2019年2月26日火曜日

私の還暦過去帳(604)

私の交遊関係、
私はこの歳でも趣味は園芸と家庭菜園の仕事です。
煙草も喫わなく酒もお薬の酒で、去年の春に購入した1ダースの
ビールの小瓶がまだ4本も残っています。
この裏庭百姓は終生、自然と、太陽と、地の精霊を友とする事は、
これは死ぬまで治らないと感じていますが、こんなアメリカ生活
でも、寂しさとか、付き合いの友人、知人に不足するとかはあり
ませんでした。
実質、72歳まで仕事をしていたのですが、収入が多いと、年金を
減らされて、全部仕事も辞めてしまいましたが、それまでは良く、
夏の間は毎週、家庭菜園で作っていた野菜類を、特にシニアに配って
いました。有機栽培で、野菜類は完熟させて収穫するものですから、
味は最高に良い物を栽培していました。
これは昔は百姓で、その農業で食べていたので、プロの腕があり、
好きこそ物の上手なり、とか言われる事もありましたが、それと
35年以上も日本から戦前の昔に1世達が日本から持って来た作物
の中で、ミヨウガを全米に無料で配り、その奉仕活動でも、幾多の
人脈が出来ていました。
昔と言っても35年も昔ですが、毎週、夏の間には夏野菜類を配り、
特にシニアの貧しい人などには、10年以上も配っていた事もあります。
亡くなるか、老人ホームに引っ越して行くまで、特に年金だけで生活
していたシニアには感謝され、行くと夏はコップ1杯の水、冬は熱い
茶などを頂きました。クリスマスには良く、私のお客からクリスマスで
プレゼントなどを沢山頂くと、おすそ分けでシニアの方にも分け与えて
喜んで貰いましたが、配っていた老婦人からクリスマスカードと1ドル
の小切手を頂いたことがありますが、これは私の宝として事務机に今
も入れています。
私の趣味とする家庭菜園が、多くの繋がりを作り、それが20年や、
30年と続いた方も居ました。
72歳で不動産管理の仕事を全部辞めるまで、幾多の知り合った人達と
出会い、また亡くなり、去って行きましたが、先日も買い物に出て、
偶然にスーパーの店内で出会い、お互いに無事と健康を確かめて、最初
の言葉を聞いたのが、『貴方から貰ったトマトやキユーリの味は忘れ
られない』とか聞いた時には、何か心がジーンと来るものがありました。
私が汗水たらして手塩に掛けて栽培した作物を通じて、この様なアメリ
の異国でも、心通じる事に繋がっている事が、何かこの歳になり、
我が人生が有意義で、悔いが無い時間を送って来たと実感しています。

私の還暦過去帳(603)

私の藪医者経験
私の3人いる姉弟で、上の姉家族は4名が医者で、姉は高等看護婦で
助産婦や介護教員の資格もあり、姉の子供の一人は医者ではありま
せんが、医者と結婚して家族全員が医療関係で、2番目の姉はドイ
ツ永住していますが、50年前から病院の手術室看護婦として引退
まで働いていました。
私は百姓志願で農業で、医療関係とは無縁でしたが、周りの影響で、
医学書の症状凡例などを読むのが好きでしたが、昔の医師会報など
に書いてある体験記なども欠かさず読んでいました。
南米に移住して、トマト栽培をしていた時期に、近くの日本人農家
のワイフが生理でもないのに出血して、下腹部に激痛が有るという
事を聞いて、昔に読んだ症例の子宮外妊娠と考えて、直ぐに病院に
行かせたら、医者が直ぐに子宮外妊娠と判断して、3時間後には手術
してくれましたが、急な手術で輸血準備が無く私がO型で、500
cc輸血しました。その医者が皿に取り出した卵サイズの卵管に出来
た固まりが、これが弾けて破れていたら間違いなく、こんな田舎では
死んでいたと話してくれましたが、薄い膜がパンパンに張っているの
を見て、ぞーっとした覚えがあります。
これと同じ様な事が日本でもありましたが、助かった知人のワイフか
ら、子供も居たので深く感謝されました。
すい臓がんの症状を覚えていたので、アメリカに来て日系人の65歳
の方でしたが黄疸の様な顔色と顔の吹き出物が昔に写真で見た同じ様
でしたので、是非とも診察を勧めたのですが、忙しいのでとか、その
場はそれで終わりましたが、3か月ぐらいしたある時、夜中に激痛で
緊急入院をしたのですが、2週間ばかりしてすい臓がんの末期だとい
う事で、その日から丁度3か月目で亡くなりました。
お悔やみに行った時に奥さんが嘆いていたのを覚えています。
それと同じ症状の白人も、元気だからと言って私の勧めも聞かなく、
前に日系の人も同じ症状で、すい臓がんだったと教えても、聞く耳持
たずで、しばらくして亡くなっていました。
アルゼンチン時代の農場支配人の時に、ボリビア人の監督のワイフが
癲癇の発作で、焚火に倒れて腰に大やけどを受けた時に、直ぐに冷た
い水で冷やして、石油冷蔵庫の氷を全部出してきて冷やしながら、ベ
ッドのフレームを担架にして、町の病院に運びましたが、田舎の病院
では無理と言うことで、緊急だという事で州都の大病院に運び助かり
ました。
仕事で州都に行った時に医者に聞いたのですが、応急処置が良かった
ので、後の治療が良かったと言ってくれた時は、少し嬉しかった覚え
があります。私の藪医者の経験はこのくらいですが、少しは役に立っ
ていたと感じます。