨拶していた。直ぐにルーカス
がカモフラジュ-の網をかぶって、木の枝も所どころに差して
完全偽装で現れた。ルーカスは先ず一番先に口を開いたのは、

「襲撃者にカービンライフルを渡すな、取りに戻って来たら
 狙撃して射殺しても渡すな」と口を開いて言った。

「拳銃だけでは、おそらく肩に弾が当たっていると私も感じたので
 それに右肩を押えていたので、利き腕がマヒして使えないので、
 慣れない左腕での、拳銃の射撃は先ず半分以下の命中率で使い
 物にならない、特にジャングルでの移動では片手で銃を持って
 歩く事は、藪の中では歩く速度が半分以下なるーー」と言って

「それより、出血が酷かったら、歩いて動く事は致命傷になる
 かも知れないーー、それに多分、水筒や、食料を入れたカバン
 を近くに落とすか、隠しているに違いないーー!ここで見張っ
 て私を援護して、何かあったら直ぐに連絡してくれーー、」
彼はそこまで話すと、犬を先頭に藪の中に消えて行った。

しばらくして、下の岩場にひよっこりと藪の中から出てきた。
先ずカービンライフルと、弾倉を取り自分のライフルは肩に担ぎ
小型のカービンを構えて、犬に近所を捜す様に命令した。
犬は直ぐに藪の中から、カバンを探し出してきた。
水筒も付いて、かなり大型の背中に背負う様に出来るタイプで
それから推察すると、襲撃者は体一つで逃げていると感じた。

上のこちら側から見ていると、ルーカスがいる現場から、かなり
離れた藪に微かに動いた陰が有った。すかさず水笛で緊急の発信
を送った。「チーチーチー」と鳥が何かに襲われた時の様に鳴らし
た。信号は「危険、危険~!」と言ったのと同じで、直ぐに
ルーカスがこちらを覗いているのが分かった。昔、彼に習った
様に手話で、指を5本立て、人差し指で方角を示し、指を一本
立てて、それを左右に振って歩いて逃げている事を知らせた。

正確には「50m南の方角の藪を、一人の襲撃者が歩いて逃げて
 いる」と教えた。彼から指を丸めてOKのサインが帰って来た。
彼を見ていると、首に付けていたゴムのパチンコを外すと、粘土
の弾を皮に挟んで、大きくカーブを描いて、藪の先まで弾いた。
一つ、二つと同じ感じで、粘土の弾が飛んでい行った。
すると微かに動いていた陰がピタリと止った。

私がいる所からでは、その粘土の弾が出す音は聞えなかったが、
おそらく、襲撃者は逃げている前方に異常な音がするのに気が付
て、足がすくんで動かなくなったと感じた。ルーカスの罠に掛っ
た様だ。狩猟で使う獲物を竦ませるやり方であった。

必死で逃げる人間が一度、竦むと動きが極端に臆病になり、不安に
なる様だ。この先誰か待ち伏せしていないか、カサカサと藪の木
葉をかすめて落ちる音は、人がどこかに潜んでいる錯覚を起こさ
せる、ルーカスは犬をヒモでつなぐと、ゆっくりと藪の中に犬を
先頭に忍んで行った。

しばらくして、突然「ぎゃ~!」と叫びが起った。それと同時に
犬が激しく叫んで何かを襲う「グァ~!」と言う声が聞こえ、
そして静かになった。
 では次回をお楽しみに、

2012年5月27日日曜日

私の還暦過去帳(248)

アメリカでは現在、コーンベルト地帯と言うトウモロコシの生産地帯が
63年ぶりの好景気に農家が沸いている。

これはアメリカがガソリン代用のエタノールの生産に穀物のトウモロコ
シを使う様にしたからだ。今年春の作付け面積が昨年比で15%増の
約37万平方キロと言う作付け面積の拡大は、代替燃料エタノールの
生産ブームが火を付けたのであるが、豊作なのに去年の2倍の価格と
なってエタノール特需がドミノの原理で連鎖反応を始めた。

大きな投資家グループが広大な農地を購入始めた関係で、農地の値上が
りと、食料価格の連鎖値上げが始まっている。
日本でも小麦の輸入価格の上昇で、うどんなどの麺類、パン、菓子など
生活に直結する価格が上がり出した。

現在の日本の食糧自給率は28%以下と言う状況で、飼料穀物でトウモ
ロコシが代表とする家畜の飼料が大幅な値上げとなり、牛肉や鶏肉など、
卵などの価格も間違いなく上がり出している。

メキシコでは、アメリカからの食料にするトウモロコシの値上がりで、
場所により5倍の価格上昇で、貧困層に直撃した主食のトウモロコシ製
品が引き金となり、すでに政府に対してデモまで起きている。

アメリカの穀物生産地帯では4月には一斉に作付けが始まり、大豆の
作付け面積の減少が大豆価格の上昇と、品薄感がシカゴ穀物市場での相
場上昇に拍車を掛けている、しかし恐ろしい予測も出始めている。
米政府は10年間で、代替燃料の供給量をエタノール換算で7倍ほどに
増やす計画だが、実現には、全米のトウモロコシ生産のすべてを回して
も足りないといわれる。

トウモロコシは甘味料の原料などにも使われ、用途が多い上に、環境保
護の観点から、スーパーの買い物袋をトウモロコシの材料で作られる環
境にやさしい新しいプラスチック素材の原料ともなって、サンフランシスコ
市でも、その新しい素材のプラスチック買い物袋しか使用出来なくなった。

この様な動きが大きな穀物生産と価格上昇の引き金となり、相対的な
世界規模の食料価格の上昇となっている。これからのインドや中国など
が石油資源の争奪戦に穀物まで組み込み、世界規模でのエネルギー戦争
が起きれば、資源貧困国の日本がいかに生きるかは、これからの政府の
政策に掛かっているが、先の無い政策が代替エネルギーの開発にも遅れ、

開発資金の不足と、認識不足が相乗効果で、エネルギー最貧国になる
のは時間的には余りかからないと専門家が予測している。
恐ろしい予測である・・・、

2012年5月26日土曜日

『ゲバラのゲリラ残党を討てー!』

ゲバラ残党ゲリラ追跡の思いで(12)

見晴しの良い空き地は昔、材木の集積所の跡で、現在は荒地と
なっていた。そこで積み上げられた材木は河の増水期に筏にして
流して居た様だ。河の側で、直ぐ近くに洪水の危険もない水場
が有り、森林伐採キャンプとしては最適な環境で有ったが、
現在は使用されてはいない、重要な鉄木や大木が切り倒されて

今では無人の水場となっていたが、時々ハンターが狩猟の期間
小屋を作り住んで居た。水場の伐採キャンプを中心にして、
幾つもの小道がジャンブルにあちこちと伸びて、ボリビア国境
までそれが続いていた。我々はゲリラとボリビアからの進入者
との交戦で、水場が使えないので、とりあえずそこを迂回して

下の空き地に行き、女ゲリラを引き渡す予定でいた。
ゲリラに襲われた友人は命を取り留め、これ以上の復讐での追
跡は無用となった。しかし乗りかかった船から簡単には降りる
事は出来なかった。きちんとケジメを付けてから農場に帰る予定
でいた。我々は下の空き地までの時間を計算して、少し休んで
軽くランチをとる事になった。

藪の中に全員が腰を下ろして、石油コンロでお茶を沸かしてハム
を切り、生の玉ねぎを薄く切って、ビスケットに挟んで食べた。
缶詰のフルーツを切り、皿に分けて皆にまわしたが、残った甘い
シロップは女ゲリラに元気付けに飲ませた。
皆が見ている前で、恥ずかしそうに自分の服装を気に掛けていた

がベアトリスの勧めで、飲み終えると下着だけを皆の目から離れ
た所で、ベアトリスから貰った下着に着替えていた。
太腿の出血も止まり、血止めのひもを解き、安心して座り込み、
足を伸ばして休んでいた。安堵の表情で私達の質問に答えていた
が、どこにでも居そうな現地人の若い女で、ポツポツと話して

くれた。今回の襲撃には参加してはいなく、水場の近くで荷物
を監視して留守をしていたと話してくれた。ゲリラが水場に帰っ
て来た時にボリビアからの越境追跡者達から襲撃されて銃撃戦
となり、不意を突かれて待ち伏せされた事で、5名がアッと言
まに倒されて、二人はどこかに消えてしまったので、必死に

逃げて来た所を捕まったと話してくれた。まだどこかに彼等が
潜んで居る様だと言って、用心した方が良さそうだと注意して
くれた。食事が終り荷物をかたずけてラバに積み、下の合流地点
を目指して歩き始めたが、女ゲリラはロバに乗せてやった。

一番先に、ルーカスとベアトリスの父親が歩き、その後ろを
ロバが二頭ついて行き、ルイスがゲリラの女の横を付いて歩いて
いた。一番後方を私と、ベアトリスが犬を連れて歩いていた。
突然ベアトリスが藪の生い茂った所で、「先に行っていて~!」

と叫ぶと、藪の中に駆け込んだ。皆は笑いながら「お先に~!」
と声を掛けて歩いていった。犬が付いて行くのも追い払われ、
私は立ち止まって待っていた。犬が私の顔を見上げて、まさに
「だいぶあわてて・・いたが間にあったか~!」と言う様な
顔で私を見ていた。

