2015年5月26日火曜日

私の還暦過去帳(575)


チエンマイのメガネ屋

私が現在、老人医療保険で作ったメガネに不満があったからです。
重くて長時間使うとずれて来て、左の下が見えにくくなっていました。
インドで作った経験がありますので、今日は午前中は暇でしたので、
近所のメガネ屋を訪ねました。
先ずは表道通りの素敵な店です。検眼は無料でフレームも私の
指定した物でしたが、何と1万5千バーツという事で、断ると半値
に下げて来ました。ぼったくりです、バカバカしいので断って出ま
した。
2軒目は一人で何でもしている個人経営のメガネ屋で看板にタイ・
HOYAの看板を出していました。HOYAのメガネレンズはアメリカで
もかなり値段がしている良いレンズのメガネです。
見積もりさせるとHOYAのレンズでメガネ枠も軽くて私が好きな
タイプがあり、何より軽くてデザインも気に入りましたが、3300
バーツで一番良いレンズでそれに加えて特殊加工をして貰う事にし
て、HOYAのカタログにある、デスク・ワークタイプに特注を
出来るかタイHOYAに電話したらOKという事で注文をいたしました。

日本の会社、タイ・HOYAの工場も前回のタイ洪水で大きな被害が
出て、一時は生産中止だったとか、今では復旧して正常に戻って
いると聞きました。
全て定価で正直に見積もりをしてくれましたが、同じものをアメリカ
で同じレベルに加工して注文すれば最低でも350ドルは取られま
す。アメリカは検眼は35ドルですから、心の中で決めたー!
と思いました。
ここはタイです。検眼も含めて100ドル程度です。検眼も親切
丁重に何度も細かく検査してくれ、違う方法で3回も視力検査でした。

中年のメガネ屋さんは、私が74歳というと50バーツ安くしてくれ、
現金が無いのでカードでも良いかと聞くとそれもOKでした。
明日の朝11時まで出来上がるという事です。
受け取ったら明日は引っ越しになります、1泊13ドルでキッチン付、
プールもあり、部屋はもっと広く、ハイスピードインターネットもダウン
ロードの満足な速さと次男が言っていました。
そのレンタルアパートは次男達は8月まで長期滞在で月極で借り
る様です。

2015年5月25日月曜日

私の還暦過去帳(574)


チエンマイの長期滞在で感じたこと・・、

欧米人の長期滞在者が沢山います。そして日本人も沢山います。
初老の引退してひとり者の独身者や、離婚して、また別居して男性だ
けで気楽な滞在を、引退者ビザで長期に楽しむ人や、離職して人生の
転換期を休養に充てているような方、若いバックパッカーの様な人生
の根なし草の様に漂泊に漂う様な人もいます。

それぞれ思うことがあっての自己判断で滞在していると感じます。
バックパッカー専用の宿の前で、スマートホーンを握りしめて、物憂い
の表情で通りを見ている人や、木の下の日陰のテーブルでワイングラス
を前に彫刻の様に、白人の干からびた男性が通る若い女性の腰回りを
見ている姿など、千差万別の様を見ます。

それぞれの考えと、行動はすべて自己責任の世界です。
ある人が、自分の人生の時間、行動、その現状も、将来も未来も含めて
全てをこの浮世の流れに身を任せて居るのであれば、何もいう事もなく
それがいかなる結果を招くとも、悔いはないという覚悟の言葉は、その
表情も淡々として悟りを開いた人間に感じます。

2015年5月19日火曜日

私の還暦過去帳(573)

バンコックの安宿、
バンコックに到着して2日ですが、すっかり慣れて今朝は冷蔵庫の異音
で5時半に目が覚めました。
小型冷蔵庫ですから自動霜取り機能がないと感じて、すぐやる課長は動
きました。
コンセントを抜いて、ドアを開けて見るとハハーン!と間違いなく原因が
当たりました。
ドアを開け放して朝日が昇りだした早朝の街に散歩に出ました。
1時間ほど歩きましたが、大きなアパートメントの守衛と仲良くなり、犬2
匹とも同じく仲良くなりました。

帰ると下の受け皿には水が溜まって氷が解けていました。豆乳とヨーグルト
にフルーツの食事をして、見るとバンコックが暑いので、ほとんどの氷もガ
タガタになって解けていました。愛用のスイス・アーミーナイフで、ちょんち
ょんと慣れた要領でそぎ落としてしまい、バスタオルの洗濯に出す物で後
を綺麗に拭いて、1丁・・・、トラブル解消でした。

