2012年5月25日金曜日

私の還暦過去帳(247)

私がアルゼンチンのサルタ州で農業をしていた時代です。
かなり暑くなり、南回帰線から100kmは中に入った所ですから、
亜熱帯の動植物が沢山有りました。中でも大トカゲにはかなり驚かされ、
またその肉が美味しいと聞いて、また驚いていました。

一度、友人の台所に吊るされた肉を見て、『何の肉かあてて見ろー!』
と言われて正解が出ませんでした。まさか大トカゲの肉とは知りません
でしたから、頭をひねって考えていました。
当時の物価でも赤トカゲの皮が田舎の相場でも1万円近くしていました。

高級なハンドバックなどに加工されると、ぎょっとする値段と聞いた事
が有ります。私も知りませんでしたので、一度だけ捕獲しましたが、
背中から切って皮を剥ぐのですが、知らないので腹の方から切って皮が
売り物にならなかった事が有ります。腹の方が模様が綺麗で、加工する
ともっと綺麗なのには、私も驚いていました。

有る日、友人が大トカゲの捕獲に誘いましたので、付いて行きました。
暑い昼のガンガン照りの時間にしか出て来ませんので、それを待って捕
獲するのには大変でした。先ずトカゲが居る巣の入り口を塞いで、穴に
戻れ無い様にします、多い時は入り口の穴が3ヶ所ぐらいある時が有り
ました。
後は巣を塞いだら、じっとトカゲが帰ってくるのを待つのです、かなり
の時間が掛かります、暑い下でじっとして待つ事も大変です。
赤トカゲなどの高級品となると、犬に追わせて捕獲しますが、食用にす
るのでしたら、散弾銃で撃つ人も居ました。私達は小型の拳銃で急所を
撃って捕獲していました。
ジリジリと焼け付く様な地面でも、這う様にかなりの速さで移動します。
大きなトカゲでは1m近くも有りました。相当の肉が取れましたが、か
なり獰猛な形相で反撃して来ます、噛まれる事も有りました。絶対に自
分の巣穴に入ろうとしますので、蹴飛ばしても入れたらそれで終わりで
した。
時々、巣穴で我々の目から見逃した穴が有りましたが、そこに逃げ込む
と、ゲームはトカゲの勝ちで終わりでした。散々待って、ストン!と巣
穴に逃げ込まれて、悔しい思いをした事が有ります。犬が居れば犬が襲
いますのでかなりの確立で捕獲出来ます。トカゲの足が速くて人間では
とても対抗できませんでした。

パラグワイのポンタ・ポラン近郊に有った日本人入植地を訪ねた時でした。
バラックの小屋の窓から、大トカゲが昼間の炎天下に、山焼きをした後を
のそのそと歩いているのを見た事が有ります。周りは原始林でかなり野生
の環境が残っていた時代です、窓から小型のライフルを突き出して、狙い
ましたが、動きが早く命中はしませんでした。

誰かが『今夜の夕食の材料を逃がした』と笑っていましたが、アルゼンチ
ンのサルタ州では開発が進んで、山に入らないと中々、トカゲは見られま
せんでしたが、まだまだその頃は自然は沢山有り、昔から住んでいたイン
ジオ達が彼等の『狩の掟』で、小動物の保護と自然保護をしていたと思い
ます。
今では大資本が巨大な開発機械での開墾で、大豆畑にしたり、原始林を伐
採し、新たにパルプ資材の植林をして、環境を変えてしまっています。
Googleマップで昔の46年前の私が居住していた辺りを見たら、様変わり
をしていたのが分かり、思い出が胸に突き上げてきた事が有ります。

46年前に、1890年代に生まれたインジオが『河に魚が溢れて泳ぎ、
山には鉄木のラパチョウや、ケブラ・アッチャの花が咲いて色が変わった』
と話してくれた時代を思い出します。それも英国資本やアメリカ資本の鉱
山開発や鉄道線路の枕木として伐採され、戦前には殆どが消えてしまった
と話してくれました。
近代化が多くの自然と環境を破壊して成長したと感じます。

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