その時、突然・・!犬が鼻を上げて匂いを捜し、耳をそば立てて
音を探していた。下から風が上がってきて、風下で有ったので、
どこからかの異変を嗅ぎつけたと思った。その時、下に降りる
小道を歩いている3人とラバが二頭、それに乗っている女が

チラリと80mぐらい下の藪の陰に見えたが、その後ろの途中
の岩陰から、迷彩服の男がジャングルカービンを構えて現れて
岩陰に陣取り、ババナ弾倉を3個も取り出して横に置き、私が
見ているのも知らないで、前を歩いている全員が小道の直線に
なる所まで来るのを待って、撃ちまくるのだと直ぐに感じた。

私は風向きの死角を巧みに付いて、襲った男をプロの襲撃者と
感じた。私達が用便の為に遅れなかったならば、全員が命を
落としていたかもしれないと思った。犬が吼えない様にして、
カービンをフルの連射に切り替えて、男を狙って撃った。

一連射で男の潜んでいた岩陰に弾が飛び散るのが見えた。後は
30発の弾が無くなるまで撃ちまくった。男が肩を押えて銃を
放り出して、転げる様に藪に潜ろうとしていた。私の弾が切れた
事を感じてカービンを取りに戻ろうとした瞬間、横でタンタン・・
と小型ライフルの速射する音が響いた。

ベアトリスが撃ちまくっていた。私はあわてて弾倉を取り替えた。
直ぐに岩陰を見たが、そこには誰も居なかった。下の小道にロバ
がポツンと二匹、立ち止まっていた。人影が一瞬で消えてしまっ
ていた。岩陰にライフルが転がり、弾倉が3個岩の上に置いた
ままで、全てが静まり返っていた。
 ではまた次回をお楽しみに、

2012年5月25日金曜日

私の還暦過去帳(247)

私がアルゼンチンのサルタ州で農業をしていた時代です。
かなり暑くなり、南回帰線から100kmは中に入った所ですから、
亜熱帯の動植物が沢山有りました。中でも大トカゲにはかなり驚かされ、
またその肉が美味しいと聞いて、また驚いていました。

一度、友人の台所に吊るされた肉を見て、『何の肉かあてて見ろー!』
と言われて正解が出ませんでした。まさか大トカゲの肉とは知りません
でしたから、頭をひねって考えていました。
当時の物価でも赤トカゲの皮が田舎の相場でも1万円近くしていました。

高級なハンドバックなどに加工されると、ぎょっとする値段と聞いた事
が有ります。私も知りませんでしたので、一度だけ捕獲しましたが、
背中から切って皮を剥ぐのですが、知らないので腹の方から切って皮が
売り物にならなかった事が有ります。腹の方が模様が綺麗で、加工する
ともっと綺麗なのには、私も驚いていました。

有る日、友人が大トカゲの捕獲に誘いましたので、付いて行きました。
暑い昼のガンガン照りの時間にしか出て来ませんので、それを待って捕
獲するのには大変でした。先ずトカゲが居る巣の入り口を塞いで、穴に
戻れ無い様にします、多い時は入り口の穴が3ヶ所ぐらいある時が有り
ました。
後は巣を塞いだら、じっとトカゲが帰ってくるのを待つのです、かなり
の時間が掛かります、暑い下でじっとして待つ事も大変です。
赤トカゲなどの高級品となると、犬に追わせて捕獲しますが、食用にす
るのでしたら、散弾銃で撃つ人も居ました。私達は小型の拳銃で急所を
撃って捕獲していました。
ジリジリと焼け付く様な地面でも、這う様にかなりの速さで移動します。
大きなトカゲでは1m近くも有りました。相当の肉が取れましたが、か
なり獰猛な形相で反撃して来ます、噛まれる事も有りました。絶対に自
分の巣穴に入ろうとしますので、蹴飛ばしても入れたらそれで終わりで
した。
時々、巣穴で我々の目から見逃した穴が有りましたが、そこに逃げ込む
と、ゲームはトカゲの勝ちで終わりでした。散々待って、ストン!と巣
穴に逃げ込まれて、悔しい思いをした事が有ります。犬が居れば犬が襲
いますのでかなりの確立で捕獲出来ます。トカゲの足が速くて人間では
とても対抗できませんでした。

パラグワイのポンタ・ポラン近郊に有った日本人入植地を訪ねた時でした。
バラックの小屋の窓から、大トカゲが昼間の炎天下に、山焼きをした後を
のそのそと歩いているのを見た事が有ります。周りは原始林でかなり野生
の環境が残っていた時代です、窓から小型のライフルを突き出して、狙い
ましたが、動きが早く命中はしませんでした。

誰かが『今夜の夕食の材料を逃がした』と笑っていましたが、アルゼンチ
ンのサルタ州では開発が進んで、山に入らないと中々、トカゲは見られま
せんでしたが、まだまだその頃は自然は沢山有り、昔から住んでいたイン
ジオ達が彼等の『狩の掟』で、小動物の保護と自然保護をしていたと思い
ます。
今では大資本が巨大な開発機械での開墾で、大豆畑にしたり、原始林を伐
採し、新たにパルプ資材の植林をして、環境を変えてしまっています。
Googleマップで昔の46年前の私が居住していた辺りを見たら、様変わり
をしていたのが分かり、思い出が胸に突き上げてきた事が有ります。

46年前に、1890年代に生まれたインジオが『河に魚が溢れて泳ぎ、
山には鉄木のラパチョウや、ケブラ・アッチャの花が咲いて色が変わった』
と話してくれた時代を思い出します。それも英国資本やアメリカ資本の鉱
山開発や鉄道線路の枕木として伐採され、戦前には殆どが消えてしまった
と話してくれました。
近代化が多くの自然と環境を破壊して成長したと感じます。

2012年5月23日水曜日

『ゲバラのゲリラ残党を討てー!』

ゲバラ残党ゲリラ追跡の思いで(11)

下の藪から悲鳴が聞えたが、そのあとは「シーン」と静まり
返っていた。銃声も途絶えて気持ち悪いくらい静かであった。
ふと気がついたら、喉がカラカラに乾いていた。
水筒のフタを開けて、ごくごくと冷たい水を飲んだ。

その時、下からルーカスがゆっくりと歩いて来た。そして手招き
して私らを呼んだ。「ゲリラの女を掴まえた」そう言うと、彼も
水を飲んでいた。彼が水を飲み終えると現場に付いて行った。
汗で汚れたシャツを着ていたが、気絶しているかの様に動かな
かった。その時、ルイスが心配して脈を診ていたが、いきなり

彼女のシャツの前を広げてブラジャーも、もぎ取り心臓マッサ
ージを始めた。先の尖った乳房が汗で濡れていたがお構いなく
心臓の上に両手を当てて、規則正しく両手を動かしていた。
ゲリラの女性の唇が血の気が引いているのが私にも分かった。
ズボンの太腿部分から少し血が滲み、ズボンの股が濡れて失禁
している感じも受けた。

ルイスとルーカスが交替して、マッサージを続けた。
ルイスが私達に説明してくれた。「ゲリラの女は夢中で登って
 来たが、自分が隠れている直ぐ側に来ても、感ずかなかった
 ので、やり過ごして、後ろから弓の矢で太腿の辺りを軽く
 突いて押し倒した。しかし興奮していたのか、薬が廻るのが
 早くて、直ぐに口から泡を吹いて倒れて、そのまま気絶して
 この騒ぎで私も驚いている、」と彼は話すと、ジッと見詰めて
いた。

ズボンの太腿辺りから新しい血が流れて来た。
ベアトリスが「血止めをしてやらないとーー!」と叫んだ。
私はポケットナイフを出して、ズボンを切り裂いた。
股の上までバッサリと切り、ゲリラの女の失禁で濡れた下着も
見えていた。太腿のなかばから血が滲んでいたが酷くはなかった
が、一応股の付け根をひもで縛り、傷口を消毒して、化膿止め
の緊急薬品のパウダーを降りかけて、包帯しておいた。

ルイスが「矢じりは折れてはいないから心配は無いー!
 深くは刺さなかった」と話した。
ルーカスが「女が気がついた様だーー!」と言った。
微かに唇に血の気が戻り、目を少し開けて、ぼんやりと焦点の
ない目でどこかを見ていた。私の肩から掛けている水筒を見つけ
ると乾いた唇を動かして、「水ーー!水ーー!水ください~!」
と哀願して微かに手も伸ばして来た。

私は肩から水筒を下ろすと、ルーカスが女の背中を起して、両手
に水筒を握らせた。女は前のシャツは肌開けたまま、乳房に水を
滴りさせながら、いっきに飲んでいた。喉がゴクゴクと上下に
動き、無心に飲んでいた。誰も無言で見詰めていた。
余りの見事な飲みっぷりで、私の水筒は直ぐに空になつた。

その時、トランシーバ・ラジオに交信のサインを送って来た。
呼び出しが掛り、国境警備隊追跡班のジョアン大尉であった。
ベアトリスの父親が代表で答えた。
 
 「マテウスだが久しぶり・・・、
 元気な様だがーー、森林伐採キャンプの水場で交戦があり
 死傷者が出ている様だ、銃声は途絶えて聞えない、でも
 ボリビアからの進入者が居る様で、地雷が敷設されている
 から危険だーー、今は近寄るな。あとどのくらいで水場の
 近くに到着する予定か教えてくれーー!」
 
