2014年9月18日木曜日

私の還暦過去帳(556)

人生の旅
古希も過ぎて、健康にも恵まれて、これまで良く旅をしたと感じます。
これまでに多くの方々とすれ違い、また一時の出会いで親しくなり
長年、今でも言葉を交わす様な方も居ますし、急に癌で亡くなられ
、こちらが呆然と驚くような人も居ました。

かれこれ40年近く前の事です、ブラジルのアマゾン河下流のべレム
の町からマナオスに向けて飛ぶので、べレムの飛行場で搭乗を待
っていた時です。
マナオスからメキシコまで飛んで、そこから日本に飛ぶ飛行機に搭
乗すると言う方達がいました。
一人の方はかなり高齢で、多数の家族の見送りが来ていましたが、
長男らしい男性が、『お父さん、親戚の医者にしっかりと診察して貰い、
何かあったら大学病院に紹介して貰い、手術をして貰って下さいね・・』
と話しているのが聞こえていました。

父親と思う方は、日に焼けて逞しい百姓体格の人でしたが、皆と
握手して『心配は要らないからね・・、日本の医学は優秀だから』
と話すのが聞こえて来ました。
娘らしい女性が、『お父さん、初めて郷里に帰るのだから、温泉
も、美味しいご馳走も沢山食べて来てください・・』と話すのが
聞こえ、父親はうなずきながら、目頭を押さえているのが分りま
した。
アマゾンのべレム近郊、トメアス移住地でピメンタの胡椒栽培で成功
した人だと分りました。
その側には、三人の子供を連れた奥さんが、里帰りを兼ねて、両親
に子供の顔を見せに行くと言う方でした。
私とメキシコまで同じ飛行機だという事が分ると、ご主人が『子供
が三人も居るので、それと言葉も出来ないから手助けしてください
ますか?』と旅行社の方と相談に来られたので、『この私でよかっ
たら・・』と答えていました。
 
搭乗時間になり、私は小型の書類カバンだけですから、子供の手を
引いて、タラップを登って行きました。
ご主人の心配そうな顔を今でも思い出します。飛行機が離陸する時
に三人の子供達の不安そうな顔も忘れる事が出来ません。
 
アマゾン河の中流にある、マナオスの飛行場に到着して、その広さ
と設備の新しさに驚いていました。
その前に来た時は、通過だけで、それに夜間でしたので何も見る事も
在りませんでしたが、乗り換えの時間が3時間ばかり在りましたので、
子供達と少し歩いて見ていました。
 
高齢の男性は昼寝の時間だとか言って、ベンチにカバンを枕に寝てい
たので、搭乗時間になり皆で乗り換えの飛行機に搭乗いたしましたが、
その老人と奥さんも日本から来る時は移民船で来たので、メキシコに
1泊するけれど、2日で東京まで飛ぶのは楽チンだと話していました。
 
機内放送は英語とスペイン語にポルトガル語でしたので、子供達は食事
の時など、自分でポルトガル語で注文していましたので、私も安心致し
ましたが、パナマ上空を通過する頃に、気流の悪さで、ガタガタと機体
が揺れて、乗客から悲鳴が上がるくらいの酷さでしたが、見ると子供
三人は母親にしがみつくように固まっている様に見えました。
 
私も何度も飛行機には搭乗いたしましたが、その飛行が今でも記憶に残
る酷さでした。そこを通過すると穏やかな飛行で、夕暮れの中、灯の輝
やいて明るい町並みを見ながらメキシコシテーの飛行場に着陸いたしま
したが、緊張から解放された乗客から一斉に拍手と歓声が上がりました。
 
子供達も嬉しそうな顔で、『おじさんとメキシコでお別れするの?』と
か聞いていましたので、『飛行場には航空会社のファミリーサービスの
係りが待っているから心配ないよ・・』と言って降りる支度をしていました。
 
皆でゾロゾロと出口まで歩いて行くと、二名の係りが笑顔で、『お疲れ
様でした』と言って待っていました。一人は荷物を取りに行き、一人が
大型のワゴン車に案内して行きますので、そこで私は皆と握手して別れ
ましたが、子供達は『おじさん有難う・・!』と言うと、『今度またべレムに
来たら、トメアス移住地まで遊びに来てね・・』と言って手を振って別れ
ましたが、ファミリーサービスの係りが、『ホテルは何処ですか』と聞い
たので、ホテルを教えると、『それはお隣のホテルで都合が良いので、
どうぞご乗車して下さい』と誘われて、子供達も喜んで皆で飛行場を
出発いたしました。
明るい町並みをしばらく走り、私が先に下車するので、ホテルの前で
停車して、係りが私のトランクを出してくれる間に皆と、もう一度握手
して、玄関先で車を見送りましたが、子供達三人がいつまでも手を振っ
ていました。
あれから、かれこれ40年過ぎて、その子供達も成人して所帯を持ち、
ブラジルの社会で活躍していると思いますが、旅の途中で日本人と
飛行機に乗り合わせて過ごした事は、それが初めてで、最後でした。