越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(15)
だいぶ前です・・、
かれこれ25年ぐらいと思います。まだベトナムから
難民として沢山にベトナム人がアメリカに来ていた時代でした。
その当時はベトナムは共産政権が支配して、そこから
ボート・ピープルと言われる様に、小船でベトナムを脱出
していた時代でした。
悲惨な話が沢山有りました。
また沢山話を聞きました。
彼等が背負ってきた運命の流れは、我々平和な日本での
生活に慣れ切った者ではとても理解出来ない様な話で、
悲惨と言うカテゴリーから、凄惨という惨劇のドラマを
引き出した様な話でした。
海上で漂う内に食料が切れ、最後の米粉麺を海水に浸して
生でかじったと話していました。
その様な中、海賊船の襲来で若い15・6歳の女性を
海賊達が囲んで輪姦して、全ての貴金属や現金を奪い、
抵抗する男達を皆殺しして、生贄に若い娘達を連れて
逃げて行ったと話していました。
一人の娘が連れられて行く船から海に飛び込み、おぼれて、
それを助けようとした母親も同じく、海に飲み込まれたと
言っていました。
流されていく中で、親子が叫び、親が子をかばう姿が
忘れられないと言っていたが、命日には必ずフォーの大鉢
を作り、箸を二組載せて祈ると言っていました。
あれから25年以上も経つ年月の流れ・・、
たどたどしく話す英語の中で聞いた話しですが、
私も越南米粉麺を食べる時に、心に思い出して感じる時が
有ります。
人それぞれに、運命の流れに翻弄されて、アメリカで食べる
フォーの味は、我々の思いと、彼等のベトナム人が心思う
感じとは、だいぶ違うと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿
登録 コメントの投稿 [Atom]
<< ホーム