私の還暦過去帳(569)
私は移住、転住の決断は複数回あります。
これは人生の決断でもあります。
最初は南米のパラグワイに移住をする決断、次はパラグワイから
アルゼンチンのブエノス・アイレスに転住する決断、ブエノス
近郊で営農経験をしてから、ブエノスからボリビア国境のサルタ
州に転住する決断、そこで営農を体験してから、またブエノスで
青果の取引業を目指しての決断移転、そこで南米のインフレに遭
遇して、資金稼ぎに日本帰国決断、南米に再渡航の前に海外青年
協力隊に入隊してアフリカのモロッコでお茶の栽培試験のために
契約して3年ほどして茶の育成の基本が出来たら、また南米に行
く計画でしたが、その寸前に今のワイフと出会い、モロッコ行き
を選択するか、彼女と結婚するか深く悩んで決断したのは、おそ
らく私の人生の前に二度と同じ女性は現れないと感じて、全てを
捨て決断して結婚しました。その事は正解でした。
アルゼンチンのブエノス・アイレスに転住する決断、ブエノス
近郊で営農経験をしてから、ブエノスからボリビア国境のサルタ
州に転住する決断、そこで営農を体験してから、またブエノスで
青果の取引業を目指しての決断移転、そこで南米のインフレに遭
遇して、資金稼ぎに日本帰国決断、南米に再渡航の前に海外青年
協力隊に入隊してアフリカのモロッコでお茶の栽培試験のために
契約して3年ほどして茶の育成の基本が出来たら、また南米に行
く計画でしたが、その寸前に今のワイフと出会い、モロッコ行き
を選択するか、彼女と結婚するか深く悩んで決断したのは、おそ
らく私の人生の前に二度と同じ女性は現れないと感じて、全てを
捨て決断して結婚しました。その事は正解でした。
彼女が農業など、とても出来ない銀座京橋で、社長秘書をして、
英文タイプもパチパチと打てるオフイスで仕事をしていたので、
子供の教育を考えてアメリカ移住を考えましたが、またそれも
正解でした。私は子育てと子供の教育をワイフに任せて、よく
働きましたが、ワイフの英語力で社交も交渉などもずいぶんと
助けられました。
それらがアメリカで家族で定住する大きな力になったと感じて
います。ある人は原発事故の後に、ブラジルのバイヤまで直ぐ
に避難した家族がいます。
私の近くのサンフランシスコに3ヶ月目に2匹の犬達と家族で
日本の不動産類を叩き売って、ご主人がアメリカ人でしたので
避難して来た方も知っています。
移住や転住は決断出来るか、否かに掛かっていると思います。