2014年6月29日日曜日

私の還暦過去帳(534)



越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(22) ‏
 
 
アメリカに住み始めて38年も過ぎようとしています。 
アメリカに馴染みまして、まったく違和感がなくなりました。 
そしてアメリカ社会に入り、近年のヒスパニック人口の増加 
と、彼等の生活範囲の拡大と言う事を見せ付けられました。 

それと同時にカリフォルニア州の特徴で、中国系広東人や 
ベトナム系広東人と言う、広東省からの移住者が華僑、 
客家として、定住して華人としての繁栄をしています。 
それに彼等が持ち込む食文化の大きな流れが、アメリカ 

大陸にも流れ込んでいます、様々な食の様式、しきたり 
調理方法、テーブルの飾り、お皿の並べ方まで民族的 
色彩の中で受け継がれているのを感じます。 
伝統的なベトナム衣装の女性が着るアオザイの色鮮やかさが、 

我々がフォーの店で時々見かける女性達の衣装と、なぜか 
彼等がテーブルに座って、家族で囲む鉢の麺を賑やかに 
食べる姿を見て、35年近く前にベトナム人達が狭いアパート 
に大家族で住んで、苦労して各種の仕事に携わり、現在を 
築いて来たことを感じます。 

私がペンシルバニア州のピッバーグで会ったベトナム人は市場 
の魚売場の片隅で、寿司の持ち帰り主体に営業しているのを 
見て、その手さばきが見事で、アメリカで見た寿司職人の中で 
一番に上手な人でした。彼が話してくれた事は、ラスベガスの 

寿司と和食の店で、皿洗いから始めて、5ヵ年も寿司を握る 
事を習ったと話していました。ベトナムでは魚を扱う市場で仕事 
をしていたと言う事です。将来は自分で和食と寿司のレストラン 
を開きたいと話していましたが、彼が話したのは、私が訊ねた 
『フォーの麺も好きかい?』と言うと、にっこり笑って
『勿論です!』 と答えた事が印象に残っています。

2014年6月25日水曜日

私の還暦過去帳(533)

 
 
越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(21)
今日のサンフランシスコ沿岸は昨夜の大雨が残り、朝は
曇っていました。昼頃には晴れ間が出て来て、ランチは
お決まりの越南米粉麺と言う事で、朝食が遅かったので
1時半頃になり、ワイフと出かけて行きました。

お店のドアを開けると、ツーンとスープの香りがしてい
ました。
今日もかなりの混雑で、見ると今日のお客はベトナム人達の
グループが多くて賑やかでした。
周りのテーブルは家族連れが陣取り、大きな麺の鉢をずらり
と並べて、ここはアメリカ・・?という感じでした。

私の隣に座ったアメリカ人のデカイかなり年配のおやじさん
と言う感じの男性が、ベトナム式ランチを食べていました。
盛り付けられたライスとチキンと春巻き3個のランチ・
スペッシャルと言う感じのお皿でしたが、側には小さな
フォーの鉢が有り、箸で器用に食べていました。

年齢からしたら、きっとベトナム戦争に従軍して、ベトナム
のどこかで彼が食べたランチだったと思います。
お箸とスプーンで食べる様は、向かいの席で食事する家族と
変わりは有りません。今日は店の中を見回しても、彼を
入れて、2組だけが白人のお客でした。

何も違和感無く座り、周りのテーブルの東洋人に混じって
食べる中年過ぎの白人男性を見ていると、もうすでに定着
した民衆の食べ物と感じます。
アメリカの雑多な人種のルツボの中で、フォーが多くの

アメリカ住民の心を掴んで、日曜日の午後を越南米粉麺で
肌寒い秋の日に、熱いフォーを囲む幸せが、私にも伝わる
感じでした。箸を使えない白人が器用に、フォークを使い

永い麺をさっと口に運ぶ様は慣れて、レンゲを使いスープ
を口にする動作と交じり合い、これがアメリカのフォーの
食べ方ではないかと、心感じるものが有りました。

2014年6月21日土曜日

私の還暦過去帳(532)