 「3時間は掛りますーー!、水場の下流の見晴しの良い空き地
  で合流しましょう」と答えが帰って来た。
 では次回をお楽しみに、

2012年5月21日月曜日

私の還暦過去帳(246)

待ち人達は時の流れに呑み込まれ、今では思い出しかない。

私が管理していた集合住宅で、引退者が多く住んでいた所が
有りました。私が昔に建設された緩やかな広い敷地の芝生が広
がった緑地帯を見て廻り、トラックを駐車していた場所に戻ると、
そこに近所に住んでいる老婦人が、ピクルスの瓶を持って立って
待っていました。

『時間どうりに戻ってきた・・』と言うと、ハンバーグに入れる
ピクルス瓶の蓋が開かないとランチが食べられないと話していました。
私が『ポンー!』と簡単に開けると、嬉しそうにして家に戻って行き
ましたが、何度頼まれたか・・、小柄な老婦人ですが良く色々な

雑用を頼まれ、また直ぐに修理したり、かたずけたりしていました。
同じ集合住宅で同じく家にカギを忘れて締め出されて、何度か二階
の窓から入り、入り口のドアを開けてやりました。
彼女は歳で耳も遠くて、記憶力もだいぶ低下していた様です。

私が直ぐに開けてやるものですから、二階のべランダの窓にはカギ
を閉めない様に注意していました。一度私が居ない時にドアから
締め出されて、鍵屋を呼んだら、かなり昔ですが200ドルも取られ
たと話していました。年金生活者には大変です・・・、

老夫妻の所にそこの息子から管理を頼まれて、毎週訪れていました
が、私が行くと必ずメールボックスから『郵便物を取って来て、』と
頼まれていました。前は息子が両親の家を管理していたのですが、忙
しくなり、私に管理を任せていたのです、しばらく通っていましたが

父親が先ず先に亡くなり、残された奥さんもしばらくして老人モーム
に入居してしまいました。ある老婦人は足が弱って犬の散歩が出来
なくなり、いつも私に近所を歩かせて来てくれと頼んでいました。
集合住宅の敷地を点検で歩く時に、良く連れて遊んでいました。

利巧な犬で、仲良しになりランチ時間は良く遊んでやりました。
その老婦人が癌で倒れ、犬は娘が連れて行き、時々娘に連れられ
て老婦人が病院から帰ってきて居ましたが、私が通りかかった時に
私を呼ぶと、犬の写真を見せてくれました。

そして『手術をするが、もしかしてこれが最後かも知れない・・、』と
話すと私の手を握り、『いつも私の愛犬を散歩してくれ、有難う・・』
と話す目が潤んでいたのを覚えています。それからしばらくして集会所
の掲示板に死亡のお知らせが出ていました。

色々な方が私が仕事に行くと待っていたのですが、それも時の流れ
で全ての方が亡くなり、今では私の心に思い出だけしか残っていません。

2012年5月20日日曜日

『ゲバラのゲリラ残党を討てー!』

ゲバラ残党ゲリラ追跡の思いで(10)

ルーカスが歩き始めて、気になったことが有った。
彼が、我々が良く子供の頃に遊んだゴムのパチンコを手にし
ていたからで、ライフルは肩に担いでいた。
ゴムの紐で小さな石などを飛ばして、小鳥などを打ち落とす、
Y字型をしたごく普通のパチンコであった。しかし彼は自分で
作った、粘土を丸めて作った弾を使用していた。均一な大きさで
かなりの威力が有るのを知っていた。

10mぐらいでは殆ど全部命中させる腕があった。
そして、彼が使う別の使用方があるのを知っていた。それは
40cmぐらいの矢をつがえて、飛ばしていたからで、かなり
の遠くまで飛び、矢先には毒を塗っていたので、鹿などは簡単
に仕留めていた。まさかゴムのパチンコで矢を飛ばすなどの発想
は私には無かった。小動物などは粘土の弾か、小さな矢で仕留め
て居るのを知っていたが、まさか撃ち合いしている現場の偵察に
ゴムのパチンコとは信じられなかった。

わたしも一度ハトを撃ちに行って、木に引っかかって落ちてこ
ない鳥をあきらめていたが、ゴムのパチンコで簡単に打ち落とし
てくれた覚えがあるので、何か役にたつ利用法があると感じた。

ルイスは弓矢を使用していたが、いつもは杖の様にしていたので
余り感じなかったが、使用すればかなりの威力の有る武器になる
と思った。ルーカスの偵察の帰りを待つことにして、我々は
藪の中に隠れて居たが、時々持たせたハンド、トーキーのラジオ
から、報告が来ていた。

音量も小さく絞り聞いていたが、ベアトリスの父親が時々何か
指示して、聞いて居たようだ。我々はジッと緊張の心で時々
下の銃声を聞いて、無言で藪の中に座り込んでいたが、前より
グーンと銃声は少なくなっていた。
私は撃ち合いしている両方がきっとボリビアから進入して来た
特殊部隊員と、ゲリラが遭遇して撃ち合いを始めたと感じていた。

国境警備兵であれば偵察のセスナか、ヘリコプターが飛来して
無線会話もラジオがキャッチして、会話を聞く事が出来ると感じ
ていた。一切無言での撃ち合いの応酬であった。

我々は民間人で、何も命を賭けてゲリラを殲滅させる事もなく
わざわざ撃ち合いの現場に割り込むこともなかったので、ジッと
静観して、事の成り行きを見詰めていた。

その時、ラジオからルーカスの声が低く入ってきた。

「ゲリラが一人逃げて、そちらの方に向かった。
 気を付けてくれーーー、射殺するのは簡単であったが、
 こちらの居場所をしられたくないため見逃した」と連絡が
有った。ルイスは直ぐに弓を用意して、やじりに巻いてある
テープを取り外した。私が「毒かとーー!」聞くと、
「イヤーー、身体が麻痺して動けない様になる、」と答えた。

それだけ答えると、散弾銃を背中に背負うと犬をヒモで繋ぎ
カモフラジューの網を被ると、小走りで藪の中に消えて行った。
獲物を待ち伏せする様に、ハンターの機敏な動作であった。

しばらくしてベアトリスの犬が緊張して下の藪を見て、耳を立て、
低く唸りだした。そしてベアトリス見上げて、「誰か知らない
奴が慌てて登ってくるーー!」と言わんばかりに動作していた。
その時、下の藪で「ヒ~!」と短く悲鳴が聞えた。
 では次回をお楽しみに、

2012年5月19日土曜日

私の還暦過去帳(245)

かなり古い話です。

昨日ふと思い出して考えていました。
それは衛星TVで日本のニュースを見ていたからと思います。
中国やフィリッピンなどから出稼ぎや結婚で日本に居付いて
苦労しながら子育てしている様子のテレビでした。

かなり古い話と言うのは私が46年前に南米に移住して行く
時に、ブラジルのサントス港で、ブラジル移住者達は全て下船
して行きましたが、入港した日の賑やかさも夕方になりブエノ
スまでの乗船者だけ残り、賑やかに過ごした食堂のテーブルも
一卓のみとなり、僅かな人が夕食に出て来たのでした。

到着したサントス港からサンパウロ市に先輩に付いて尋ねて行
き昔の友達と再会して、元気に仕事をする姿を見てこれから先
の勇気を感じた思いがしました。友と別れてサントス港に戻り、
出航前夜の夕方でしたが、年配船員の方が『飲みに行くが付い
て来るか?』と聞かれて喜んでお供いたしました。

夜のサントス港は多くの外国船員達が遊ぶ場所が有りました。
しかし、私達が行ったのはその反対の場所で、小さな店が有り、
そこに行くと、日本語で『オヤジさん、今日は彼女達は居るか
い?』と奥に聞いていました。年配の日本人が出て来ると、
『居ますよ!』と答えて、席に案内してくれ、若い日本人女性
がビールを出して来て私達に注いでくれました。

こんなサントス港の港町で日本人の女性がお酒の酌をしてくれ
るなんて驚いていましたが、結構日本船が入港するので商売が
成り立つと感じました。其の夜は年配の船員さんが2名と私でし
たが、女性は2名サービスに出てきました。船員さんは『日本語
で酒が飲めるので楽しいからね!』と話していました。酒を飲

みながら聞いた話が、女性は皆さん移住地に入植して、離婚し
たり、逃げ出して日本に帰国する為にサントス港まで来て、
帰国費用を稼いで居る人達でした。
中には子供を取リ返して、日本のパスポート発給を待っている
人も居ました。それぞれに人生の重荷を背負ってサントスで働
いていた人達でしたが、たくましい生き方を見た感じでした。

その中の女性は『私は百姓仕事ばかりしていたので、他は何も
出来ないのですが酒を飲むのが好きだから、私にはこの仕事は
合って居る』と話してくれました。日本の歌謡曲を歌い、自家製
の豆腐と煮魚でのおつまみは日本しか感じられませんでした。
彼女達が日本に帰国して、後でどの様に生きて行ったかは知るべ
き事も出来ませんが、日本でもたくましく生きて行ったと思いま
す。

ビールを5~6本飲んだ頃に一人の年配の船員さんが中の一人の女
性と、どこかに消えて行ったので、二人が親しく話していたので
話を聞いていて『日本人にしか抱かれたくない・・・』と話して
いたのを聞いた覚えが有ります。男と女が日本語で交わす言葉は
情が通じ、心を開いて寂しさや、苦しみを忘れさせ、愛情まで創
ると、帰りに港の石畳の道を歩きながら感じた思いが有ります。

