私の還暦過去帳(793)
61年昔に南米に移住して生きるという事を体験しました
が、本当に食うにも困ったら『身を捨てて、生きる瀬あり』
と言う事は本当です。
農学校に学んでいた時は、農場で収穫したものを、リヤカ
ー1台、300円で売ってこい、と言われて、街を引き売
りして歩きました。
百姓は収穫物が売れない時は、家族を養い、農場を維持す
るために自分から引き売りしてこい!』と言われ、その経
験があったので、アルゼンチンで蔬菜栽培していた時に、
トマトが売れなくて街を引き売りして歩きました。
帰りに食料を買い、燃料を買い、トラクターの部品を買い、
生き延びていました。
また貧民街に養鶏のヒヨコを売りに行き、売れて、売れて
帰りには、ポケットに金が入りきれない様にありました。
アフリカのモザンビークに行ったとき、首都のマプトで、
昔、中国のマカオからポルトガル人に連れたチャイニーズ
達が居ましたが、三刀と言われる職業でした。
包丁を使う、レストラン。剃刀とはさみを使う床屋さん、
鋏を使う、洋服の仕立て屋が居ました。
何代も続いたビジネスで生きて、積み上げた資本でビジネ
スを開いていました。
アメリカに戦前の前に移住して来た者は、昔は苦労して仕
事探していました。
昔に日本人の1世達が言っていた言葉ですが、『毎日食べ
る物、毎日生活で使う物、毎日生きる為に必要な物』に関
係すれば生きていく商売ができると言って
いました。それは生きると言う根本の事と思います。
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