越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(20)



越南米粉麺を食べ歩いて感じる事は、その幅の広いお客層
です。場所により少しは変わりますが、また時間帯にも
よります、ランチ時間が一番賑やかで、それから週末の
幅の広い時間帯に来る、多くの雑多な人種のお客達です。

一般的な住宅街に近いフォーの店は、お客の幅が広いのが
特徴です。先日も週末のランチ帯で、かなり混雑していま
した。お客の半分は若い東洋人達で、話す言葉も中国語、
ベトナム語、韓国語と雑多で、話し声が混じって聞こえて
いました。

テーブルを2卓揃えて、大きなテーブルとして、若い男女が
揃って注文していました。見ていたら大きな皿に2個も
モヤシと香葉の山盛りが出て来て、あとから次々と大鉢の

越南米粉麺が2名のボーイ達によって運ばれて来ましたが、
見ていただけで、こちらもいささか、びっくりの鉢の列で
した。見ていたら彼等がお箸を食べ始める前にどうするか
見ていました。

箸は箸立てに入れて有るだけで、紙の袋に入れた割り箸
では有りませんので、見ていたら・・・、

ー紙ナプキンで丁寧に箸の先を拭く者。
ー熱いお茶で先を洗う者。
ー女性が小さなパックを開いて中から、アルコール
 を含んだ紙を出して、それで拭く者。
ー何もしないで平気に食べ始める者。

色々に、箸を使って食べる行為ですが、その人それぞれ
に特徴が有ります。中国人の年配の人ほど平気で箸立てから
箸を取り、食べています。

私はどちらかと言うと、熱いお茶で箸先を洗います。
先ず出されたお茶を一口飲んでから、空になった湯呑み
に、箸を立て、お茶を上から流す様にして洗います。
これを儀式の様にするのが私の特徴です。

もしサンフランシスコ沿岸の、どこかのフォーのお店で
爺さんが、箸を湯呑みに立てて、お茶で箸を洗っていたら
それは、私です・・・・!
そして、越南米粉麺の鉢にドサー!とモヤシを入れて
香葉をちぎり、スープの中でクルリと麺と併せて居る
動作を致します。それから「チョーン!」とレモン汁を
振掛けて、食べ始めたら、まさしく私に間違い有りません。

2014年6月17日火曜日

私の還暦過去帳(531)


越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(19)



昔の事です、かなり前になります。短期間でしたが
ベトナム人がアルバイトで仕事に来ていました。
ベトナムから小船で家族、親戚達で船を買い、密かに
サイゴンから脱出してきた人です。

グワム島の難民収容所から、カリフォルニア州に教会
が身元引受人として仕事を斡旋してくれ、サンフランシスコ
に定住したと話していました。

私が持っていた小さな会社で、色々な国から来た移民
を雇用しましたが、東洋人のランチは皆がお米の食事
でしたが、韓国人にびっくりしたのは、ほかほか弁当箱
にライスを入れて、後は焼き魚と、かなり大きな瓶に入って
いたキムチを持って来ていたのには驚きました。

ラテン系はブリートなどで、中に何でも入れてトウモロコシ
の粉で焼いている皮に包んだ物を良く持って来ていました。

ベトナム人は越南米粉麺の焼きソバと言う感じの、汁無し
麺でした。通称中華料理で言う、「ビーフン」と言う感じ
のランチをタッパウエアーに詰めて来ていました。

ランチ時間に彼が話してくれた郷里のベトナムの食生活
の話は、聞いていて興味が有るものでした。
朝などは市場の片隅で、天秤棒で担いできた、食材と皿や
鉢などを置いて、コンロに載せた鍋にスープを暖めて

