2012年5月10日木曜日

私の還暦過去帳(242)


私がパラグワイから出て、アルゼンチンの郊外で野菜栽培を始めた
頃でした。引退したイタリア人の土地を借りて始めた野菜栽培でし
たが、イタリア人は養鶏業をしていました。

肥料となる鶏糞も無料でいくらでも貰えますので、それと全ての機
材が有り、かなり大型の地下水汲み上げポンプも設置されていまし
た。その町に初めて野菜栽培を始めた日本人が、優秀な野菜栽培で
かなりの収益を上げて、土地を買い、家を建てて、農業機材も揃え
て町でも評判となっていました。

それまでは町で消費される蔬菜の殆どは、ブエノスの中央市場から
運ばれて来ていました。町の近所で生産される野菜は新鮮で安価な
価格で売られたから、評判が良かったのです。

私が借地したイタリア人と仕事を始めて、直ぐに馬を一頭買うこと
にしました。トラックターだけでは小回りが効かないので、馬は必
要でした。イタリア人が知り合いの友人から20Kmぐらいは離れ
た所の牧場から引いて来ました。囲いに入れて、牧草を与えてもし
ばらくは中々食べ様とはしなく、かなりホームシックの様でした。

おとなしい馬で、最初は囲いの中の片隅で、じっと連れて来られた
方角を毎日見ていました。私が時々雑用に使いますが、終わるとま
た囲いの中で、首を垂れて悲しそうな目で遠くを見ていました。
仕事が早目に終わった時に、馬に鞍を付けて近所の畑を見に行きま
した。

すると、馬は私を背中に乗せたまま、連れて来られた昔の牧場に行
く道まで来ると、動かずに、じっとその道の先を見ていました。
パンパの大草原が広がる平坦で真っ直ぐな農道です、土道のぼこぼ
ことした、車が着けた轍の跡が目立つ感じの、どこにでも有る感じ
の農道ですが馬は二度ばかり、いななくと、その道に駆け出そうと
しました。

私は慌てて飛び降り、たずなを引き止めました。しばらく興奮して
暴れていましたが、私に引かれておとなしく帰りましたが、それか
ら餌を食べなくなり柵の外に有る、アザミのとげの有る草を食べて
下痢をして、騒動を起こしていました。
イタリア人が『この馬はまだ若くて、仲間と仲良く生活していて急
に連れて来られ、寂しくてホームシックに掛かっている』と教えて
くれまた。

馬の目が悲しそうで、パンパに広がる大草原の萌える様な緑と青空
の下でポツーンと佇んでいる姿は、私が見ても病んでいると感じま
した。イタリア人と相談して、元の牧場に返す事にしました。近く
の農場で競売が有り、馬も2頭も売ると聞いてきて、イタリア人に
話を付けて貰い、すべて解決しました。

元の牧場に帰る時、馬はそれが分かったのか、急に元気になり、
農道を引かれて行く道で、尻尾を立て駆ける様に見えなくなったの
が忘れられない思い出です。

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