2012年5月21日月曜日

私の還暦過去帳(246)

待ち人達は時の流れに呑み込まれ、今では思い出しかない。

私が管理していた集合住宅で、引退者が多く住んでいた所が
有りました。私が昔に建設された緩やかな広い敷地の芝生が広
がった緑地帯を見て廻り、トラックを駐車していた場所に戻ると、
そこに近所に住んでいる老婦人が、ピクルスの瓶を持って立って
待っていました。

『時間どうりに戻ってきた・・』と言うと、ハンバーグに入れる
ピクルス瓶の蓋が開かないとランチが食べられないと話していました。
私が『ポンー!』と簡単に開けると、嬉しそうにして家に戻って行き
ましたが、何度頼まれたか・・、小柄な老婦人ですが良く色々な

雑用を頼まれ、また直ぐに修理したり、かたずけたりしていました。
同じ集合住宅で同じく家にカギを忘れて締め出されて、何度か二階
の窓から入り、入り口のドアを開けてやりました。
彼女は歳で耳も遠くて、記憶力もだいぶ低下していた様です。

私が直ぐに開けてやるものですから、二階のべランダの窓にはカギ
を閉めない様に注意していました。一度私が居ない時にドアから
締め出されて、鍵屋を呼んだら、かなり昔ですが200ドルも取られ
たと話していました。年金生活者には大変です・・・、

老夫妻の所にそこの息子から管理を頼まれて、毎週訪れていました
が、私が行くと必ずメールボックスから『郵便物を取って来て、』と
頼まれていました。前は息子が両親の家を管理していたのですが、忙
しくなり、私に管理を任せていたのです、しばらく通っていましたが

父親が先ず先に亡くなり、残された奥さんもしばらくして老人モーム
に入居してしまいました。ある老婦人は足が弱って犬の散歩が出来
なくなり、いつも私に近所を歩かせて来てくれと頼んでいました。
集合住宅の敷地を点検で歩く時に、良く連れて遊んでいました。

利巧な犬で、仲良しになりランチ時間は良く遊んでやりました。
その老婦人が癌で倒れ、犬は娘が連れて行き、時々娘に連れられ
て老婦人が病院から帰ってきて居ましたが、私が通りかかった時に
私を呼ぶと、犬の写真を見せてくれました。

そして『手術をするが、もしかしてこれが最後かも知れない・・、』と
話すと私の手を握り、『いつも私の愛犬を散歩してくれ、有難う・・』
と話す目が潤んでいたのを覚えています。それからしばらくして集会所
の掲示板に死亡のお知らせが出ていました。

色々な方が私が仕事に行くと待っていたのですが、それも時の流れ
で全ての方が亡くなり、今では私の心に思い出だけしか残っていません。

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