麺に掛けて、後は自分で好きな物を指差して載せてもらう
と話していました。簡単で安くて、直ぐに食べられる、
日本で言う、引き売りのラーメン屋さんと同じ感じの
簡易食堂と言う様なものだったそうです、

それから、海の近くでは、そのだし汁が小魚や、エビなど
の干した物を使っていたと話してくれました。
小魚やエビなどで作った、魚精醤油(ニョムナム)なども
作り、使用していたようです。

アメリカではベトナム戦争後に多くのベトナム難民や
カンボジア難民、ラオスなどから来た難民達が多くの
米粉麺の料理を持ち込んできました。
雑多に見えるけれど、味もスープも、麺の大きさも、
載せる物も全部、少しずつ変わっています。

こんなアメリカのカリフォルニア州に住んでいるから、
ベトナム風フランス料理まで食べられると感じます。
先日はファーマーズ・マーケットで店を出していた
アフガニスタン料理を本店に食べに行きました。

結局、食べた中で一番美味しかったのは『ナン』という
アフガン・パンでした。それから、近所でそれを専門で
毎日焼いている店を見つけて来ましたので、買って来て
インド式カレーを作り、ナンを食べています。

インドに旅行で行った時に、二ユーデリー市内で食べた
屋台で出す料理を専門で食べさす、レストランに行きました
時に、出会ったのが米粉麺のカレー味でした。
スープと言うより、タレと言う感じで、各種の野菜が
煮込まれて、ココナツで味を付けていた感じでした。
それを麺の上に掛けて有りました。
非常に美味しくて食べた思い出が有ります。

その味はシンガポールに昔、船で寄航した時に、港近くの
沢山並んだ屋台で食べた味と同じ麺の味でした。
世界を歩くと、かなり似た料理が有ると感心致します。

2014年6月14日土曜日

私の還暦過去帳(530)



越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(18)



食べ歩きをしてから、ベトナム人達の食生活を興味の目で
見る様になりました。
それと言うのも、サンフランシスコの日本町はかなり混み
ますし、駐車場が混雑して、何かの祭りなどではとても
近寄ることは出来ませんが、ベイ・ブリッジの橋代も必要

無く、駐車も昔は楽な、オークランドのチャイナ・タウンに
買物に行っていました。
片道30分は時間的に節約出来ますし、鮮魚などはどこでも
買えるうれしい場所でした。
先ずは東洋人のサルサと言うルツボの中です、魚の種類も
各種、選り取り見どりの、好きな物を買えました。

30年前は中華麺類専門店で、フォーが食べられましたが、
広東系のベトナム人が沢山居たからと思います。
ちゃんとメニューに載っていたのです。

私もそこで最初に発見して試食して、『ああー!』
これこれ・・・と感じて、食べに通う様に成ったのです。

それと、日本人の帰米2世の方が引退して、オークランド
の近くに住んでいて、チャイナタウンに有る図書館に通う
様になり、そこには日本語書籍が沢山有ったからでした。

お昼は必ず、麺類を探して食べていた様で、彼が情報を
知らせてくれました。
かなり前です、美味しい越南米粉麺が食べられると話して
居ましたが、私も早速に買物がてらに出向いて、ランチに
そのお店に試食に入りました。

殆どがベトナム人で、1杯の麺の鉢が4ドル以下でした。
彼等が常食とする麺を、彼等の味付けで、彼等の作法で
食べている感じでした。
まさにサイゴンの街角の思いと感じました。

