2015年2月9日月曜日

私の還暦過去帳(569)


私は移住、転住の決断は複数回あります。

これは人生の決断でもあります。
最初は南米のパラグワイに移住をする決断、次はパラグワイから
アルゼンチンのブエノス・アイレスに転住する決断、ブエノス
近郊で営農経験をしてから、ブエノスからボリビア国境のサルタ
州に転住する決断、そこで営農を体験してから、またブエノスで
青果の取引業を目指しての決断移転、そこで南米のインフレに遭

遇して、資金稼ぎに日本帰国決断、南米に再渡航の前に海外青年
協力隊に入隊してアフリカのモロッコでお茶の栽培試験のために
契約して3年ほどして茶の育成の基本が出来たら、また南米に行
く計画でしたが、その寸前に今のワイフと出会い、モロッコ行き
を選択するか、彼女と結婚するか深く悩んで決断したのは、おそ
らく私の人生の前に二度と同じ女性は現れないと感じて、全てを
捨て決断して結婚しました。その事は正解でした。

彼女が農業など、とても出来ない銀座京橋で、社長秘書をして、
英文タイプもパチパチと打てるオフイスで仕事をしていたので、
子供の教育を考えてアメリカ移住を考えましたが、またそれも
正解でした。私は子育てと子供の教育をワイフに任せて、よく
働きましたが、ワイフの英語力で社交も交渉などもずいぶんと
けられました。

それらがアメリカで家族で定住する大きな力になったと感じて
います。ある人は原発事故の後に、ブラジルのバイヤまで直ぐ
に避難した家族がいます。
私の近くのサンフランシスコに3ヶ月目に2匹の犬達と家族で
日本の不動産類を叩き売って、ご主人がアメリカ人でしたので
避難して来た方も知っています。
移住や転住は決断出来るか、否かに掛かっていると思います。