私の還暦過去帳(527)
越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(15) だいぶ前です・・、 かれこれ25年ぐらいと思います。まだベトナムから 難民として沢山にベトナム人がアメリカに来ていた時代でした。 その当時はベトナムは共産政権が支配して、そこから ボート・ピープルと言われる様に、小船でベトナムを脱出 していた時代でした。 悲惨な話が沢山有りました。 また沢山話を聞きました。 彼等が背負ってきた運命の流れは、我々平和な日本での 生活に慣れ切った者ではとても理解出来ない様な話で、 悲惨と言うカテゴリーから、凄惨という惨劇のドラマを 引き出した様な話でした。 海上で漂う内に食料が切れ、最後の米粉麺を海水に浸して 生でかじったと話していました。 その様な中、海賊船の襲来で若い15・6歳の女性を 海賊達が囲んで輪姦して、全ての貴金属や現金を奪い、 抵抗する男達を皆殺しして、生贄に若い娘達を連れて 逃げて行ったと話していました。 一人の娘が連れられて行く船から海に飛び込み、おぼれて、 それを助けようとした母親も同じく、海に飲み込まれたと 言っていました。 流されていく中で、親子が叫び、親が子をかばう姿が 忘れられないと言っていたが、命日には必ずフォーの大鉢 を作り、箸を二組載せて祈ると言っていました。 あれから25年以上も経つ年月の流れ・・、 たどたどしく話す英語の中で聞いた話しですが、 私も越南米粉麺を食べる時に、心に思い出して感じる時が 有ります。 人それぞれに、運命の流れに翻弄されて、アメリカで食べる フォーの味は、我々の思いと、彼等のベトナム人が心思う 感じとは、だいぶ違うと思います。
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