2012年5月17日木曜日

『ゲバラのゲリラ残党を討てー!』

ゲバラ残党ゲリラ追跡の思いで(9)

我々は、無言で銃声を聞いていた。時折、トーーーーと短く
自動小銃らしき銃声も混じり、2ヶ所の異なる場所から響いて
いたが、止むかと思っていたら、ポーンと小銃の銃声が単発の
響きで、山にこだましていた。

どのくらい時間が過ぎたか覚えてはいなかったが、犬達が聞き耳
を立てて、人の気配を感じ、今来た道を見ていた。
すると、ベアトリスが短く口笛を鳴らした。直ぐに答える様に
口笛が帰って来た。ベアトリスが「父が追いついた~!」と言う
と道に飛び出して行った。

ロバを連れた初老の男性が元気な足取りで近寄ってきた。
ルーカスとルイスがパット姿勢を正すと、「隊長殿お元気ですか」
と言って握手していた。彼は長い間国境警備隊に勤務して、現在は
引退して、チャコ地方で牧場を開いていると言う人であった。

兄弟がサルタ州のこの地方で野菜栽培もしているので、良く行き
来して、娘も当地で婚約者ができ、結婚するばかりの前の惨事で
あったが、我々の問いに「無事に一命は取りとめた」と教えて
くれた。

仲良かった友達の命が助かった事に、ホット心の中で安堵の気持
ちが湧いてきた。するとまた、大きな連続した銃声が起った。
マテウスと呼ばれたベアトリスの父親は直ぐに皆を前に作戦を
練った。彼の予測は正確な情報分析でかなりの高度のジャングル
訓練を受けた戦闘部隊を指揮していた経験が、我々の思いもつか
ない事を予測して、対応していた。

彼は地面に図を書いて、木の枝で説明してくれたが、このまま
高見の見物をする事で有った。

「危ない所には近ずかない事が一番だーーー!」と言うと彼は
「おそらくボリビアから密かにゲリラを阻止する為に進入して
 来たアメリカの軍事顧問に訓練された特殊部隊の数人がゲリラ
 を待ち伏せして、殲滅している可能性がある、」と話すと、
「我々民間人は無理な事などせず、一時の感情で事はおこしては
 ダメだーー!」と言って、下の水場の様子を伺っていた。

望遠鏡をカバンから出すと、銃声が時々起る場所を丹念に舐める
様に見ていた。彼はルーカスを呼ぶと、スコープを覗かせて
何か話していた。すると、ルーカスはライフルにカバンのケース
から取り出した狙撃スコープを取りつけた。
スコープを見ながら微調整をして、弾を入れ替えて自分が手詰め
した狩猟弾から、レミントンの市販マグナム弾に入れ替えた。

カバンから狩猟で使うカモフラジューの網を頭から被りライフル
にも薄い網を巻きつけてしまった。おそらく藪の中に身を潜めた
ら絶対に余ほど側に寄るか、犬にでも発見されなければ、見つけ
る事は無理だと思った。軍隊時代狙撃者の訓練を受けて、
インジオの身のこなしと、毎日、生計での狩猟生活は身体に染み込
んだ行動として、彼が森の主として力を秘め、活動出来る天分の
才能があると思った。

それに彼の犬は訓練と、実践の狩猟の生活の中で覚えた犬の感覚
は、どの狩猟犬にも負けることは無かった。

ルーカスとルイスが何か話して、ベアトリスの父親マテウスと
何か打ち合せていたが、彼は自分の犬を呼ぶと、口に軽く皮ひも
で縛り、吼えることが出来ない様にして、首輪に縄をつけると
それを手に歩き出した。
また下で銃声が起り、犬が耳を逆立てて音を聞いていた。
 では次回をお楽しみに、

2012年5月16日水曜日

私の還暦過去帳(244)

私の心の中で納得できない事が有ります。

裁判所の判決で、何人かの日本生まれの子供が日本国籍確認
の裁判を起こして、それが認められなかった。
裁判所の裁判官の所見は、まさに人権を認め様としない、国際社会
からも疑問視される判決でした。

それは・・、

ー外国人女性と日本人男性が結婚前に妊娠して、生まれる
 前に、それは自分の子供だと認知すれば日本人。
 すなわち日本国籍。

ー外国人女性と日本人男性との間に結婚しなくて出生した
 子供は、外国人女性の国籍か、女性の居場所などが確認
 出来なければ・・・、
 下手すれば無国籍。

ー日本人女性が外国人男性と結婚していなくて、出産しても
 その子供は日本国籍と認定され、何の問題も無く戸籍が
 処理され、受理される。
 昔の言葉で言えば私生児として、現代用語ではシングル・マザー
 の子供として・・・、
 日本国籍が取得できる。

ー生を受けて生まれて来る子供には国籍や時間的な選択は出来ない・・・、
 子供の責任でもない。
 生まれて来る子供には生まれた地の法律での保護と、基本的な
 権利を有するものなのに、日本が出生地主義をとらない為に、
 父母がどちらか日本人でも、生まれてくるタイミングと保護者の責任
 での対応で、子供の運命が決まってしまう。

ーその法的な判決も子供を考えての配慮も無い、『人権無視』と言う
 言葉がぴったりの事だが、それが合憲という事で裁判官が子供達に
 言い渡す。何と言う日本国の法律なのか?

 『貴方の母親が結婚もしていなくて、また婚姻届をしていなくて、
  貴方が出生したから貴方には日本国籍は与えられない』
 
 『もしも貴方の母親を妊娠させた父親が日本人で前もってお腹の
  中の子供は俺の子だと言えば貴方は日本人で日本国籍が
  もらえたのだよー!』

このような裁判官の言葉を子供達が理解できるのか?

いまではDNA鑑定で100%近い確立で父親の鑑定が出来る。

しかし、法は涙も情けも、温情もなく、『杓子定規』の判定と判決が
良き裁判官の判断となる。

何と言うことなんだろう・・・、私達が普通の常識で親子と思う事が
非常識となる現代の日本の世の中では、どこで常識を養えばよいのか?
難しい世の中になったものだ・・・・!
アメリカのカリフォルニアに35年も住んで、還暦過ぎたボケた頭でも
おかしいと思うのですが・・・、

貴方はどう思いますか?

2012年5月14日月曜日

『ゲバラのゲリラ残党を討てー!』

ゲバラ残党ゲリラ追跡の思いで(8)

我々は緊張して隠れていたが、ベアトリスが物陰から短く口笛
を鳴らした。すると近くで甘えた「キューン~、ワンワン」と
低く犬の鳴声がした。ベアトリスが道に走り出ると、大声で
「チャオ~!早くおいでーー、ここだよ~!」と言うと黒い
犬が弾丸のような早さで、ベアトリスに飛びついて来た。

ちぎれる様に尻尾を振って、べろべろとベアトリスの顔を舐め
廻して、全身で嬉しそうに表現している。犬の背中に小さな
カバンが首輪と一緒にセットしてあり、そこに紙切れが入って
いるのが直ぐに分かった。ベアトリスは直ぐにそれを出して
皆の前で読んだ。その手紙は彼女の父親からで、

「お前を追いかけて来たが、この手紙を書く前にカウアンと
 出会った。今回はゲリラが追い詰められて危険だから、森林
 伐採キャンプには近寄るな、危険な対人罠か、地雷を仕掛けて
 有る危険性が有る。ボリビアからの越境して来た特殊部隊が
 潜んでいる可能性もある、国境警備本部から情報を得たから、
 ひとまず犬を先に走しらすから、その場で停止して隠れて待っ
 ていてくれ、すぐに追い付くから。父よりーー」と有った。

間一髪の事で、我々はラバが降りて行った道を見詰めていた。
ラバだけを下の水場に追い立てて放したことでホットしていた。
しかしその瞬間「ドカーン~!」と言う爆発音を聞いた。
かなり大きな音で、近くの山と谷間にこだましていた。
「地雷か~!」ルーカスは反射的に言った。
「かなり大きな炸薬が破裂した音だ、多分、罠のヒモを踏むと
 地雷の炸薬部が空中に2mぐらい飛び出して炸裂する、
 特殊地雷かも知れない」と話した。
「おそらくラバは即死だーー!」
「その型の地雷は隊列を組んで歩いている、兵士などを一度に
 殺傷する型で、かなりの威力があるから恐ろしいーー!」と
話していた。

私は軍隊の経験も無いので、そんな事は何も知らなかった。
その時、わき道の茂みの陰から、下からラバが一頭かなりの早さ
で掛け上がって来るのが見えた。口から泡を吹いて、驚いて
走って来るのが分かった。
我々の姿を見つけると、安心した様に近寄り、緊張して耳と尻尾
を絶えず激しく動かしていた。ルイスが近寄り自分のラバと確認
して、軽く何度も鼻先を触り、落ちつかせていた。

怪我もしてはいない様で、おそらくかなり後ろをルイスのラバは
付いて歩いていた様で、前に歩いていたルーカスのラバは死に、
ルイスのラバは無傷で無事で有った。我々は静かにしてベアトリス
の父親が到着するのを待っていた。
その後、意外な展開となった来た。下の水場でバンバンと連射
する銃声を聞いた。
 では次回をお楽しみに、