コンセントを差し込むと。軽い音でモーターが動き出して、直ぐに冷凍盤が
ぱりぱりと音を立てて凍っていくのが分かります。
そのあとに、まだ冷たいリンゴとオレンジを食べてテレビでも見ながら薄い
コーヒーでも飲んでいました。

長期滞在ホテルですが白人が多く、日本人も居る様です。私が居る5階の
角部屋は1週間居るので場所が良いので助かります。
蚊も蟻も居ませんし、見晴らしも合格で、住宅街ですから静かです。
歩いて5分のところには夕方には庶民のマーケットが開かれて、大きな惣
菜露店が並びます。
昨日は野菜類のかき揚げと筍の豚肉との煮つけを買い、これで50バーツ、
可愛い若い子が御飯だけ売っている所で、15バーツで軽く茶碗2杯分程
度のホカホカ、ご飯を買い、見るともち米や青い色付きのお米もありました
が、私は何時ものご飯を買いました。
これで2ドル程度です。ホテルに持ち帰りお湯を沸かしてインスタントみそ汁
で、テレビを見ながら頂きましたが、これでは激安の生活費です、ランチは
地下鉄で週末マーケットに遊びに行き、そこでパパイヤサラダ、米粉麺入り
野菜サラダ、の2種、それとチキンのカツを頂きましたが、150バーツ
で、5ドル程度でした。帰りにマンゴーを買って帰りましたので、明日朝の
フルーツに食べる様に致します。
食事の後に洗濯も2回致しました。ワイフが今回は来なかったのですが、
いつものペースで生活しています。

私の還暦過去帳(572)

移民とラーメン

ラーメンも数ありますが、どれが美味しいかは、これは一口には言えません。
私がラーメンに出会ったのは、住んでいた福岡県の大牟田市で中学生時代
に大きなノボリを店先に出して、『大牟田ラーメン』と言う名前で呼ばれて
居た店を覚えています。
豚骨の白濁したスープに、チヤーシューとメンマにネギと赤い紅しょうがの
刻みが乗っかっていました。独特の匂いと味です。麺は細く、腰の強い感
じで、慣れないと癖のあるラーメンに感じます。
それにニンニクの摩り下ろし、胡椒などがカウンターに置いてあり、昔のこと
ですから、ラーメン・ライスも注文できました。ライスの上には沢庵が2切れ
付いていました。
こずかいを貯めて良く食べに行ったことがあります。友人達もそのラーメンが
好きで、誘うと必ず4名ぐらいには直ぐになりました。
ランチにライス付を注文して、ラーメン・ライスでお腹が脹れて満足していまし
たが、そんな味に慣れて上京して東京で学生生活を始めると、ラーメンは
醤油味のラーメンだけで、とても満足できる物ではありませんでした。

しかし東京にも慣れて、新宿や渋谷に遊びに行く様になり、探すと結構色々
な店が有る事が分かりました。私の東京時代は東京オリンピック前で、まだ
新宿西口辺りには戦後のバラック飲み屋街が残っている時代で、軍隊酒場
とかもありました。
そんなラーメン体験をして、南米のパラグワイに51年も前に単身移住して
行きましたが、最初の停泊地はロサンゼルスの港でしたが、移住者達の
希望者が市内観光にバスで出かける事ができましたが、通称『リトル東京』
に行くと、懐かしい食堂風のレストランがあり、うどん・ラーメンと店先に出て
いるではありませんか、余り時間がないので、直ぐに出来るか聞いてから
ラーメンを注文いたしました。
関東風の醤油味のラーメンでしたが、海外で最初に食べたラーメンでした。
それからサンパウロに行き、通称、『御茶ノ水橋』近くの日本街のレスト
ランでタン麺風のラーメンを食べた記憶があります。
それとブラジルの国民食、フェジョン豆の煮込みも食べましたが、私が感じ
た事は、日本人が集まる所は必ず、うどん、蕎麦、ラーメンの3種類は必
ずあると感じました。
アルゼンチンに上陸して、パラグワイ行きの国際列車を待つ間、日本人会館
のレストランで食べたラーメンは、肉うどんの感じが致しましたが、それも
ラーメンだという事で、ありがたく食べた記憶があります。
パラグワイに行き、手打ちうどんや、うどん風のラーメンも食べましたが、精
一杯頑張って、スープから麺まで作り、『美味しいパラグワイ風ラーメン』を
食べてと言われた時は、感謝の気持ちで一杯でした。
時は代わり、バンコックのタイの首都に来ていますが、ラーメンの本格的な
ものが食べられ、それも色々と日本の有名店のラーメンがあるのですから、
これまた驚きを感じます。それだけ世界が狭くなったと思います。