2018年7月13日金曜日

私の還暦過去帳(601)

孤独とは何ぞや?

孤独などは人に寄り、その誰にも干渉されない空間的な時間と、自分
が他人から離れ、自由に出来る時間も貴重なものです。

高校生時代は、週末は一人で炊飯道具と一人テントを持って、大牟田

市から歩いて小袋山に登り、谷川で飯盒の米を洗い頂上に行き、そこ
で炊飯して半分食べて、半分は朝食に残していました。翌日、玉名市
まで歩いて降り、玉名駅から汽車で大牟田市に戻って来る事を良く実
行していました。
大学生時代も住み込み書生で勤労学生でしたが、夜は用心棒で在宅し

ていたので、主人が脚本などを書いていたので、蔵書が沢山あり、大
きな書庫を持っていたので、静かな部屋で良く読書をしていました。
夏休みなど半分は自由でしたので、良く無銭旅行をして野宿しながら

日本各地を歩き、人の情けの触れ、各地の風土に学びました。

今でも思い出しますが、能登半島に冬休みに歩いた時は、まだ周遊道

路も無く、トンネル工事をしていた時代で、突端の狼煙岬からの道を
迷い夕暮れとなり農家に道を訪ねたら、ひっそりとした農家の引き戸
が少し開いて、主人が出稼ぎに出ているので、家の中に入れることも、
泊めることも出来ないと言われ、少し開いた戸から道を教えて下さい
ましたが、今から急いで歩けば最終バスが間に合うと言って、断崖の
道を教えてくれました。
トンネル工事中で、今日は発破を掛けていたので風穴の通路は危険で

通して貰えないと教えてくれました。
トンネル横の事務所に行くと夫婦物がちょうど断崖の道を行くので用

意をしていました。荷物を背中に大風呂敷に背負い、両手を自由にし
て物に掴まれる様にすることを教えて頂き、私達3人が最終バスに間
に合う様に歩き出しました。
親切な夫婦で地元の人でしたので、危険な個所や、波の引いた時に渡

る個所も熟知していたので、その夫婦に付いて歩き出しましたが、一
切無言で女性は肩掛けのショールをすっぽりと被り、目だけ出して寒
風を耐えていま
した。私もスキー帽子を深く被りリックを背中に必死で付いて歩き、

時々先頭の男性が懐中電灯で無言で示す所を注意して歩いていました。

ただ海鳴りと激しい風の音と、波が岩肌に叩きつける音ばかりが響い

て、その内に何も聞こえない様な錯覚にとらわれ、自分の歩く足先だ
けを注意して歩いていました。
そのうちに自分のミゾレが降る濡れた道の足音が聞こえる様になり、

気が付くと海岸から少し離れた道を歩いていました。今でも思うと不
思議な現象でした。
夫婦者は家が見える所に来ると、立ち止まりバスが出発するまで、親

戚の家に居るから貴方はバス停の雑貨屋にそのまま行きなさいと教え
てくれました。
雑貨屋の火鉢に温まりながら、シーンとした夜更けの静寂が深々と身

に染む様に漂っていたのを思い出します。
このことは南米に移住して原始林の伐採作業で、ジャングルに労務者

と入りキャンプして焚火の薪が弾けるだけの音が響く静寂を体験する
と、何という自然の孤独な静寂と感じていました。

大自然の太古からの姿がこの静寂に引き継がれて来たと感じて、夜冷

え込む大陸性気候の夜に、毛布を被り夜空に吸い込まれる様な恐怖を
感じながら無想の自然体の身体がこの世から遊離していく恐怖もあり
ました。
人は生まれて生を受けて、また最後は生から魂が遊離していく不思議

な思いを持ったことがあります。