2012年5月12日土曜日

私の還暦過去帳(243)

私がパラグワイから出て、アルゼンチンに行き、用事でパラグワイ
を再度訪ねての帰りでした。アルゼンチンのポサダの町に来て
ブエノス・アイレス行きの汽車が毎日は出ていませんでしたので
街中の日本人洗濯屋さんの裏庭の離れ小部屋に寝泊りさせて貰って
いました。

それまでは小さなホテルの、シャワーも水しか出ない貧相な部屋
のホテルに泊まっていましたが、そこの食堂で出される食事は、
まあー!日本人の口にも合う様な食事が出ていましたが、
しかし夕食に出されたカツとサラダの赤カブに塩、胡椒でオリーブ
オイルだけでしたがそれにレモン汁をかけて食べたのが美味しくて
もう一度、お代わりして食べていました。

そして翌朝でした・・・、トイレに行って驚きました。
なんと、おしっこも赤い色が混じり、ウンチがそれこそ生まれて初め
ての真っ赤なウンチでした。
一瞬・・、ギョー!として心臓が『どきーん!』と高鳴るのが分かり
ました。どこか急に内臓が異変が起きて、出血したと勘違いしていま
した。

内臓出血ですから、急いで内科の医者に見てもら事を考えて、どこか
ポサダ街中の日本人に聞いてから、医者を探す事にしようと考えて
居ました。それにしても今まで一度も腹痛も無く、昨夜は何事も無く
トイレにも行ってから寝たのです。こんなポサダの町で一瞬考えたの
ですが、『俺は死ぬのかな・・・?』と心では考えていました。

日本から遠く離れた、地球の裏側まで来て病に倒れるとは情けない、
今まで色々な無理をして、ゲテモノ、悪食いなど重ねたのに、一度も
こんな事は無かったからです、めったに考えた事もない両親の顔さえ
思い浮かびました。

それにしても昨夜食べた物は、何も悪い物は食べたつもりも有りませ
んでした。そこで先日友人から紹介された日本人の洗濯屋を思い出し
て、そこで相談する事にしました。

その方はパラグワイから出て来て、ポサダで洗濯屋を開いていて、
パラグワイから来た日本人の溜まり場とも成っていました。
裏庭に離れの小屋を建てて有り、いつも誰かがパラグワイから来て、
泊まっていましたので、どこか医者を紹介してもらう事を考えていま
した。

ホテルから歩いても時間が掛かるほどでもなく、洗濯屋に行くと直ぐに
今朝の真っ赤なウンチの話をしました。奥さんが真剣に聞いて下さり、
どこか知っている内科の医者を紹介してくれるように聞きましたが、奥
さんが『昨夜貴方は何を食べたか?』と聞きましたので、カツを揚げた

付け合せの赤カブの塩、胡椒とオリーブオイルにレモン汁で合えた物を
お代わりして食べたと話しました。奥さんはしばらく考えて居ましたが、
急にゲラゲラと笑い出して、『それでは助からない・・・・!』と言う
と、『あんたもよく食べたね!あんな物を・・・』と言って、もっと
笑います。

私は『キョトーン!』として、『しかしあの赤カブは大変に美味しかっ
た・・』
と答えると、『助かる道は、もう一度同じ赤カブを食べると治る・・』
と言われそれにも驚いていました。『もう少しでお昼になるから、その
赤カブを用意するから食べて命を助けなさい』と言われ、馬鹿正直に考
えて『毒には毒で』消すかと考えていました。それからしばらくしてお
昼休みになりまして、ランチを食べる時間となり、奥さんがテーブルに
呼んでくれました。

昨夜と同じ赤カブが有り、今度はジガイモも添えて有りました。
沢山食べる様に勧められ、真剣に食べていましたが、何かおかしいので
す、家族が笑いを堪えて、今にも噴出しそうな笑い声を我慢している感
じがしていました。赤カブで死ぬのはいやですから、真剣に考えて食べ
ていましたので、そこがおかしかった様です。

私が食べ終わるとついに『ゲラ、ゲラ・・・・!』と笑い出して、
真実を話してくれました。

赤カブの色素が強烈で、必ず食べた翌日にはウンチが真っ赤に染まると
教えてくれました。ビタミンも豊富で、鉄分も沢山含まれていて、少し
甘みも感じる赤カブでしたが、生まれて初めて大量に食べて、生まれて
初めて飛び上がるほど驚いたウンチの色でした。

現在ではカリフォルニアに住んでいますが、当地では『ビーツ』と呼ん
でどこでも野菜売り場で購入出来ますが、食べるたびに、その話を思い
出します。

用語辞典より、
『ビーツとは、地中海沿岸地方原産のアカザ科のサトウダイコンの変種のこと
です。ビーツは赤い色をしたカブのような形で、輪切りにすると同心円状に赤
い輪があり、ショ糖が多く含まれているので、独特の甘味があります。固いの
で水に塩と酢を入れて丸ごと茹でてから切りましょう。ビーツは煮込みや酢漬
け・サラダなどに使います。また、ロシア料理のボルシチには欠かせない野菜
です。手についたビーツの赤い色はレモン汁で落とせます。 』

2012年5月11日金曜日

『ゲバラのゲリラ残党を討てー!』

ゲバラ残党ゲリラ追跡の思いで(7)

我々は食事しながらカウアンの話しも聞いて、明日の予定を立て
計画を練った。カウアンの勧めも有って、用心して最後の道を
降りる事にした。これからのジャングルの道は緩い下り坂で
我々が予定している、ゲリラとの遭遇地点までは5時間の予定

である、3時間ほど降りた所から、わき道に10分ほど途中
少し歩いたわき道の奥に、昔、森林伐採のキャンプが有った。
小さな水場が有り、そこにラバは放しておくと決まった。

そこには運搬の家畜を囲った柵も有り、水場の廻りは青草も有った
ので、ラバを連れたハンターはそこにラバを置いて狩猟に出ていた
ので良く知られたキャンプの水場であった。

ゲリラとの最終遭遇地点は徒歩で荷物も少なくして、僅かな
携帯食料と2リッタの水筒を提げて、あとは各自の銃器を手に
マチエーテの山刀を腰に遭遇地点に行く予定にした。

翌朝まだ暗い内に起きて、荷物をかたずけて、余分な水は岩場の
陰に掘って埋めた。カウアンのポリタンクも同じく側に埋められて
両方を合わせると、40リッタぐらいの水が埋められた。

帰りの食料も缶詰などの重い食料品が同じく埋められた。これで
安心して、帰りの水と食料品が確保できた。
最低ここまでたどり着けば、家までは帰り着く事が保障されたので
気分的に楽になってお茶を各自飲み乾すと、カウアンが歩き始めた。

皆で見送り、カウアンも手を振って犬を先頭にジャンブルに消えて
行った。私達も時を同じくして歩き始めたが荷物が軽く、歩調も
軽かった。ラバ達も今日は少し早い歩調で歩いている感じがした。
しばらく歩いて少し風景が変わってきた。

ルーカスがそろそろラバを放すと言って、休憩すると皆に言った。
ラバは木立の中で荷物を降ろされ、鞍も降ろして、たずなも解き
わき道の方に向けて尻を叩くと、勝手知った水場なのか、急ぎ
足で駆け下りて行った。

我々は小休止を取り、荷物を茂みに巧みに隠して、食料品は蟻や
動物に食い散らかされない様に、ヒモで木に吊るした。

これから先は危険地帯と考えておかないと、どんなことが起きるか
心配で有った。その時一瞬緊張が走った。2匹の犬がパット身構え
唸り声を上げて、耳を逆立てて我々が歩いて来た道を見ていた。

河に降る反対側なので有ったが、ライフルの安全装置を外して
草むらに隠れた。ルーカスがピーと口笛を鳴らしたが返事が無か
つた。
 次回をお楽しみに、

2012年5月10日木曜日

私の還暦過去帳(242)


私がパラグワイから出て、アルゼンチンの郊外で野菜栽培を始めた
頃でした。引退したイタリア人の土地を借りて始めた野菜栽培でし
たが、イタリア人は養鶏業をしていました。

肥料となる鶏糞も無料でいくらでも貰えますので、それと全ての機
材が有り、かなり大型の地下水汲み上げポンプも設置されていまし
た。その町に初めて野菜栽培を始めた日本人が、優秀な野菜栽培で
かなりの収益を上げて、土地を買い、家を建てて、農業機材も揃え
て町でも評判となっていました。

それまでは町で消費される蔬菜の殆どは、ブエノスの中央市場から
運ばれて来ていました。町の近所で生産される野菜は新鮮で安価な
価格で売られたから、評判が良かったのです。

私が借地したイタリア人と仕事を始めて、直ぐに馬を一頭買うこと
にしました。トラックターだけでは小回りが効かないので、馬は必
要でした。イタリア人が知り合いの友人から20Kmぐらいは離れ
た所の牧場から引いて来ました。囲いに入れて、牧草を与えてもし
ばらくは中々食べ様とはしなく、かなりホームシックの様でした。

おとなしい馬で、最初は囲いの中の片隅で、じっと連れて来られた
方角を毎日見ていました。私が時々雑用に使いますが、終わるとま
た囲いの中で、首を垂れて悲しそうな目で遠くを見ていました。
仕事が早目に終わった時に、馬に鞍を付けて近所の畑を見に行きま
した。

