2012年5月19日土曜日

私の還暦過去帳(245)

かなり古い話です。

昨日ふと思い出して考えていました。
それは衛星TVで日本のニュースを見ていたからと思います。
中国やフィリッピンなどから出稼ぎや結婚で日本に居付いて
苦労しながら子育てしている様子のテレビでした。

かなり古い話と言うのは私が46年前に南米に移住して行く
時に、ブラジルのサントス港で、ブラジル移住者達は全て下船
して行きましたが、入港した日の賑やかさも夕方になりブエノ
スまでの乗船者だけ残り、賑やかに過ごした食堂のテーブルも
一卓のみとなり、僅かな人が夕食に出て来たのでした。

到着したサントス港からサンパウロ市に先輩に付いて尋ねて行
き昔の友達と再会して、元気に仕事をする姿を見てこれから先
の勇気を感じた思いがしました。友と別れてサントス港に戻り、
出航前夜の夕方でしたが、年配船員の方が『飲みに行くが付い
て来るか?』と聞かれて喜んでお供いたしました。

夜のサントス港は多くの外国船員達が遊ぶ場所が有りました。
しかし、私達が行ったのはその反対の場所で、小さな店が有り、
そこに行くと、日本語で『オヤジさん、今日は彼女達は居るか
い?』と奥に聞いていました。年配の日本人が出て来ると、
『居ますよ!』と答えて、席に案内してくれ、若い日本人女性
がビールを出して来て私達に注いでくれました。

こんなサントス港の港町で日本人の女性がお酒の酌をしてくれ
るなんて驚いていましたが、結構日本船が入港するので商売が
成り立つと感じました。其の夜は年配の船員さんが2名と私でし
たが、女性は2名サービスに出てきました。船員さんは『日本語
で酒が飲めるので楽しいからね!』と話していました。酒を飲

みながら聞いた話が、女性は皆さん移住地に入植して、離婚し
たり、逃げ出して日本に帰国する為にサントス港まで来て、
帰国費用を稼いで居る人達でした。
中には子供を取リ返して、日本のパスポート発給を待っている
人も居ました。それぞれに人生の重荷を背負ってサントスで働
いていた人達でしたが、たくましい生き方を見た感じでした。

その中の女性は『私は百姓仕事ばかりしていたので、他は何も
出来ないのですが酒を飲むのが好きだから、私にはこの仕事は
合って居る』と話してくれました。日本の歌謡曲を歌い、自家製
の豆腐と煮魚でのおつまみは日本しか感じられませんでした。
彼女達が日本に帰国して、後でどの様に生きて行ったかは知るべ
き事も出来ませんが、日本でもたくましく生きて行ったと思いま
す。

ビールを5~6本飲んだ頃に一人の年配の船員さんが中の一人の女
性と、どこかに消えて行ったので、二人が親しく話していたので
話を聞いていて『日本人にしか抱かれたくない・・・』と話して
いたのを聞いた覚えが有ります。男と女が日本語で交わす言葉は
情が通じ、心を開いて寂しさや、苦しみを忘れさせ、愛情まで創
ると、帰りに港の石畳の道を歩きながら感じた思いが有ります。

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