2014年6月14日土曜日

私の還暦過去帳(530)



越南米粉麺加州桑港湾東沿岸地帯美食探求味見録(18)



食べ歩きをしてから、ベトナム人達の食生活を興味の目で
見る様になりました。
それと言うのも、サンフランシスコの日本町はかなり混み
ますし、駐車場が混雑して、何かの祭りなどではとても
近寄ることは出来ませんが、ベイ・ブリッジの橋代も必要

無く、駐車も昔は楽な、オークランドのチャイナ・タウンに
買物に行っていました。
片道30分は時間的に節約出来ますし、鮮魚などはどこでも
買えるうれしい場所でした。
先ずは東洋人のサルサと言うルツボの中です、魚の種類も
各種、選り取り見どりの、好きな物を買えました。

30年前は中華麺類専門店で、フォーが食べられましたが、
広東系のベトナム人が沢山居たからと思います。
ちゃんとメニューに載っていたのです。

私もそこで最初に発見して試食して、『ああー!』
これこれ・・・と感じて、食べに通う様に成ったのです。

それと、日本人の帰米2世の方が引退して、オークランド
の近くに住んでいて、チャイナタウンに有る図書館に通う
様になり、そこには日本語書籍が沢山有ったからでした。

お昼は必ず、麺類を探して食べていた様で、彼が情報を
知らせてくれました。
かなり前です、美味しい越南米粉麺が食べられると話して
居ましたが、私も早速に買物がてらに出向いて、ランチに
そのお店に試食に入りました。

殆どがベトナム人で、1杯の麺の鉢が4ドル以下でした。
彼等が常食とする麺を、彼等の味付けで、彼等の作法で
食べている感じでした。
まさにサイゴンの街角の思いと感じました。

私がテーブルの席に着いても、扱いはアメリカ人扱いで
箸と、フォークを出してくれました。
どこと無くベトナム人の雰囲気が無かったと思います。

彼等の体系が小柄で、私はどちらかと言うと大柄で、でかい
身体をしていますので、話す英語も彼等より、ましな話を
していたと思います。お客でも、よそ様扱いでした。

従業員の中には全然、英語が話せない人も居て、ベトナム人
社会をそのまま、引っ越して来た感じでした。

25年近く前は、かなりの資金的な余裕の有る、広東系の
難民ベトナム人が、チャイナタウンに商売で開いた店が
多く見られました。

名前もずばり、『サイゴン・マーケット』と、決まって
いました。かなり繁盛して、土曜日などは混雑で、レジの
永い列が出来ていました。店の前で、その店の従業員が

フォーの鉢を手に、歩道に座り込んで食べている情景を
見た時に、彼等の民族的な身体に染み込んだ食べ物と
感じました。

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