すると、馬は私を背中に乗せたまま、連れて来られた昔の牧場に行
く道まで来ると、動かずに、じっとその道の先を見ていました。
パンパの大草原が広がる平坦で真っ直ぐな農道です、土道のぼこぼ
ことした、車が着けた轍の跡が目立つ感じの、どこにでも有る感じ
の農道ですが馬は二度ばかり、いななくと、その道に駆け出そうと
しました。

私は慌てて飛び降り、たずなを引き止めました。しばらく興奮して
暴れていましたが、私に引かれておとなしく帰りましたが、それか
ら餌を食べなくなり柵の外に有る、アザミのとげの有る草を食べて
下痢をして、騒動を起こしていました。
イタリア人が『この馬はまだ若くて、仲間と仲良く生活していて急
に連れて来られ、寂しくてホームシックに掛かっている』と教えて
くれまた。

馬の目が悲しそうで、パンパに広がる大草原の萌える様な緑と青空
の下でポツーンと佇んでいる姿は、私が見ても病んでいると感じま
した。イタリア人と相談して、元の牧場に返す事にしました。近く
の農場で競売が有り、馬も2頭も売ると聞いてきて、イタリア人に
話を付けて貰い、すべて解決しました。

元の牧場に帰る時、馬はそれが分かったのか、急に元気になり、
農道を引かれて行く道で、尻尾を立て駆ける様に見えなくなったの
が忘れられない思い出です。

2012年5月9日水曜日

『ゲバラのゲリラ残党を討てー!』

ゲバラ残党ゲリラ追跡の思いで(6)

その日かなり薄暗くなって、キャンプすることにした。
そこはルーカスがいつも利用している場所で、尾根の頂上で
見晴しが良くて、風も防げる石が有り、岩場のくぼみに寝床を
作る事は簡単で、テントも要らず炊事をする場所もちゃんと
有った。沢山の岩場を利用して宿泊していった人が一晩の寝場所
として、少しずつ過ごしやすい場所にしていった感じがする。

ロバの荷物を降ろして、トウモロコシとアルファルファ-の乾燥
の塊を少し与えて、水を少し飲ませた。それが済んで一休みして
いる時、犬達が緊張して、耳を立て、鼻を宙に上げてクンクンと
匂いを捜している感じで、少し緊張してライフルを手元に引き寄
せ、安全装置を外して射撃が出来るようにしていた。
ルーカスもルイスも緊張しているのが分かる、ベアトリスは無心

に炊事の支度をして気がつかない。石油コンロに鍋をかけて
煮込みのスープを作っている、乾肉のダシで美味しい匂いが
していた。犬達が急に尻尾を振り出して、ボリビア側の小道を
見ている。ルーカスがピーと口笛を独特のリズムで鳴らした。
すると、答える様に今度は違うリズムで答えて来た。
ルーカスが「カウアンが来ているーー、狩猟の帰りかも~!」
と言うと、ライフルを降ろして安全装置を掛けた。

5分ほどして、カウアンが見えて来た。犬達が大喜びでクンクン
とお互いに尻尾を振りながら、カウアンの犬を歓迎して迎えて
いる。ベアトリスも気がついて、食事の支度を止めて迎えた。
「お客が来たようですね~!」と言って、煮込みにジャガイモと
玉ねぎを入れ足していた。彼は赤トカゲの皮を専門で狩猟して
いるハンターで有った。当地の取引価格でも一番高い値段がする

皮で、日本などで高級ハンドバックなどでは10万円もすると
言うバックになる。カウアンは荷物を肩から下ろすと、どっかと
座り込んだ。ルーカスがマテ茶を差し出すと喜んで飲み、それから
話し始めた。
「現在、ボリビア国境は警備が激しくて越えられなかった。」
「それから特殊部隊らしい人間がゲリラを探索しているから気を
 付けろーー!」 
「一度、その男達に捕まり尋問されたが、幸いに狩猟ライセンス 
 を持っていたので、釈放された」と言った。

そこまで話すと、「鹿を撃って沢山乾肉にしたからーー」と
荷物の中から、ごっそりと出して来た。それから自分の水を
隠していると話して、ルーカスを連れて少し離れた岩場の陰に
連れて行き、軽く土を掘ると、20リッタのポリタンクが満タン
に水を入れて出てきた。
彼は「このタンクは飲料殺菌クロリンのタブレットを入れてい
 るので水が腐らない」と話して、
「雨の時期が終ったばかりの時、まだ近くで水が有った時期に
 埋めておいた」と教えてくれた。

ルーカスも感心して見ていたが、「今では近所はどこにも水の一滴
 も無い、有り難い事だ、我々も見習って埋めておこう」と話して
食事の時間になった。カウアンがカンニヤーと言う砂糖きびで
造った焼酎を出して来た。コップに少しずつ注ぐと乾杯して皆の
健康とこれからの無事を祈った。煮込みスープと火であぶって
柔らかくなった乾肉とパンで、近況を話し合いながら食事とした。

犬達は3匹とも、貰った乾肉を美味そうにかじっている。
ロバも座り込んで我々の食事を眺めているが、長い耳が時々辺り
の音を聞いている様だ、和やかな一時で、明日のゲリラとの
遭遇をまったく感じさせなかった。しかしそれは嵐の前の静けさ
で、誰も明日の朝、凄惨な戦いが起るとは感じなかった。
 では次回をお楽しみ、

2012年5月8日火曜日

私の還暦過去帳(241)


昔のことです・・、
アルゼンチンのサルタ州エンバルカションの町はずれに住んで
農業をしていた時でした。
その季節はトマトの収穫時期で、一日、多い時は2回ほどトマト
を町まで運んでいました。農場までは長距離の大型トラックが入
ってくることが出来なかったのです、2ヶ所も急な坂があり、
大型トラックではブルドーザーが押して開いた道だけの山道では
すれ違いも出来なかったのでした。

朝の内に一台、午後の遅くに一台満載でトマトを町に運んで行き
ました。運転手が溜まりのバールに行くと、タルタガールから来
たトラックの運転手が、『お前の同国人らしき男を乗せてきた』
と教えてくれました。柔道をしている無銭旅行者のようでした。

駅の近くのバスターミナル辺りで降りたと言っていましたので、
近所でしたので興味があり探しに行きました。
すると知り合いのインジオが、『近くの酒場兼、レストランの店
で日本人が喧嘩をしてチャコ地方から来た現地人を柔道で投げ飛
ばした』と教えてくれました。投げられた相手は仲間を探しに

行ったと話していたので、暗くなり危険と感じて、急いでその店
に歩いて行く途中で、4名ほどの現地人の労務者がシャツで山刀
を隠して、中の2名はかなり酔っている様で立ち話をしていました。
直感で危ないと感じて、店に飛び込むと、がっしりとした男が椅子
に座り、ビールとハムのサンドイッチを食べていました。

手短に訳を話して、直ぐに町を出るように勧めました。私の気迫に
驚いたのか神妙に聞いていました。
町では、どこにも泊まる様なホテルは今時の収穫時期には有りませ
んので、それも教えました。あと僅かな時間でブエノスまでの長距
離トラックが出発しますので、汽車も無いし、バスも近所までしか

走りませんので『怪我をしたり、殺されたくなかったら、私の言う
事を聞いてくれ』と頼みました。相手は事の重大さに気が付いた様
で、私が紹介するから長距離トラックに乗せて貰い、すぐにこの町
を離れる様に勧めると、納得して了解してくれました。
現地人の労務者達がいる場所を避けて歩き、長距離トラックの駐車
しているバールの前に来て、アントニオのトラックに乗せてもらう

様に交渉して、アントニオには迷惑代としていくらかの金を握らせ
てOKを取りました。店でミラネッサのカツを挟んだサンドイッチ
を弁当に作って貰い、それを持たせてトラックに乗せました。
トラックは走り出したら、かなり停車無しで飛ばします、相手は神
妙にしてカバンをトラックの寝台下の物置に入れると、私に握手し
て『世話になりました・・・』と言ってくれました。

時間にしたら30分ぐらいの身近な時間です。名前も聞いたのです
が今では覚えても居ません、『袖すり合うのも多少の縁』ですが、
同国人として、何か日本人の旅の若者を助けたかった思いでした。
その当時、喧嘩で負けて仕返しに襲い、殺された相手の人間を何人
か知っていたからでした。警察の力が弱くて、隣国のパラグワイや
ボリビアなどに逃げると、それで迷宮入りでしたから・・・、

2012年5月6日日曜日

『ゲバラのゲリラ残党を討てー!』

ゲバラ残党ゲリラ追跡の思いで(5)

セスナの小型機は我々の上空をかすめて飛んで行った。
何も発見され得ることなく、トランシーバー.ラジオに交信
している声が聞こえて来た。 ゲリラが早朝に炊飯している
場所を発見して、追跡時間にして四時間ぐらいの距離で追いか

けていると話していた。河の曲がり角のカーブしている場所
から国境警備兵が発信しているので、上手く行けば私らが早く
到着して、先回りして、待ち伏せ出来るかも知れないと感じた。

道が有るボリビア国境までは直線距離ではたいした事は無いが、
ジャングルの中では、簡単なことではなかった。
それと、河岸が平坦で、渡河出来る場所は限られていたからで、
ゲリラが荷物を持って、渡河出来る場所は2ヶ所しか無かった。

