2023年9月22日金曜日

私の還暦過去帳(784)

 移住の昔話(8)

花嫁移住の歴史はもう既に百年の歴史が在ります。 
長い歴史的な中には、色々な物語を秘めていますが、
今日は、先日に聞いたお話をしたいと思います。
わたしの近所のハワイ出身で、奥さんが2世、ご主
人が3世のご夫婦ですが共に85歳を過ぎています。
ご主人のおばあちゃんは104歳でハワイで亡くな
るまで、生涯で二度結婚して、最初のご主人とは、
11人の子供を作り、最初のご主人を若くして亡く
すと、再婚して6人の子供を産んだと言うことでし
た。
写真結婚で若くしてハワイに移民して来て、生涯で
17人の子供を産み104歳で亡くなるまで、ハワ
イ州知事の老人ホームへの訪問もあったと言う長寿
でした。
亡くなるまで、ボケもせずに記憶は確かで、好きな
コカコラーを飲むのが楽しみだったと聞きました。
孫が施設を訪問しても、その孫を覚えていたという
事で、世話をしていた娘が驚いていたと言うことで
した。
長いハワイ日系人の歴史の中でも、ずば抜けて大き
なファミリーの家系を持っていると話していました
が、百年の長き歴史が今では6世を数える家系の広
がりで、全米に今では住んでいると話していました。

百年もの昔、花嫁移民でハワイに来た女性の気丈さ
と忍耐力、生活力の偉大さを感じます、子沢山でも
昔は洗濯などは全部手洗いの、オムツなども使い捨
てなどは全く無い時代に、砂糖キビ農場で働いてい
た夫婦を思うと、現在の電化、機械化された台所な
全く無かった時代を生き抜いてきた女性の、素晴
らしき人生のこれまでの生き様を感じます。
私が57年前に会った女性も、アルゼンチンへの花
嫁移住の方でした。ご主人は戦前の昔に貨物船のコ
ックをしてい時代に、ブラジルのサントス港で、刺
身包丁一本を腰に差して、オンサの出没するサント
ス街道を歩いてサンパウロまで行ったと聞きました。

アルゼンチンで落ち着て事業を始めて当時の日本人
が多く就労していたカフェー屋を、ポサダの町で成
功して奥さんを日本から呼び寄せて家庭を築いたそ
うですが、戦争中の日本人の活動制限やカフェー屋
を火事でなくして、1964年頃は息子の家の離れ
生活していましたが、奥さんは75歳近くでご主
人を亡くすと、日本に居る妹達が帰国を進めてくれ、
長く住み慣れたアルゼンチンのポサダの町を離れる
時に、近所の世話になった洗濯屋の奥さんに、ご主
人が結婚式で呉れた結婚指輪を形見として残して行
たと見せて貰った覚えが有ります。
擦り切れて細くなった金のリングは、その結婚の長
き歴史を物語っている感じで、ポサダで骨を埋めた
ご主人が、『お前は日本で老後を過ごせ』と言って
いたそうですが、全ての過去の物語をその結婚指輪
が物語っている感じで、手にとって見せて貰うと何
『グッー!』と心感じるものが、こみ上げてきた
覚えが有ります。
そして日本に帰国する日の別れに『私は夫が亡くな
るまで、妻として尽くしたから思い残す事は無い、
良い時もあり、悲しい事も有り、嬉しかった事も有
る。全ての思い出はこの結婚指輪に込められている
から、私のあと僅かな人生を全く新しい門出として、
ここを出て行くから、これを貰ってくれ』と形見と
して置いて行ったと言う事です。
それぞれの人生が、それぞれの物語を秘めていると
思います。



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