私がテーブルの席に着いても、扱いはアメリカ人扱いで
箸と、フォークを出してくれました。
どこと無くベトナム人の雰囲気が無かったと思います。

彼等の体系が小柄で、私はどちらかと言うと大柄で、でかい
身体をしていますので、話す英語も彼等より、ましな話を
していたと思います。お客でも、よそ様扱いでした。

従業員の中には全然、英語が話せない人も居て、ベトナム人
社会をそのまま、引っ越して来た感じでした。

25年近く前は、かなりの資金的な余裕の有る、広東系の
難民ベトナム人が、チャイナタウンに商売で開いた店が
多く見られました。

名前もずばり、『サイゴン・マーケット』と、決まって
いました。かなり繁盛して、土曜日などは混雑で、レジの
永い列が出来ていました。店の前で、その店の従業員が

フォーの鉢を手に、歩道に座り込んで食べている情景を
見た時に、彼等の民族的な身体に染み込んだ食べ物と
感じました。

2014年6月12日木曜日

私の還暦過去帳(529)

越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(17) 



 ‏ 
今日は味見偵察のお話ではなくて、今年の 
春先にサンノゼのベトナムショッピング・センター 
を訪ねた時の話です。 

カリフォルニアでも一番の大きなベトナム人社会の市場と 
言われていますが、実際に訪れて見ると、『なるほどー!』 
と自分ながら納得する事が沢山有りました。 

ベトナム人達の憩いの場所でも有ります、アオザイの色と 
りどりの色彩を並べて売っている呉服屋や、フランス風 
ベトナムケーキ屋など、日本人にも口に合うケーキが 
沢山並んでいました。私の知り合いはそこでしかケーキは
買わないと 話していましたが、味が日本で買うケーキと
同じと言っていました。

まして米粉麺などはどこでも、各種有りまして、ベトナム
各地の味が楽しめる感じでした。
それにしても、ベトナムの食文化をこれほど沢山に、また
短時間にカリフォルニアに開花させた、ベトナム人達に
頭が下がります。彼等の生活力の凄さが、肌で感じる事が
出来る場所でも有ります。

なん軒かの店を歩きましたが、全部食べ歩くのはこれは
大変と思いました。食文化の幅が広い感じです。
中華料理とタイ料理、インド料理などの影響も感じさせられ
また、一番の大きな影響を残している、旧植民地支配者の
フランスの影響です。

パン屋を覗くとこれまたびっくりの、フランス・パンの山で
これが全部売れるのであれば、たいした物と感じました。
ショッピングモールに中で、かなりの年齢の夫人がベトナム
人がかぶる先の尖った日除けの帽子をかぶり、通路で野菜

を販売していたのには関心しました。サイゴンの雰囲気を
そのままアメリカのサンノゼの彼等のショッピング内で
見ることは、彼等の生活する、おおらかさと寛容さとタフさが
この目に焼きついてしまいました。

歩き疲れてもう一度軽く小さな海鮮米粉麺を頂きました。
これまた美味しい味でまた食べに行きたい味でした。

2014年6月8日日曜日

私の還暦過去帳(528)


越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(16) ‏
 

今日の週末は朝から雨でした。
カリフォルニアは余り雨が降りませんので貴重な雨です。
そういう訳で今日のランチは暖かい越南米粉麺と言うことに
決まりました。

前回食べて美味しかった『ちやんぽん、日式越南ラーメン』
がリクエストされ、ワイフとそれ・・、と支度に掛かりました。
美味しい物を食べる事は誰も依存はありませんので、今回は

ラーメンに載せるめメンマをお湯で戻して、一昼夜・・!、
それから、匂いが激しい中で、我慢して煮ました。
チャーシュウの残りのソースでこってりと味を付けて
とろ火でことことと、永く煮詰めました。

一口、味見をしたら、グー!でしたので、早速これも載せる
ことにしました。良く瓶詰のメンマが有りますが、もっと
美味しいメンマになりました。
ベトナム・ラーメンですが、私が中々忘れられないメンマ

を自家製ですが作ります。今日は少しボクチョイなどの
青味も載せて、勿論の事に美味しいチャーシュウなども
載せまして、美味しく頂くことにしました。

外は雨が止んでかなり冷えていますが、熱い米粉麺を啜り
ながら庭の落ち葉が風で舞うのが見られます。
今度晴れた週末は、噂の店に偵察に行くつもりです。

ベトナム人のお勧めですから・・・!
スープが一味違が有るそうです。
楽しみが増えました。
いくぞー!  来週にー!