それも人の目につかず、安全で、荷物を持って歩いて簡単に渡
れる場所は1ヶ所しかなかった。そこからでは、ボリビア国内
へは簡単にどこの方角でも道が有り、私が推察しても軍のプロ
が追跡していても、感じる場所は1ヶ所に絞られる。
私はルーカスにも聞いてみたが彼も同じ答えで有った。

200mから時によっては、250mの幅で、そのどこかの間で
渡河すると思われた。正確に時間計算してゲリラの徒歩の時間を
推測してみた。余り休んでいる暇はなかった。時間的に追跡して
いる国境警備兵に追われる、ゲリラの方が休み無く正確に徒歩で
ジャングルを歩いて逃げている感じで、我々もそれに合わせて
急がなくてはならなかった。

ボリビア国境を越させない様にしないと、後で面倒が起ると
感じていた。その前で待ち伏せして、罠を掛けて、チャンスが
有れば、ルーカスに射撃の腕を見せて貰う事が出来ると思った。
時間との戦いで、根気と忍耐とを身体に秘めて、私は復讐の
チャンスを狙っていた。
次回に続く

2012年5月5日土曜日

私の還暦過去帳(240)

アメリカも冬場は、ビジネスもスローな時期です。
雨などが降ると、かなり日雇いの、ヒスパニック系の若い男達が
道端に並んで仕事を待っている。

近くの大工センターの資材売り場のパーキングでも、彼等の永い列
が見られるが、その永い列が減る事は無い・・、真剣なまなざしと
彼等が喰らい付いてくる感じの気迫、じっと冬の寒さに耐えて待つ
根気と粘り、若い白人の失業者が、そこまでするであろうか?

先日も資材を買いに出かけたら、若いヒスパニック系の男が
トラックに来て、『仕事を探している、何か仕事がないか?何でも
するから・・・』の言葉をカタコトの英語で話しかけて来た。
日焼けして、かさかさに荒れた手を、トラックの荷台に手を掛けて、
頼み込む言葉は真剣で、切実さが込められている。

『どこから来た・・・』とスペイン語で聞くと、
スペイン語が解ると感じたのか、

ーユカタン半島近くの田舎から・・・、
ートウモロコシの植え付けも終わり、出稼ぎに出てきた。

そうか・・、

ーバスを乗り継いで、国境の砂漠は歩いて越えて来た。
ー一緒の仲間がだいぶ落伍して国境を越えられなかった。

いくらぐらい稼ぎたいのか?

ーしばらく働いて、家族に送金して、いくらか金を持って帰りたい。
ーこれで3回目だ、その前はテキサス州で仕事をしていた。
ーしばらく仕事が無いので、一時間8ドルでも好いから・・・、
 いや、長く仕事が出来れば、7ドルでも・・、

仕事にあぶれているのか?

ーそお・・・!ブリートしか食べていない・・、豆だけだ・・・、
ーほらー!弁当代わりに、ポケットにブリートが入っている。
(彼はアルミホイルに包んだブリートをチラリと見せてくれた)

若い様だけど家族は居るのか?

ーワイフと子供がふたり居る・・、メキシコの田舎では月に150ドル
 ぐらいしか稼げない・・、一日仕事して、4ドルぐらいだよ・・・!
 ここでは2日仕事すればそれだけ稼げるから・・、
 多い時には月に300ドルぐらい仕送りしている。
 稼ぐ時には、一度、500ドルぐらい送ったらワイフがびっくりしていた。

どこで寝ているのか?

ーアパートに泊めてもらっているが、月に120ドル払う・・・、
 4名が一部屋に住んでいる。
ーお前はチーノか?いやにスペイン語を話すではないか・・、

隣に停まっていた小型トラックに資材を積んでいたおやじが、

『その若い奴は、日雇いか?俺に紹介してくれ・・・、』と来た。
『今日一日、塀の修理をするので、誰かヘルパーがいるから!』と
話している、早速にスペイン語で仲立ちして直ぐに10ドルの時給で話が
まとまった。

ーセニョールー!どうも有難う御座います・・・、
ー貴方と話していたおかげでラッキーな事に、仕事に有り付いた。

じやーなー!がんばれよ・・・!
この水のボトルを持って行け、今日の日中は暖かくなりそうだー!

セニョール・サンキュー!

2012年5月4日金曜日

『ゲバラのゲリラ残党を討てー!』

ゲバラ残党ゲリラ追跡の思いで(4) 

70歳も過ぎて老いぼれて、片足棺桶に差し込んで時々思い出す
事はやはり若い時に体験して事です。

アメリカに住んで35年も経ち、昔、キューバからカストロ政権
から逃げて来たかなりの年配の人とも出会いました。
彼が話したことは家族の一人と親戚が同じく一人、ゲバラの指揮
する銃殺部隊により処刑されたと聞きました。ゲバラが革命終了
後に処刑した600名の中に身内が居たと言うことでした。

私が南米での経験を話すと驚いていましたが、事実は奇なりと言う
事をその方が話していました。当時、43年も前の南アフリカの
アパルト・ヘイトの人種差別も体験して、隣国のモザンビークの
内戦も見て、民族解放戦線とポルトガル軍との戦いで逃げ惑う人間
の多くは社会主義も資本主義も関係なく、生きる、食べる、命永ら
え生き残ると言う人間の本能で有ったと思います。

ゲバラが理念として、理想した社会は今ではこの世の中では受け入
れられない所も有ります、ロシアも社会主義を捨て、中国は改革開放
政策に転換して、ベトナムもドモイと言う標語で改革開放政策に移行
しています。私が南米からアフリカ経由で帰国する時に、ベトナム沖
で船の上空をかすめる様に海上からジット戦闘機がベトナム爆撃に

海面スレスレに低空で進入して行った情景を思い出します。
そのベトナム戦争も終結して難民として、アメリカに来たベトナム人が
歳を取り骨を埋める覚悟で帰国する事が出来て、それも直行便の飛行機
で帰る事が出来るのです。時代は変化しました。世界も変わりました。
その様なことを考えながら今回は書いています・・、

朝は早かった。まだ星空が暗い闇に瞬いて、微かな夜明けの兆し
が有るだけでシーンとしていた。手早く荷物をかたずけて、ラバ
に荷物を載せてしまった。石油コンロで湧いたお茶をベアトリス
は各自に配り、立ったまま飲み干した。ルイスは残りのお茶を
何かつぶやきながら大地に撒くと、神に祈っていた。

朝の冷気をかき分ける様に歩き始め、馬がいなないて出発を告
げた。あとは黙々と歩くのみで、ジャングルの小道を山沿いに
登り始めたが、まだ馬で歩ける小道があった。
ひとしきり歩いて、小休止を取った。かなり日が高くなり暑い
太陽が出てきた。まだジャングルの木の下は木陰で冷気が有り
歩くのには涼しかった。

小休止からしばらく歩いて、早目にお昼の休みとした。
ルーカスがここが山を越える前の最後の水場で、あとはどこにも
水の一滴も無いと言って、持ってきた皮袋に水を入れ始めた。
岩の間から流れ出る清水は歯がジーンとするくらい冷たかった。
皮袋が2つ、各袋には20リッタが入り。各自ポリタンクに10
リッタを持ち、非常用に2リッタ水筒を肩からさげた。

一番のかさばる荷物であったが、この水が無いと狂い死ぬ事は
間違いない事であった。暑い乾季のジャングルでは何より
重要な事で、皮袋の点検もルーカスが念を入れて2度もしていた。
ずっしりと重さが増した積荷を背に、ラバは黙々と歩いてくれ、
いよいよ山の急な勾配の坂にとりかかった。
馬を下り、徒歩でしばらく歩くと、馬もついて来れなくなった。

馬から荷物を降ろし、ルーカスと私は背中にリュックを背負い、
水、食料品、救急医療品、寝袋、トランシーバ.ラジオ一組、
少しの着替えをなどを入れた。
馬の2頭は、たずなも足を掛ける環踏みもかたずけて尻を叩くと
追い返した。馬は自由に解き放たれて、荷物も人も乗せる事無く
大きくいななくと、直ぐに木立の中に見えなくなった。
ベアトリスのラバはしばらく付いて来たが、少し足を痛めている
様で、それも追い返した。

あとはルーカスが引いた積荷を背負つたラバと、ルイスが乗って
いたラバの2頭になった。ルイスのラバにも荷物が配分されて、
これからの斜面を登る安全を図った。各自の荷物を背中に持って
ルイスとルーカスが前でたずなを引き、私とベアトリスが後ろで
積荷を監視して、ロバの尻を叩いた。先頭に一匹の犬が、最後尾
にもう一匹の犬が守る様について来た。

木立の茂みも少なくなり、国境警備のセスナ機がゲリラと間違っ
て発見して、銃撃される危険があったのでトランシーバ.ラジオ
のスイッチを入れて、調波を交信可能にしておいた。
暑さは増して、木立が少し茂り、木陰が有る場所で午後の長休止
を取り、コンビーフ缶詰を開けて切り、固くなったパンに生の
玉ねぎをスライスして挟んで食べた。
遠くで飛行機の爆音が聞えて来た。犬達が耳を立てて方角を確か
め、ますます近くに聞こえて来た。
 では次回をお楽しみに、

2012年5月3日木曜日

私の還暦過去帳(239)

