私の還暦過去帳(534)
越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(22)
アメリカに住み始めて38年も過ぎようとしています。 アメリカに馴染みまして、まったく違和感がなくなりました。 そしてアメリカ社会に入り、近年のヒスパニック人口の増加 と、彼等の生活範囲の拡大と言う事を見せ付けられました。 それと同時にカリフォルニア州の特徴で、中国系広東人や ベトナム系広東人と言う、広東省からの移住者が華僑、 客家として、定住して華人としての繁栄をしています。 それに彼等が持ち込む食文化の大きな流れが、アメリカ 大陸にも流れ込んでいます、様々な食の様式、しきたり 調理方法、テーブルの飾り、お皿の並べ方まで民族的 色彩の中で受け継がれているのを感じます。 伝統的なベトナム衣装の女性が着るアオザイの色鮮やかさが、 我々がフォーの店で時々見かける女性達の衣装と、なぜか 彼等がテーブルに座って、家族で囲む鉢の麺を賑やかに 食べる姿を見て、35年近く前にベトナム人達が狭いアパート に大家族で住んで、苦労して各種の仕事に携わり、現在を 築いて来たことを感じます。 私がペンシルバニア州のピッバーグで会ったベトナム人は市場 の魚売場の片隅で、寿司の持ち帰り主体に営業しているのを 見て、その手さばきが見事で、アメリカで見た寿司職人の中で 一番に上手な人でした。彼が話してくれた事は、ラスベガスの 寿司と和食の店で、皿洗いから始めて、5ヵ年も寿司を握る 事を習ったと話していました。ベトナムでは魚を扱う市場で仕事 をしていたと言う事です。将来は自分で和食と寿司のレストラン を開きたいと話していましたが、彼が話したのは、私が訊ねた 『フォーの麺も好きかい?』と言うと、にっこり笑って
『勿論です!』 と答えた事が印象に残っています。