2014年6月4日水曜日

私の還暦過去帳(527)

越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(15) 



 だいぶ前です・・、 
かれこれ25年ぐらいと思います。まだベトナムから 
難民として沢山にベトナム人がアメリカに来ていた時代でした。 
その当時はベトナムは共産政権が支配して、そこから 

ボート・ピープルと言われる様に、小船でベトナムを脱出 
していた時代でした。 

悲惨な話が沢山有りました。 
また沢山話を聞きました。 

彼等が背負ってきた運命の流れは、我々平和な日本での 
生活に慣れ切った者ではとても理解出来ない様な話で、 

悲惨と言うカテゴリーから、凄惨という惨劇のドラマを 
引き出した様な話でした。 

海上で漂う内に食料が切れ、最後の米粉麺を海水に浸して 
生でかじったと話していました。 

その様な中、海賊船の襲来で若い15・6歳の女性を 
海賊達が囲んで輪姦して、全ての貴金属や現金を奪い、 
抵抗する男達を皆殺しして、生贄に若い娘達を連れて 
逃げて行ったと話していました。 

一人の娘が連れられて行く船から海に飛び込み、おぼれて、 
それを助けようとした母親も同じく、海に飲み込まれたと 
言っていました。 

流されていく中で、親子が叫び、親が子をかばう姿が 
忘れられないと言っていたが、命日には必ずフォーの大鉢 
を作り、箸を二組載せて祈ると言っていました。 

あれから25年以上も経つ年月の流れ・・、 
たどたどしく話す英語の中で聞いた話しですが、 
私も越南米粉麺を食べる時に、心に思い出して感じる時が 
有ります。 

人それぞれに、運命の流れに翻弄されて、アメリカで食べる 
フォーの味は、我々の思いと、彼等のベトナム人が心思う 
感じとは、だいぶ違うと思います。

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