だいぶ前になります、かれこれ15年近く前でした。
アメリカ人と話をしていて、日本の教育問題の事でしたが、か
なり激しい考えがぶつかり合う論争をしました。

当時日本では『ゆとり教育』という、錦の御旗の下で、一斉に
授業時間短縮、教科の削減、週休2日制の移行と、虹色で、ばら
色の話でした。その話に大反対したのがアメリカ人の若い学生
でした。彼は日本語を勉強して、かなり日本の学校教育に感心
を持っていた学生でした。

その学生がいきなり、『ゆとり教育は日本を破壊するー!』と言
い張り、石油資源も無く、また鉱物資源も殆どが海外に依存して、
知的資源で日本が成り立って居ると話していましたが、私もその
考えには賛成でした。

海外で生活して感じる事は、知的財産の偉大さと、それが生み
出す巨大な利益と社会的な活動の原動力です。
国家と言う源になるのが教育と感じますが、また個々の人間の
教育蓄積が社会の活性化と進歩性が加味した新しい社会を作ると
感じます。

明治の初めから日本国が海外に留学生を送り、技術者を海外
から雇い入れ、その指導を吸収して、新しい産業基盤の源を作り
発展と進歩をしてきた最高基盤は、教育と認識されていました。
それが官僚の誤った考えと指導と行政で、日本の根幹を揺らぐ

教育破壊に繋がった事は、アメリカ人の学生がその行政指導を批
判していた事に有る様に、アメリカでは当時は学力低下が著しく
て、州政府が教育奨励金を出してまで、学力向上を目指していま
した。当時のカリフォルニア州の教育時間は一年で185日以下
言う状態でした。

日本では週6日授業で日数も225日以上は有ると言われていた時
代でした。それに補修授業なども有ったようでした。当時の中国
では一年に232日ぐらいの授業日数が有り、日本よりかなり激
しい競争社会の中国沿岸部の大都市での教育が、日本に追い着け、
追い抜けと言う掛け声を元に、中国社会が躍進していた時代でした。

アメリカ人学生が皮肉にも、『アメリカ社会では学力増加に躍起に
なり、日本社会では、その質と水準を落とそうとしている』と皮肉
って、日本政府は中国の躍進や韓国の激烈な受験戦争などが、どの
ような意味合いが有るか、それは日本をアジアの世界から、地球の
競争社会から蹴落とす事に有るのを忘れていると・・・、

日本の根底を支える人口も出生率の低下と学力低下から来る、日本
を支える頭脳資産の減少を合わせると、一握りの官僚の発想から日
本を破壊に導いて行った事は、今になり急変革の見直し論を展開す
る貧困さが、『もっとあざ笑いの貧困行政』と皮肉っていたアメリ
カ人を忘れる事は出来ません。

2012年5月2日水曜日

『ゲバラのゲリラ残党を討てー!』

ゲバラ残党ゲリラ追跡の思いで(3) 

全員が歩き出して、馬とラバの隊列を見廻した。
先頭はルーカスが、馬で引いているラバの積荷がゆれている、
その後ろは同じくラバにまたがって、ベアトリスが歩いている。
その後ろを私が馬で付いていた。

最後はルイスがラバに乗って、荷物も少し両側に振り分けて乗せて
居る様だ。驚いた事に犬が2匹付いて来ている、雑種の中型犬で
どこにでも居るような犬であった。

黙々と舌をだして、埃っぽい道を犬達は急ぎ足で歩いて居るが
勝手知った道であるかのように、時には先を走っている。
ジャングルの小道をかなり歩き、日もだいぶ暮れてきた頃、
山の麓の谷間に着いて、キャンプする事になった。
馬とロバを繋ぎ、それぞれ、シートを広げて、寝場所を作り
ルーカスが焚き火を起して、お茶を沸かして家から持ってきた

アサードの焼肉の塊を火にあぶってナイフで切り取ると、パンを
配り食べ始めた。お茶はマテ茶であつたが私はお湯を貰うと
インスタントのコーヒーを入れた。 粉ミルクを少し入れて、
ベアトリスのコップにも入れてやつた。
犬達は焼肉の骨と、脂身の部分を貰うと美味そうに食べている。
食後、まだ明るい内に明日の早朝からの山の中を歩く用心の
為に、各自の持参の銃器を点検掃除した。

ルーカスはボルトアクションの狩猟ライフルが一丁、ベアトリス
は小型のブローニング22口径のライフルと姉から借りて来た
ベレッタの拳銃、私は小型軍用カービンといつも身に付けている
レボルバーの拳銃、ルイスは中折れの単発の散弾銃、杖の様に
しているが小型の弓、矢は5本しか持ってはいない。

全員の武器である、これに各自がナイフと現地でマチェ-テと
言う山刀、これはジャングルでの必要品で、これがあらゆる作業
に利用できる、ルーカスと私が軍用の折りたたみ式のスコップ
を持っている。私は暗くなったキャンプ地の焚き火の前で皆に
今回の追跡を説明した。

私の親友が撃たれて瀕死の重症を受けたこと、その前に知り合い
の農場の支配人をしている男性が同じく襲われて倉庫のカギを開け
た瞬間、後ろから今回と同じ様に問答無用で右胸を撃たれて死亡
してしまったことを説明すると、うなずいて聞いていた。
私は話しながら、当時の悲しい様子を思い出していたが、今回は
是非逃さずに、そのゲリラの首領格の人物を掴まえる事は不可能
でも、ただ手をこまねいて見逃す事は出来なかった。

今回は追いついてボリビア国境を超えても追跡して、彼等ゲリラ
が逃亡の頼りにしている犬を罠をかけても殺すこと、チャンス
があれば首領も銃撃して射殺したいと思っていることを話した。
私はバスのターミナルで、「ゲリラが襲撃、又は突然発砲して
来たら、反撃して射殺してもその責任は法では問わない」と
張り紙してあったのを読んでいた。

皆はうなずき、「それはあたり前だーー!」と言った。
案内の犬が居なければ、彼等はレーダーが無い船に乗っている
事と同じで、先ず襲撃は実行不可能で、夜間など逃げる事は
先ず待ち伏せ攻撃など簡単に受けてしまうからであつた。
話し終わると、それぞれのお茶のコップでこれからの無事を
祈って乾杯して眠りに付いた。蚊もいなく安眠できそうであり、
犬達が見張る様に茂みの陰で野獣の目を光らせていた。
 次回をお楽しみに、

2012年5月1日火曜日

私の還暦過去帳(238)



私が南米に移住した47年前に、アルゼンチンも北に上り、ボリ
ビア国境近くの南回帰線より、150kmは中に入った場所でも
冬場はかなりの霜が降りる時が有りました。

北に上り、ボリビア国境地帯では温室などの設備が不要でトマト
などの生産を大規模に行っていました。私が働いていた農場は主
にトマトとピーマンを生産していました。

それと少し一時間ばかり離れた所に、オレンジとバナナの栽培農
場を開いていました。オレンジは10ヘクタールぐらいでしたが、
収穫時にはかなり忙しくて、泊り込みでの作業でした。
しかし、南米でも南回帰線の内側からかなり入った場所でも霜の
被害が出る事が有りました。一番簡単に被害が出るのがバナナで
した。

真っ赤に枯れた葉が頭を下げて、延々と連なっているのを見ると
少し可哀想に感じました。オレンジは霜が降りたり、凍ってしまう
と、実の中がパサパサとして、甘みも無く商品価値が半減します。

大規模な投資をして開いた蔬菜農場で、トマトの広大な畑が黄色く
葉が焼けて異臭がしている所を見た事が有ります。トマトはドロリ
と溶けた様に崩れて哀れな立ち姿でした。
私が居た農場でも、気温がドンドンと下がって、トマト畑の葉が白
く霜を被り、触るとシャリー!と微かに音が出ました。

隣の畑では畑でタイヤを燃やしたり、重油を缶に入れて燃やしたり、
かなりの対策をしていました。しかし農場のオーナーは騒がず、あ
せらず『無駄だよー!』と一言いってコーヒーを入れて飲んでいま
した。

彼は気温が下がり出すと、畑に灌漑用水を引き、かなりの水をトマ
ト畑に潅水していました。ただそれだけでした。
後は『運を天に任して・・・、』のんびりとしている様でしたが、
心の中は大変な事と思いました。

霜が深く降りて、朝になり急に晴れた空に気温がドンドンと上がり、
日中はかなりの気温となれば、直ぐにトマトの葉が溶ける様になっ
てしまいました。

しかし、朝の寒さで、河から霧が沸き起こり、トマト畑がすっぽり
と被さる様になり、ゆっくりと気温が上がれば、かなりの被害が防
止出来ました。
霧が出てくると、トマトの葉がしっとりと濡れて、水滴がポタポタ
落ちて霜に凍って居るトマトと葉がかなり助かり、またトマトの被
害も売り物になる実がかなり残ります。今でも思い出しますが、私

が居た農場の対岸の畑で大きな火の手が上がり、黒煙のタイヤを燃
やす煙がまるで映画の戦場の様な場面を見ました。外の外気の冷た
さに震え上がり、ワインの酒を飲んで体の中から暖めていました。

先ほどキーボードを叩く手を休めて外に出てみたら、零度のスレス
レの所で針が止まっていました。空は満点の星空で、澄んだ空に星
がきらめいていました。46年以上も昔に見た夜空と同じ感じで、
ピーンー!と張り詰めた冷気が、昔の思い出の場面をフラッシュす
る様に頭を横切りました。