2014年6月4日水曜日

私の還暦過去帳(527)

越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(15) 



 だいぶ前です・・、 
かれこれ25年ぐらいと思います。まだベトナムから 
難民として沢山にベトナム人がアメリカに来ていた時代でした。 
その当時はベトナムは共産政権が支配して、そこから 

ボート・ピープルと言われる様に、小船でベトナムを脱出 
していた時代でした。 

悲惨な話が沢山有りました。 
また沢山話を聞きました。 

彼等が背負ってきた運命の流れは、我々平和な日本での 
生活に慣れ切った者ではとても理解出来ない様な話で、 

悲惨と言うカテゴリーから、凄惨という惨劇のドラマを 
引き出した様な話でした。 

海上で漂う内に食料が切れ、最後の米粉麺を海水に浸して 
生でかじったと話していました。 

その様な中、海賊船の襲来で若い15・6歳の女性を 
海賊達が囲んで輪姦して、全ての貴金属や現金を奪い、 
抵抗する男達を皆殺しして、生贄に若い娘達を連れて 
逃げて行ったと話していました。 

一人の娘が連れられて行く船から海に飛び込み、おぼれて、 
それを助けようとした母親も同じく、海に飲み込まれたと 
言っていました。 

流されていく中で、親子が叫び、親が子をかばう姿が 
忘れられないと言っていたが、命日には必ずフォーの大鉢 
を作り、箸を二組載せて祈ると言っていました。 

あれから25年以上も経つ年月の流れ・・、 
たどたどしく話す英語の中で聞いた話しですが、 
私も越南米粉麺を食べる時に、心に思い出して感じる時が 
有ります。 

人それぞれに、運命の流れに翻弄されて、アメリカで食べる 
フォーの味は、我々の思いと、彼等のベトナム人が心思う 
感じとは、だいぶ違うと思います。

2014年6月2日月曜日

私の還暦過去帳(526)


越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(14)


食べ歩きをしていたら、家で越南米粉麺を食べたくなりました。
でも純粋なホーでは有りません。
似た様なものを作るという事です、ワイフと材料を探しました
が、それは簡単でした。サンフランシスコ周辺には沢山の中華
材料を売る店があるからです、まさに選り取り見どりの感じでした。

スープはチキンで、缶スープは有機飼育の物を使いました。
ワイフと二人ですから、量はあまり必要ではありませんので
簡単でした。チキン・スープには食塩は入っていませんので
適当に入れまして、下味を作り、麺は『きしめん』の様な
平たい麺にしました。

それは先日食べたら、シコシコして腰があり、食感も良くて
これにしようと言う事で、ワイフと決めました。
スープが決まり、麺も決まり、後は入れる具です・・・、

海鮮系にするか?
日式にするか?(ウドンの様に好きな物を日本的にのせる)
適当に美味しく、食べられる様にするか?

どれにするか迷いましたが、先ずは『適当に美味しく』と決ま
りました。
自宅のランチ・メニューですから適当に有る物でと決まり、
冷蔵庫をかき回して、『らしき物』を集めました。

モヤシは直ぐに出てきまして、安心しました。
椎茸も載せようと言う事で、水に戻して下味を付けて煮ました
ので、『らしき物』がだんだんと日本のウドン的な感じと
なり、ワイフと笑っていました。

しかしながら、慣れたウドンですから、直ぐにそれらしき、
我々が言う『ベトナム・ラーメン』が出来上がりました。
『ちやんぽん、日式越南ラーメン』の出来上がり・・・!

暇な週末のランチですから、作るだけでも楽しい時間で、
我々日本人の舌にも、何も違和感無く、つるり・・・!
と食べる事が出来ました。
あー!美味しかった。