2013年2月15日金曜日

私の還暦過去帳(347)

訪日雑感(4)

今夜は六本木ヒルズでの待ち合わせがありました。
無事に渋谷に到着してホテルの宿泊も決まり、私の好きな天ぷらソバで、
お腹も満腹となり、元気はつらつとしていました。

しかしお天気はすぐれず、時折、ぽっん!と雨が落ちてくる感じでした。
相変わらず蒸し暑く、九州に宅配便で送る荷物から着替えのシャツは沢
山出していました。まだ時間が有りましたので、少し偵察に渋谷の街中を
歩いて見ることに致しました。

まさに学校出てから49年、様変わりとはこの事で、昔の渋谷食堂など
は皆目分かりませんでした。私が学生で上京して来た53年年ほど前の
時代は、渋谷食堂などは我々の素寒貧の学生では手頃の、丁度財布に
マッチした食堂でした。

履いていた靴は今年の6月、7月に南米を歩き回ったハイキング・シュー
ズでしたので、歩くのには何も問題は在りませんでした。
トコトコと歩き回りましたが、すれ違う若い男女のひょわなー!との感じに
は驚きました。

何か若い男性がが女性化した感じで、動物実験で有害物質を含んだ食物
連鎖では、微生物が女性化してメスになると言う事を聞いて、また読んで
いましたので、いよいよ日本ではその現象が起き始めたかと疑いました。

眉を剃ってピアスを鼻にして、まったくファッション雑誌から抜け出てきた
様な若者達も居ます、まるで猿真似の典型的な写しで、まさに私から見た
ら個性も、その人物から出るオーラーも在りません。

履いている靴としたらブーツ系が多くて、それにホット・パンツに変わり色の
ストッキングと言う姿でゾロゾロと歩いています中で、清楚なスカートで薄い
セーター姿の若い女性も居ました。
それが黒いツヤのある長い髪で普通の小型のハンドバックを手に歩いて居
る姿がもっと強烈な個性と、日本女性の美しさがあると私の目には感じました。

昔の様に学生服で歩いている姿は一人も見る事は在りませんでしたが、制
服らしいネクタイ姿の学生と会いましたが、その全員が携帯電話を持ち、
色鮮やかなバックで学生のイメージとは少しかけ離れていました。
一人だけ歩いていたら、どこかのレストランのウエイトレスかと思う姿でした。

渋谷の繁華街も広く、高層になり昔のバラックの飲み屋街など何処を探して
も在りません、狭い路地から焼き鳥の臭いが漂い、梅割の焼酎片手にサラ
リーマンが焼き鳥を食べている姿など何処にも見ることは在りませんでした。

テレクラとか、漫画喫茶などと並んで、カラオケがあり、24時間オープンの
ハンバーグ屋に並ぶ若者達の姿は、ハンバーグを食べ過ぎて、体質まで変
化したかと思うくらいの若者達がゾロー!と並ぶのを見て、まさに自分が遠く
離れた異国に住んで、今浦島と感じる良い機会でした。

時間になり、渋谷のバスターミナルから六本木ヒルズまで行くバスに乗り込
みましたが、優先席に座るか・・、考えましたがまだまだと普通席に座りました。

隣に若いアメリカ人の女性が子供を連れて乗車していました。どこかの水泳
クラブからの帰りのようでしたが、着く2駅前まで、子供のバイリンガルの話
で、二人で盛り上がっていましたが、それと言うのも、私が3人の子供を2
ヶ国語で育て、成功していたのですから、若い白人の母親が自分の子供に
もと考えて話し込んでいたのでした。

アメリカン・スクールに通学していると話していましたが、外では日本語の世
界で、かなりの言葉の狭間のギャップに子供が苦労している様でした。
それからしたら、アメリカに移住し、移り住んでから、私のパラグワイで見た
メノニータの人々が、メノー派からの分離したアーミッシュの一宗派でしたが、

その信念の硬さと、言葉と言う民族理念と家族と家庭教育の全てを合わせ
持った教育で、子供を育てている事を見て、それを私も実行した事を話すと
感心して聞いてくれました。
読み書き話すと言う家庭教育の基本を話したのですが、みじかな時間に、
これほど子供の教育の件で話した事は在りませんでした。

そのアメリカン人親子がバスから降りて、直ぐに見上げるような六本木ヒルズ
のビルが見えて来ました。
デカイビルだなー!と言う感じが先ず初めに感じた事でした。

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