2018年12月12日水曜日

私の還暦過去帳(602)

人生80年の準備、

しばらく忙しく人生終末の準備を始めていました。
今では人生80年と随分長く生きる様になりましたが、
これも個人差があり、何と言えない事が多くありま
すが、私の知人が口癖の様に、私は100歳まで生き
るという事を公言していました。
しかし、彼は健康維持に凝り過ぎて、何か身体に良
いと聞いて来たり、本で知ると、それに短い時間で
も集中して実行していました。
少し偏屈で凝り性で、歳で頑固な感じがしていまし
たが、それにしてもその意気込みは凄いと感じてい
ました。
しかし、過ぎたるは及ばざるがごとし・・とか、ま
ったくそのとうりで74歳の時に倒れてしまいました
が、すい臓がんも併発して、体力的に歪な栄養と、
レモンを使い、何やら怪しげな飲み物に凝っていた
ので、かなり抵抗力も落ちていたと感じます。
最後に入院する前に会った時は、まだまだ口は達者
で、退院したらと今度はこんな事を試してみたいと
か話していましたが、それが最後でした。
入院して様態が急変して、あっけなく亡くなりまし
たが、彼の望んだ人生は何であったかと思っていま
した。
そんな事を知っていましたので、私の人生の生き
方は無理せず、慌てず、ストレスを持たず、ポツポ
ツと目標を低く掲げて進んで行くという、我が道行
の様子でした。
これでアメリカに来て最初に購入した家を、貸家
で保持していたので、それを改修工事をして、そこ
に引っ越すとワイフと話し合いで決めて、実行に移
す事になりましたが、決して無理が無い様に心に
決めてのスタートでした。
その貸家は28年間もレントに出していたので、根
本的に改修工事を先ずは始めていました。
引退して時間は沢山あるので、それと、その用意
に幾らかは資金も貯めていたので、先ずは2月の14
日に借家人がレントの解約をしたいと言って来た
のが決心が決まった日でした。
それにしても人生は山あり谷ありの険しい道です
が、ここまで人生を何事も無く、大病も無く、交
通戦争に巻き込まれることも無く、事故にも遭わ
ず、平々凡々とこれまで生きた来られた事に感謝
しながら、これからの残りの人生をシニアアパー
トや、リタイヤメント・ハウスに引っ越しするこ
となく、手頃な我が家で余生を送れる事には感謝
の気持ちも湧いて来ました。
先ずはワイフと粗筋の計画を話して、資金的な余
裕も考えて、毎月の収入も計算し、決して老後の
資金を取り崩す事も無く、貯めた資金的な範囲を
考えて、将来はこの家は次男が欲しいという事
ですから、次男の意見も聞いて、その改修工事資
金も僅かながら補助するという事で、計画はスタ
ートいたしました。
先ずは季節的に職人たちが暇な季節を狙って、工
事見積もりを取りましたが、それでも結構高い見
積もりで、計画変更で20年以上もヒスパニックの
職人に知り合いが居ましたので、彼に改修工事
のプランを見せると、即座にOKの返事で、各工事
を手間賃と材料代の資材購入資金を別にして、見
積もりは手間賃だけで、資材は全部私が直接支払
う事とで話がまとまり、彼も損をしないで仕事
が出来て、手間賃は必ず貰えると言う事で彼も納
得でスタートしました。
これで3月からスタートして今日まで来ましたが、
殆ど家全体を点検修理した勘定になりますが、良
い資材で、丁重に納得いくまで細部まで二人で工
事をしたので満足の工事となりました。
時々、彼も疲れてヘルパーを1日間だけとか連れ
て来て、重い物を運んで屋根まで運び揚げていま
したが、それでも普通の工事人の見積もりからす
れば、半値以下の場合もありましたが、随分と
工事資金を節約したと感じます。
ワイフも時々夕方に見学に来て、台所や内部の
ペイントや、ガレージ内部も大きく変化して行く
の見て喜んでくれましたが、この家が、これから
の余生の最後の住まいと思うと、引退してこれだ
けの工事を終わらせた根気と、体力とやる気にも、
我ながら満足していました。
先日も次男が来てヘルプをしてくれたのですが、
細かく計画して、寸法を測り工事していく事にも、
家族の絆を感じる事がありましたが、この改修
工事は人生最後の自分を見直し、実行して、その
生き甲斐を感じる行動だと思います。
今では全て、11月の雨が降り出す前に工事も終わ
り、私の好きで、趣味の家庭菜園に季節の沢山の
落葉を堆肥に入れ込む事ぐらいですが、12月も
直ぐに大晦日になり、新年を迎える事になり
ますが、歳が明けて暖かく成れば、この家にワ
イフと引っ越して住み始める事に計画しています。